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薄暗い森の中を、小型の馬車がガタガタと音を立てながら進んで行く。
とりあえず馬車内で無言のままでは居心地が悪い。そう思ったロレンタは、おもむろに御者台に座るフリックに話しかけることにした。
「あの、ちなみに貴方達は、何故リードに赴こうと?」
ロレンタの問いに対し、何てことなさそうな気軽な調子で、フリックから答えが返ってきた。
「いや、旨い魔物メシを出す店があるって聞いて、興味が出たからだが?」
「……そ、それだけ?」
目を丸くさせたロレンタの口から、思わずそんな呟きが漏れた。
「まあ俺達の旅はアテも目的も無い、適当にぶらついてるだけの旅だからな。街に行って依頼で稼いで、旨いものを食い、寝て、やる事をあらかた片付けたと思えば次へ行く! ……ってなことを繰り返してるような感じだよ」
「そ、そうですか……」
あっけらかんと答えるフリックに、ロレンタは何ともいえない表情でそう返した。
この世界の地は街や村などの集落から一歩外に出れば、先ほどのような賊、そして魔物等が徘徊する危険地帯である。街や国々を繋ぐ主要な街道でさえ、きちんと管理されているかどうかは管理している国によって差が出る。何かあれば即座に対応してくれる国もあれば、自己責任で済まされる国もある。そして街道から離れた人の手が入っていない未開拓の地は、最早魑魅魍魎がはびこる魔境と呼んでも過言ではない。
よっぽど治安が行き届いた国でなければ、街から街を行き交うだけで危険が伴う。そんな危険を承知で好き好んでわざわざ流浪の旅を行う者など、よっぽど腕に自信があるか、あるいは度を越した物好きか。……もっともその二つを兼ね備えた酔狂な者達を、胡散臭さと好奇心を込めて、人々は冒険者と呼ぶのだが。
「……というかイヴちゃん、さっきから一言も喋ってないようなんですが……」
「おう。イヴはいつも大体そんな感じだ。まあ俺は別に不便に感じたことは無いが」
ロレンタに視線を向けられ、自分の顔に何か付いているかとでも言うように、こてりと首を傾げるイヴ。
「……本当に何なんですか? 貴方達……?」
「何なのかって言われてもなあ。俺はイヴの保護者で……いや、一緒に仕事をする相棒か?」
悩みながら首を捻るフリック。どうやらこの二人は本人ですら言葉に悩むような、なかなか一言では表しにくい間柄であるようだ。他人であるロレンタに理解が及ばなくてもむべなるかなといったところか。
青年と少女という、場合によっては犯罪の香りが立ち上ってもおかしくないような組み合わせではあるが、不思議とこの二人からはそのような後ろ暗い雰囲気は感じられない。むしろお互い勝手知ったるとでもいうような、強固な信頼関係で結ばれているようにも見える。
不思議な二人組だった。
「……おっと。そろそろ見えてきたぞ」
フリックの言葉が聞こえたと同時に、左右に立ち並んでいた木々がふっと途絶え、頭上を覆っていた枝葉が晴れる。
そして、午後の日差しが馬車を照らし出す。どうやら森を抜けることができたようだ。白い雲がまばらに浮かぶ青い空の下、短い草が繁茂する緑の丘陵。そこに土の道が一本だけ伸びており、その先には街が見えた。
「……」
生まれて初めての余所の町。生まれて初めて見る景色。ロレンタが声も出せず、その光景をただ眺めていた時、フリックが独り言のように、とつとつと語り出す。
「これだよこれ、この景色……。あの街には何があるんだろうなあ、どんな旨いメシがあって、何を名物にしているか。……そんなことを考えながら街に向かって進む。これも旅の醍醐味ってやつだな」
そして馬車はそのまま、街道に沿ってまっすぐ街へと進んで行った。
「とーちゃくー、したぜー。はー。久々に馬を走らせたがしんどいぜぇー……」
リードの街に到着し、路肩に馬車を止めると、フリックは御者台の上で思い切り伸びをした。その頭を、ご苦労と労うようにイヴが軽くぽんぽんと叩いていた。
「さてと……それじゃ俺達はここでお暇させて飯でも食いに行こうかと思ってるが、お前はどうする?」
「あ、私は……」
