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窓から見える外の景色は、オレンジ色に染まりつつあった。どうやら日が傾き始めてきたらしい。
ジョスカとの取り決めの結果、彼との情報のやり取りのし易さを優先するため、フリック達もここの宿屋に宿泊することになった。因みに宿泊料金は、半分程度をジョスカが負担するという形になっている。
店主に対してその事を含めた宿泊手続きを手早く済ませると、フリックはロレンタへと告げる。
「さて、と。とりあえずは一旦休憩だな。例のダンジョンについての情報は夕飯時に酒場で集めることにしとくか」
「えっと、……確か酒場は、冒険者や地元のギルドの人達の寄り合い所のようになってると言ってましたね」
「おお、俺の言ってたことを覚えてたのか」
意外と言いたげな表情で、フリックはロレンタへ顔を向けた。
「酒場ってのは大体夜になるとそういう連中がやって来て酒を飲み交わしに来るからな。だからダンジョンについての情報を集めるには酒場が一番手っ取り早いんだよ」
「なるほど……」
神妙な顔で納得したような顔で頷くロレンタ。
そうして彼らはその後、部屋に戻り旅荷物の確認等をして時間を潰した後、一階の酒場へと再び立ち寄ることとなった。
「こ、これが……ですか……」
やんややんやと賑やかしげな声の数々に圧倒されつつ、ロレンタはそう呟いた。
その日の彼らが泊まる酒場兼宿屋である『口笛の二重奏』の夜は、フリックの言ったとおり、冒険者やギルドの構成員などが集まり、酒を飲み交わしていた。客層の都合上、むさ苦しい男共で席の殆どが埋められており、店内はどら声で交わされる会話や笑い声で満ち溢れ、騒がしいごみごみとした雰囲気をこれでもかと醸し出していた。
汗の匂いさえ漂ってきそうなその雰囲気に半ば飲まれながら、ロレンタは落ち着きなさげにキョロキョロと辺りを見回す。
「……お、遅いですね、フリックさん……情報を集めてくるって言ってはいましたけど、まだなんでしょうか?」
「……」
イヴはもうこのような環境に慣れっこなのか、あるいは素で何も感じていないのか、普段通りの置物と化している。……と思えば次の瞬間、ご飯の匂いを察知した飼い犬の如く、イヴが急にぱっと後方を振り返った。
ロレンタがイヴの目線の先へと目を向けてみれば、飲み物の入ったカップを片手にフリックがこちらへと近づいて来ていた。このような騒がしい環境の中、イヴは何故彼の気配を察知することができたのか……とロレンタの胸中にささやかな疑問が浮かんだが、それを本人に問うても答えが返ってくることは期待できそうにないので、素直に黙っておくこととした。
「おっす。例のダンジョンの情報、大体集まったぞ。この辺でも割と知られているダンジョンだったからな。それ程手間は掛からなかったぜ」
「そうですか。良かった……。それで、」
「まあ待て、まずは飯を食ってからだ。話はそれからでも遅くないだろ?」
スッと手を上げるような仕草をして、ロレンタの言葉を遮るフリック。
「せっかく遠路はるばるリードまで来たんだ。ついでに食っとけよ。リードの名物魔物料理」
フリックの言葉に同意するかのように、イヴがこくりと頷く。昼は奢ってもらう立場であったロレンタに遠慮して比較的安価な料理を頼んだため、彼らがこの街へと向かう当初の目的であった名物魔物料理は食べられずにいたのだ。
あるいは父親を心配するあまり憂い顔の多くなったロレンタに対する、彼なりの気遣いであるのかもしれない。フリックはグラスを持ち上げ、にかりと効果音の付きそうな笑顔をロレンタに向けた。
「親父さんが心配なのは分からんでもないが、いつまでも景気の悪い面してたら身が持たねえぞ。……っと、早速来たみたいだな」
フリックがそう呟き向こうの方へと目を向けた。見ると、こちらへと料理を運んでくる給仕の姿があった。