「……まあ俺達に関係あることでもねえし、言っても詮無い事だけどな。どんな事情があるかは知らねえが、まあうまくやることだ」
「ま、待ってください!」
馬車を下り、道の先へと進もうとしたフリックとイヴを、ロレンタが慌てて引き留める。
「お? どうした?」
「あの……お願いしたいことがあります。私がここへやってきたことと、関係があることです。ささやかではありますがこれまでのお礼も兼ねて、ご飯も私が持ちます」
それからロレンタは、ゆっくりと頭を下げ、お辞儀をした。
「引き受けるかどうかの判断はお話を聞いてからで構いませんので、どうか……!」
フリックは、傍らに立つイヴへ目を向けた。するとイヴはフリックの瞳を真っ直ぐ見つめ返し、こくこくと短く頷いた。恐らくは自分は特に異論は無い、という意味か。
それからロレンタの方へと向き直り、フリックは頷きつつ、告げた。
「ああ、分かった。……とりあえずは、話を聞く。まずはそれからだな」
「……成程な。父親を捜しに、か」
「……はい」
少しばかり重い空気が、食べ終わった皿が並ぶテーブルに漂う。ただ一人イヴは、そんな空気を特に気にした様子も無く、食後のフルーツを黙々と無表情で食べ続けていたが。
都市ミルエベに住むロレンタは、生物学者である父親を持っている。父親の名はゲオルグ・ウィンコールド。冒険者であるフリックにはピンとこなかったが、界隈では結構知られた名であるという。
母親を幼い頃に亡くし一人娘だったロレンタを、父親は忙しい仕事の合間を縫ってよく可愛がってくれていたらしい。しかしここ数年はまるで何かに憑りつかれているかのように何らかの研究に没頭しており、それまではどんなに忙しくても最低限の時間を作り相手をしてくれていた父親が、最近では顔も見なくなる時が多くなったと、ロレンタはぽつぽつと語った。そして仕事だとリードの街へ繰り出した時を最後に、連絡が途絶えたという。
「すぐ戻るからって、そそくさと出て行って、それからリードに到着したって手紙が来たんですが、それきりで……。近年父は研究で忙しそうにしてましたが、それでも一日二日置きに手紙は来ていたんです。でも、その手紙を最後に二週間も連絡が無くて。それで、何かあったんじゃないかって思ったんです」
「なるほどねえ……心当たりとかは何かあるのか?」
「残念ながら……父は何度もリードに赴いていましたが、私自身は今日、初めてここへ来ましたし」
「単純に考えるなら、研究に没頭し過ぎんだろうが……そもそも何の研究か知ってるのか?」
ふるふると、残念そうに首を振るロレンタ。
「いいえ。父が仕事の話を私にしたことは、今も昔も殆どありませんから……」
「仕事の話は家庭に持ち込まねえのか。良い親なんだろうとは思うんだが、それで失踪してくれちゃ元も子もねえよなぁ……」
はあ、とため息をつきつつ椅子にもたれ掛かったフリックだが、ふと思いついたようにロレンタへと尋ねた。
「……それで、そんな重要な依頼を、どうして今日会ったばかりの俺達に?」
名も大して知られているわけでもない、そんな自分達にどうして。フリックは単純に疑問に思い、彼女へ訊いてみることにみることにした。
するとロレンタは、少しだけ考えから言葉を返す。
「えっと、それは……自分でもよく分かりません。貴方達が信用できそうだからだと、思います。会ったばかりの私に色々と親切にしてくれましたし、賊をあっという間に退治してくださったことから、腕も立つようですし。貴方達に任せても大丈夫だろうと、不思議とそう思えたんです。あの逃げられた護衛の冒険者達を見てからだと、余計にそう思えるのかもしれません」
「そいつらみたいに、また前金だけ貰って行かれるかもしれないぜ?」
「本当にやろうとする人はそんなことを今言ったりしませんし、もう私も引っかかったりしませんよ」
少しだけ笑みを浮かべつつ、ロレンタはそう返した。
そんな彼女をまじまじと見返したフリックは、傍らに座り、丁度最後の一口を食べ終えたイヴと一度だけ視線を交わした。そして次の瞬間には身を僅かに乗りだし、握手をするかのようにロレンタの右手を取った。
「わ……!」
「依頼、引き受けてやるよ。親父さんは必ず見つけ出してやる……だなんて無責任な大言を吐く気は無えが、やるだけはやってやる」
そう強気な笑顔を浮かべつつ、フリックは片方の手でぐっと親指を立ててみせた。
「さて、まずはどこから探すか……」
報酬や依頼の期限日数等の細かい取決めを行ってから店を出た三人。日没までには多少時間がある。これからどうしたものかと頭を巡らせたフリックは、直ぐに案を思いつく。
「たしか親父さんは生物学者だったか。なら同業者かそれに近そうな奴らを訪ねてみるか。その筋じゃ有名人だっつってたから顔も効いてんじゃねえか?」
「そうですね。……でも、そんな人どこに居るんでしょう」
その時、
「ん? どうしたイヴ?」
フリックが肩口から傍らに居たイヴに視線を向けた。どうやらイヴが、彼の服をちょいちょいと軽く引っ張っているようだった。彼が訪ねると、イヴがついっと道の少し先にある大きな建物を指差した。
「……ああ!」
納得がいったように、フリックが声を上げた。
「どうしたんですか? イヴちゃん。……あれは、酒場、ですか?」
訝し気な視線をその建物に向かって投げかけながら、ロレンタは言った。
「酒場には馴染みが無えか。……まあ当然か。親父さんからリードに到着したって連絡は来てたんだよな? なら同業者か誰かが行方不明者の捜索依頼を酒場の掲示板に出しているかもしれない。それに酒場は冒険者や地元の組合の寄り合い所みたいな側面があるからな。客の一人くらいは何か知ってるかもしれないだろ?」
「そ、そうなんですか?」
「まあ、あくまでそうかもしれないって話だが……この際だ。ちょっくら行ってみるとするか」
そして三人は、件の建物、酒場の方へと歩き出した。見たところ三階建てとなっているこの酒場は宿屋も兼任しているらしく、周りの飲食店とは一線を画す大きさをしていた。
フリックがおもむろに木製の頑強そうな扉を開けると、カランカラン、と澄んだベルの音が鳴り響いた。
「しっつれいするぜー、っと……うーん、まだ昼間だからやっぱ人は少ねえか」
中を覗いてみれば酒場内に居る人の数は片手で数えられる程度しかおらず、フリックは思わず小さく呟いた。
「へいいらっしゃい。冒険者さんかい? 依頼の掲示板ならあっちだよ」
「お、さんきゅー」
カウンターに居た店主の言葉に従って、店の奥へと歩いていったフリック。
「えと、これは……」
フリックの後を付いていったロレンタは、そこにあった壁の一角に嵌められた巨大なボードと、ボードにピンで所狭しに貼られていた紙の数々を見て呆然と呟いた。
「依頼の掲示板だな。人、物探しや魔物退治、護衛を始めとしたその他諸々の善良な市民からの『お願い』がここに貼られている。たまに賞金首の手配書とかも貼られてたりもするな。これを解決して金を稼ぐのが冒険者の仕事だよ」
こくり、と同じくフリックに付いて来たイヴが同意するように頷く。
「これが……ですか」
「さてと、親父さんに関する依頼はあるか……あった、これか!」
物珍しげな視線を掲示板へと注ぐロレンタを置いて、その隣で掲示板に貼られた紙の数々を検分していったフリックは、やがて一枚の紙を見止めそれを掴んだ。
そこには確かに生物学者、ゲオルグ・ウィンコールドの名前が記されてあった。但し、
「捜索依頼……あ!? ダンジョンの中!?」
それは、確かにゲオルグの捜索依頼の紙だった。
しかしそれはダンジョンの内部に潜入しての探索依頼であると、はっきりと書かれていた。依頼者の名前には『ベイグズ・ジョスカ』と名前が記されている。
「おい。この名前に心当たりはあるか」
「えっと……あ! 確かお父さんの助手の名前だったような気がします!」
少し考えた後、ロレンタはそう答えを出した。
フリックは彼女のそんなうろ覚え気味な反応を見て、共に仕事をする助手のことについてもあまり話さないものなのか、と思う。ゲオルグは本当に、自身の仕事についてのことは、家族に何も話さない主義であるらしい。
話さない主義なのか、あるいは話したくないのか。微かな胡散臭さをフリックが嗅ぎ取ったところ、カウンターに居た店主から不意に声が掛かった。
「冒険者のお兄さん。そのジョスカさんならここの二階に泊まってますよ。会ってみますか?」
「!? 本当かよ店主!? それならすぐ頼むぜ!」