「はーい! お待ちどうさま! ただ今持ってきましたよー! リード名物の魔物料理でっす!」
そう給仕の娘が元気よく声を張り上げながら三人の座るテーブルへと近づくと、手に持っていた一抱え程もある巨大な料理皿をどんとテーブルの上に置いた。
「……」
料理皿の中身を見たロレンタは絶句し、引きつった顔で”それ”を見た。
それは一見、中型犬程の大きさをした生き物が手足を投げ出しへばっているようにも見えた。しかし背の部分の毛に覆われたままの皮は綺麗に縦に切り開かれ広げられており、その内部では肉が生のまま一口大に細かく切られ整然と並べられていた。背骨と内蔵は抜かれているようであるが、こちらからでも十分目に入る、どす黒い色をした毛皮の裏側部分がやけに生々しく感じられた。少量の野菜と共に皿の脇に添え置かれた眼球に光は無く、当然生きてはいないだろう。
丸ごと乗せられた頭部は横半分に頭蓋骨ごとすっぱりと輪切りにされ、切られた頭部の下半分の中には何やら生白いもの……恐らくは脳みそが入っている。額部分に一本の角が生えた上半分はその横に添えられていた。
「リード名物、ウヌヨン料理です。どうぞおいしく召し上がってくださいね!」
「ウ、ウヌヨン……?」
戸惑いを隠せない表情で、ロレンタは呻くように呟いた。
「お、なかなかにうまそうだな。……これ、肉は生で食べられるのか?」
しかし呆然としているロレンタの横では、フリックが給仕の娘にあれこれ訪ねていた。
「はい、生ですがそのままでも食べられますよ! 特製のタレを付けて召し上がってくださいね! 脳みそも独特の風味があってクセになりますよ~」
「ほうほう、なるほどな」
「それでは、ごゆっくり~」
給仕の娘はにこやかにそう告げると、さっさとカウンターの方へと歩いて行ってしまった。
手元のフォークを持ち上げ、フリックは勢いよく宣言する。
「さて、食うか!」
「え!? これをですか!?」
ぎょっとした顔でフリックを見るロレンタ。
「何だお前、食わねえのか?」
「いや、だって……これ……」
こわごわと運ばれた料理に視線を向けるロレンタ。肉だけが並べられていたならばまだしも、毛皮や足が付いたままの、本来ならば草原を駆けまわっていただろう生物としての面影をありありと残した姿が鎮座しているのである。少なからず抵抗を覚えるのもむべなるかなと言ったところか。
「盛り付けが、その、ちょっと……そ、それに生で食べるって……フリックさんは平気なんですか……?」
目玉のくり抜かれた眼窩が、こころなしかこちらを恨みがましく見つめているかのような錯覚を覚える。しかしそんなことは特に気にしていないというかのように、フリックはけろりとした顔で応える。
「ああ、まあ、あちこちを旅してたら色んな料理見るからなあ。このくらいならまだ俺の中では許容範囲内だ。揚げた虫とか食ったこともあったぞ。あれもなかなかうまかったが」
「虫ィッ!?」
ひえっ、とロレンタは息を飲む。
「まあ盛り付けは結構グロいが、見た目に惑わされるなよ。食うべきは肉と脳みそだけだから、それ以外はできる限り目に入れないようにしとけ」
「入れるなって言われましても……」
「食わず嫌いはよくねーぞ。……んじゃ、いただきます、だ」
フォークを指の間に挟みながら、フリックは手を合わせる。それにならうようにイヴも無言で手を合わせた。
「えーと確か、このタレをかけて食べるんだよな、どれ……。……うん、うめえなこれ」
呆然としたままのロレンタを余所にフリックは肉を一切れフォークに刺して口に入れ、それをしっかりと噛んで飲み込んだ後、ぽつりとそう感想をもらした。
同じく肉を口に入れたイヴも、その感想に同意するかのようにこくりと頷くと、すぐさま二切れ目に手を伸ばし始めた。
「うむ、やっぱうまいぞこれ。……ほらロレンタ、お前も食べてみろ。うまいぞ」
「えっ、ええっ……えっと、じゃあ、一口……いただきます……」