返答を聞き、店主はそのジョスカ何某に今会うことができるかどうかの確認をするためか、即座にカウンター脇にある階段を上っていった。
「……ふう。なんか思ったよりかは順調に進んでんな。なんとかなりそうじゃねえか」
沸いて出た僅かな疑心はとりあえず脇に置き、フリックは手近な椅子に座った。
「でも……ダンジョンだなんて、お父さん、そんな所に何で……?」
沈み気味の、不安げな表情を浮かべるロレンタ。
そんなロレンタの服を、くいと軽く引っ張る者が居た。
「……イヴちゃん?」
見ると、イヴがじっと、真っ直ぐにこちらの目を見ていた。
何か自分に用があるのか。そう思い、ロレンタはイヴの方に向き直った。
「……あの?」
イヴは、真っ直ぐにロレンタの目をじっと見ていた。
「……えっと……」
イヴはひたすら真っ直ぐに、ロレンタの目をじっと見ていた。
「あー……、イヴは多分お前を心配してるんだろ」
するとそこへ、助け舟を出すようにフリックが声を掛けてきた。その言葉を聞いて、少しだけ驚いたような顔を、ロレンタは浮かべた。
「イヴちゃんが、私を心配……?」
「しょぼくれた顔してただろ。親父さんが何を考えてダンジョンなんかに入ったのはよく分からねえが、それをジョスカって人が知ってるかもしれねえだろ。とにかく話を聞くに限る」
やがて店主が二階から階段を下り、ジョスカと話ができることを告げてきた。三人は店主に導かれるまま、宿の二階へと上がることとした。
二階は客室が並ぶスペースとなっており、一行がドアの並ぶ廊下を進んで行き、やがてある一室の前まで行くと足を止めた。
店主がノックし、中から若い男の声でどうぞ、と声が上がる。ドアを開けた店主に促され、三人は部屋の中へと入った。
中に居たのは、一人の眼鏡をかけた、いかにも研究職ですといった感じの地味な印象を漂わせた青年だった。こちらの姿を認めると、青年は軽く頭を下げて挨拶した。
「どうも、冒険者の方ですね。依頼人のベイグズ・ジョスカです。ウィンコールド先生の助手を務めております」
「冒険者のフリックだ。こっちはイヴ。んでこっちは仲間というより偶然行き会った同行人ってな感じなんだが……」
「初めまして、ジョスカさん。私は失踪したゲオルグ・ウィンコールドの娘の、ロレンタ・ウィンコールドと申します」
ロレンタがそう挨拶を返すと、ジョスカは目を丸くさせた。
「む、娘さんですか!? 先生の住まいは、確かミルエベと……」
「途中まで一人で行こうとしてたぜ。立派だよな」
そう付け足すように言ったフリックに少々バツの悪そうな視線を向けると、ロレンタは言った。
「二週間前にこの街に来たという手紙を最後に、連絡の途絶えた父が心配で……もし何か知っているなら、どうか父についての詳しいお話を聞かせてください」
「もちろんです、どうぞお座りください。……!! ああ、冒険者さん方の分の椅子が足りない……!」
「いや、いい。俺達は立っとくよ」
椅子を用意しようとしてうろたえるジョスカに端的に告げたフリック。それに合わせイヴも同意するように、返事替わりにこくりと頷く。申し訳がなさそうにまだ何か言いかけたジョスカの口を遮るように、ロレンタが話を切り出した。
「それで、何故父と貴方はこの街に?」
「あ、はい。えっと、私と先生はこの辺りの魔物の生態を調べるために、この街へとやって来ました」
「魔物の、生態?」
いまいちピンとこなかったのか、首を傾げつつおうむ返しに問いかけたロレンタに、ジョスカは頷いた。
「はい。リード周辺にはそこでしか見られない魔物が多く生息しているので、それらの調査をしているんです。二週間前から私達は魔物達の様子を密かに観察していました。経過はそこそこ順調で、それから二日経った時のことです。その日の夕方、先生は、万が一魔物に襲われた際の護衛として雇っていた地元の戦士ギルドの人達を集め、どこかへと向かう準備をしていました」
「どこか……とは?」
「分かりません……。先生は、国が行う極秘の研究を手伝うため、近くにある研究施設へと向かう……と言っていました。これまでリードに何度も滞在していたなかで、そうして先生がその極秘の研究施設へと向かうことは何度かあったんです。その時私もいつものことだと思い、特に何も気にする事無く先生を送り出しました。今回のそれも、これまでと同じように一日二日ですぐ戻るだろうと、私は思っていました」
歯がゆそうに、あるいは無念そうに、ジョスカは目線をテーブルの上に置いた。そんなジョスカに、ロレンタは再び問いかけた。
「貴方は、付いていくことはできなかったんですか?」
「僕も最初の時、同じことを先生に問いました。しかし本当に重要な研究のようで、僕のような端くれ研究者が立ち入ることは許されないような場所だと、……先生は直接言葉には出しませんでしたが、そういうことなのだろうと思います」
「んで、その極秘の研究施設に入ったまま、帰ってこなくなったって訳か? ……ちょっと待て、何でそこでダンジョンの捜索依頼になるんだ?」
それまで口を挟まなかったフリックがそう疑問を呈すと、ジョスカはこれからが本題だとでも言うように即座に居住まいを正し、真っ直ぐにこちらへと視線を向けた。
「当然のことながら、私は先生の言う研究施設がどこにあるのか、見当もつきません。先生が出かけたまま帰ってこなくなった後、街の人々に研究施設のことを尋ねても、誰一人としてその存在を知っている人は居ませんでした。私は何とかして先生の足取りを掴もうと、情報提供の依頼を街中の酒場に持ち込み、街の人々に訊き込みをしていきました。……そしてその結果、付近に住む猟師から、リードの街の周辺の、森の中にあるダンジョンの中へと入っていく、先生の姿を見たという情報が入ったんです。同業者の方々も同じ森の中で先生の姿を見たということなので、信憑性は恐らく高いでしょう」
「つまり……ダンジョンの中にその研究施設があるかもしれない、と?」
「断言はできませんが、そうなのではないかと思います。なぜダンジョンの中にあるかまでは分かりませんが……」
「……」
神妙な顔で黙りこくってしまったロレンタに、フリックが声を掛ける。
「おいロレンタ。俺はもう少し訊いておきたいことがある。悪いがお前は一旦部屋から出てくれねえか」
「……え?」
「イヴ、頼む」
その声を聞くと、イヴはロレンタの腕を取り、ぐいぐいとやや強引に引っ張り始めた。
「あっ、ちょ、ちょっとイヴちゃん……」
困ったような顔でなし崩し的に足を進めたロレンタは、やがて部屋の外へ出て、廊下の向こうへと姿を消した。
「……気になっていたんですが、あの銀髪のお嬢さんは妹さんか何かで?」
「ああ……まあそんな感じだ」
ジョスカの純粋な疑問に本当は違うと言いたいところだが、二人の事を大して知っている訳でもない人間にそれを言うと、今度は兄妹でもない少女を連れ回しているとして別の問題を誘発しかねないので、無難に答えるフリック。
「それで、私に訊きたいこととは」
「それなんだが……ゲオルグについてだ。ロレンタから聞いたんだが、ゲオルグは数年前から何かの研究に夢中になってるって話らしいじゃねえか。秘密の研究とやらはそれと関連してるんじゃないかって思ったんだよ」
それを聞くと、ジョスカはどことなく後ろ暗さを含んだ、沈んだ表情を浮かべた。
「……確証はありませんが、恐らくはそうでしょう。私が先生の助手となったのは一年半程度前のことなので、それ以前のことは先輩などから聞いた話になりますが……先生は普段の調査などの仕事とは別に、独自である研究を進めていました」
「ある研究?」
「簡単に言いますと、人間をより強靭な生命にするといった研究です」
「……何だそりゃ」
要領を得なさそうにしているフリックに、ジョスカは丁寧に説明を始めた。
「より正確に言うならば、魔物の生態や遺伝子を調査し、得られたデータを元に薬学や錬金学を応用して人間の身体に手を掛けることで、強化された人間を造る、というものです」
「つまりは……魔物とかを参考にして普通の人間よりも遥かに力が強かったり、怪我を負っても治りが早かったり……みたいな超人を造る研究ってことで間違いは無いんだな?」
何を思い浮かべているのか判然としないがぼんやりとした口調でフリックが言えば、ジョスカは首肯した。