ロレンタはこわごわとフォークを握り、できるだけ他の余計な物を意識しないよう、肉から目を離さないようにしながらフォークで肉を刺し、恐る恐る口へと運ぶ。
「……んん!」
「な、うまいだろ?」
顔色を明るくさせたロレンタに、フリックが得意げな顔で告げた。
「お、おいしいです! なんでしょう……お肉は程よく脂が乗ってて柔らかくて、独特のクセはあるんですが、香草がふんだんに使われた、風味は濃厚後味はさっぱりしたタレのおかげで、良い感じにアクセントとして成り立っています! これは下手すると病み付きになりそうな味をしています!」
「やたらと詳細な感想だな……うわっ、今の聞こえてたのかよ……カウンターの向こうに居る料理人、物凄くニコニコした顔でこっち見てるぞ……」
げんなりとした表情でカウンターに目を向けたフリック。その横ではもう盛り付けなど気にならなくなったのか、ロレンタは早速二切れ目に手を伸ばしていた。
「おーおー食うねえ。そんじゃ俺ももう一つ……あっこらイヴ! 三枚も一気に持っていこうとするんじゃねえよ!」
そのうち追加で注文した料理を食したりしながら、三人はのどかに会話を続ける。ただし例の如くイヴは一切一言たりとも話さず、相槌を打つのみではあったが。
「……それで、フリックさんは今まで、どのくらい旅を続けてきたんですか?」
話が弾み、大分打ち解けてきたとロレンタが感じてきた頃。ロレンタは何気なく、フリックに向かってそう問いかけてみた。
「ん~……多分だが二年くらいか?」
「に、二年ですか。意外に短いんですね……えっと、差支えなければお聞きしたいんですが、イヴちゃんとはどの辺りで、どのように知り合ったんですか……?」
「イヴか。イヴとは旅をする前からの長い付き合いだな。大体6、7年は一緒に居たと思うぞ。どんな風に知り合ったかは……ああ、うん。まあ色々とあったんだ」
言葉の途中から、フリックはロレンタから目を逸らしつつ答えた。その瞳は視線の先にあるものを映しておらず、どこか遠くを見ているかのようで、その否が応でも何らかの複雑な事情を察せざるを得ないフリックの反応に、ロレンタは内心で冷や汗をかいた。
「い、色々と……? い、いえすみません。何も訊かないでおきます……」
「そんな露骨に腫物に触るような反応しなくても良いぞ……?」
げふん、と、フリックは二人の間に漂う微妙な空気を切り替えるように、一旦咳払いをする。
「まあ一つだけ言えることがあるとするなら、イヴが切っ掛けで俺はこうして冒険者をやってるってことだな」
「イヴちゃんが切っ掛け……? それ、本当なんですか? イヴちゃん」
ロレンタはイヴの方へと視線を向け、そう問いかけた。……が、肝心のイヴはテーブルの上の料理を口の中へと入れる作業に夢中になっていた為、これまでの話の流れを完全に聞いていなかったようだ。料理を咀嚼し飲み込んだ後、今更思い出したかのようにロレンタへと顔を向け、こてりと首を傾げる。
「……」
「……一応言っておくが、俺の言ったことは誓って本当だぞ。……まあ何の保証もできないがな……」
「い、いえ、大丈夫ですよ。信じます。少なくともフリックさんは、イヴちゃんを無理やり連れ回しているわけではないということは、私も分かってますから」
「それだけ理解してもらえたなら、ありがたいがな……」
言葉と共に、フリックは手元のカップを引き寄せ、そのままカップの中身をぐびりと呷った。
ささやかな宴は終わりを告げ、多くの人々は寝静まる。やがて太陽が東から顔を出し始め、白々とした暁光で世界を照らし上げた。
冒険者の朝は早い。日が上り陽光が大地を照らし始めたその瞬間から、彼らの活動は開始される。
フリックは起き上がった後一度大きく伸びをすると、同じベッドで寝ている傍らのイヴを起こさぬよう慎重に身を起こす。が、彼がベッドから這い出たその瞬間、まるで見計らったかのようなタイミングで、イヴは大きな目をぱちりと開いた。
「おう。おはようさん、イヴ」
イヴはこくりと頷くことで、返事を返す。彼らのいつもの朝の、なんてことはない風景である。
余談ではあるが同じベッドで寝ているといっても勿論やましいことなどあろうはずもなく、旅をしていた初めの頃、フリックはベッドの方をイヴに使わせ自分は床に外套を敷いて寝るようにしていた。
が、朝起きてみればいつの間にかベッドを抜け出したイヴがフリックの懐で寝ている。嫁入り前の娘が男と一緒の寝床で寝るんじゃないとフリックもイヴにそう提言はしたものの、要求は受け入れられなかったか、或いは夢遊病の如き無意識から来る行動なのか判然としないが、その後もイヴは毎夜の如く、彼の寝床へと知らぬ間に潜り込み続けた。
そうそう簡単に潜りこまれて溜まるかと彼もベッドから離れた所に寝床を移動したり、いくつも鈴を取り付けた紐をイヴが寝ているベッドの周りに張り巡らせたりなどと対策を練りはした。しかし彼女はその悉くを覆し、まるで自分がここで寝るのは当然とでも言うような寝顔でその後の毎夜も彼の寝床に潜り込み続けた。攻防を繰り返す中、ある日無駄だと悟ったフリックは以降開き直り、今では当たり前のような顔で二人で一つのベッドで寝るようになった。
閑話休題。
軽く体をほぐすための運動と剣の抜き打ち様の切り付け動作の素振りを終え、持ち物の確認をした後に身支度を整えたフリックとイヴは、彼らの部屋のすぐ隣にあるロレンタの部屋の前へと立つと、おもむろにノックした。
「ようロレンタ。起きてるか? 俺だ。イヴも一緒だぞ」
「え? あ、はい、丁度着替え終わったところです。入っても大丈夫ですよ」
「おう。失礼すんぜ」
返事と共に、フリックは扉を開き部屋の中へと入る。そこにはもう服も着替え、身支度もあらかた済ませた様子のロレンタが立っていた。
朝の挨拶もそこそこに、フリックは早速本題に入る。
「さて、俺達は親父さんが消息を絶った件のダンジョンに潜る。昨日も言ったが、俺達が出かけている間、お前はここで待っていてくれ」
「その事なんですがフリックさん……お願いです。お父さんを探すのに、私も同行させてください」
「あん!?」
ロレンタの提案に、フリックは目を剥いた。ゲオルグ探しに同行するということは、彼が消息を絶ったダンジョンの中に潜入するということだ。無論ロレンタは、ダンジョンに潜るのに必要な技能など何一つ備えていない一般人である。
「お前正気か? 冗談じゃ無いんだよな?」
「正気ですし、冗談を言っているわけでもありません。……危険は重々承知しています。足手まといであるという自覚もあります」
ロレンタは両手を胸の前で組みながら、ゆっくりと続けた。
「それでも私は、直接お父さんに会いたい。生きているなら、会って話をしたい。……もし死んでしまっているなら、私が弔ってあげたい。私はお父さんに会いにここまで来たんですから。……決して無理にとは言いません。どうしても邪魔だというのなら、大人しくここで待っています」
ロレンタは真っ直ぐに、フリックの瞳を見つめた。彼女は一人で、結局逃げられたにせよ冒険者の手配をし、様々な危険を伴う遠出を何日も掛けてまで父親を探しにやってきたのだ。その覚悟の程は、そんな彼女の今までの行動からも十分に推測できる。
「……イヴは問題無えか?」
こくり、とイヴは無言で首を縦に動かした。
「……はあ、しょうがねえか。こりゃ連れて行くしか無いわな」
「ありがとうございます……!」
頭をほぼ垂直に至るまで下げ、礼をするロレンタに向かって、フリックは言葉を続ける。
「ただしダンジョンでは俺の言うことは絶対聞けよ? 死にたくなければ死ぬ気で聞けよ。いいな?」
「はい! はい! 勿論です!」
感激の笑顔を浮かべつつ、ロレンタはフリックの手を両手で掴み、ぶんぶんと振りたくった。
その無邪気な所作に本当に大丈夫なのだろうかと一抹の不安がフリックの胸中に浮かんだが、一度放たれた言葉を今更訂正する訳にもいかないため、彼ははあ、と一度だけため息を漏らす程度に留めておくことにした。