「大体はその通りです。……先生は10年程前からその研究をしていたようなんですが、5、6年前くらいから急激に……言ってはなんですが狂気的に熱中していたと。私が先生の助手として働き始めた時も、寝食も疎かにしていて、何日も研究室に籠りきりで、顔をやつれさせていても不自然な程、研究に対する気力に溢れていて……」
歯切れの悪そうに言葉を途切れさせるジョスカ。言葉にこそ出してはいないが、ジョスカはそんなゲオルグの姿を不気味に感じていたのだろう。暗くさせた表情からその事が見てとれた。
「いくらこの辺りの魔物の対処に詳しい地元ギルドの人間を何人も雇っていたとしても、もう二週間も帰ってこないとなると、……魔物に殺されているかもしれないと考えるのが妥当でしょう。でも何故か私は、それ以上に何か恐ろしいことが起こっているように思えてならないんです」
ジョスカは顔を上げ、真っ直ぐにフリックの方を見て言った。
「フリックさん、お礼は必ず支払います。どんな形であれ、どうか先生を見つけ出してください。ロレンタさんのためにも、そして先生自身のためにも」
その後も依頼についての報酬などの細かい打ち合わせをしてからフリックは部屋を出、階段で一階へと下った。下った先では一つのテーブルを挟んで、置物染みた静寂を保っているイヴと、それに感化されたかのようにやや影のある表情を浮かべたロレンタが座っていた。やがて二人ともフリックの存在に気付くと、顔を上げて彼の居る方向を見た。
「あ、フリックさん。……ジョスカさんと、何をお話していたんですか?」
「まあなんだ、色々な事だよ。……お前が気にする必要はねえよ」
「……」
そう声を掛けるも、未だ晴れぬ表情のまま何かを言いたげにしているロレンタ。彼女はフリックから視線を外すと、座った姿勢のまま自らの膝の辺りに視線を落とした。
無理も無いだろう。ジョスカも言っていたことではあるが、父親がダンジョンに潜ったまま二週間も帰ってこないとなると、既に命は無いものだと考えてもおかしくはない。冒険者を雇っていたとはいえ、想定外の出来事の起こる可能性が常に付きまとうのがダンジョンというものだ。ゲオルグの雇った冒険者達がどの程度の腕を持っているかは知らないが、それなりの腕を持っていようと、ダンジョン内で不幸なアクシデントに遭遇して命を落とした冒険者など星の数程存在する。
「……お父さんは、私のお父さんは、生きて、いるんでしょうか」
ぽつりと、消え入りそうな声でロレンタはそう言った。
「さあな。それは俺にも分からん」
それに対して端的に、あっさりとそう答えたフリック。
「だがな、死んでいることを前提で探そうとするよりかは、生きていることを前提として探したほうが捜索に力も入りやすいと思うぜ? ……万が一死んでいたとすれば、その時はその時だ。泣くなりなんなり、好きにすれば良い」
続けて告げられた言葉に、ロレンタは顔を上げ、再びフリックの方に目を向けた。僅かな瞬間、驚いたように目を丸くさせ、その後困ったような笑顔を小さく浮かべた。完全にとは言えないが、ある程度気持ちは切り替えられたようだ。
「……その時はその時、ですか。……すみません、フリックさん。お父さんを探してくださいって依頼した立場の私が、弱気になってしまって」
「気にすんな。それとロレンタ、確かお前は親父さんがどういう研究をしているのか知らないんだったよな?」
「? 知りません、けれど……それが、何か?」
「何でもねえ、ただの確認だ」
フリックはそう告げると、ふいっと彼女から目線を逸らした。
ジョスカがもたらした数々の情報が、フリックの頭の中で反芻される。
人間の遺伝子に手を加え、より強靭な人間を造り出す研究。その内容を娘にも秘匿し続けてきた事実。そして娘と過ごす時間を放り投げ、狂気的なまでに研究に没頭していたというゲオルグ。そしてダンジョンの中にあると思われる、極秘の研究施設。
ジョスカが最後に言った、『それ以上に何か恐ろしいことが起こっているように思えてならない』という言葉が、いやに耳に付いた。
何か、嫌な予感がする。しかしここまで深く立ち入ってしまっては、今更足を止めることなど出来はしない。
フリックは頭を軽く振って雑念を払い、心構えを新たに顔を上げた。
一週間を目安に続きを投稿していこうと思いますが、
あくまでも目安なので少々、いや大分遅れることがあるかもしれません。