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「うっわ、こりゃひでえな……」
変異スライムが最初に陣取っていた神殿の最奥部、祭壇の間の奥まった場所に敷設されている水場を確認したフリックは、顔を歪めながら言った。
水場は所々毒々しい紫色の汚液で汚されており、水場に満たされた水と混じり合っている。色からして、明らかにあの変異スライムから分泌されたものだろう。
「この汚染水が循環機構を通って、川へと流れ込んでいたのか。川の水でいくらかは薄まっていただろうが、それでも大分危険な代物だな」
「っつーことは、これで問題解決ってことか」
「そういうことで良いのだろう」
「……よっこらしょ」
「ふふ、そうしていると、まるで親子のようだ」
「そこはせめて兄妹と言え。地味に傷つく」
背にイヴを負い、ずれ落ちそうになるのを直しつつフリックはそう言った。元々背負っていた背嚢は、今は逆に前面から腕に帯を通しており、胸から腹にかけての部分を覆っている。
「ああくそっ……あのスライムのせいでせっかくイヴに買った服が早々におじゃんになっちまったじゃねえか。街に帰ったら新しいのを買いにいくべきか……?」
「そうだな。今回の功労賞は間違いなく彼女だ。今度は私も選びに付き合うとしようか?」
「それは流石に勘弁してくれ……」
フリックはかぶりをふりつつ、ぴしゃりと言い切った。
「さて、一応脅威は排除できたが……っと、よく見りゃあ……」
フリックが振り返ると、自分達が潜った入り口と少し離れた場所にもう一つ、対称的な位置にもう一つの入り口がぽっかりと口を開けているのが確認できた。
「まだ未確認のフロアがあるじゃねえか」
「どうやらそのようだ。また何かが潜んでいる可能性も捨てきれない。一応確認しておこうではないか」
この通路は、先程フリック達が通った通路と対称的な造りになっているようで、灰色の石で組み上げられた壁や床、木枠の嵌められた窓などよく似た造りとなっている。恐らくは真っ直ぐに進んでいくならば、最初のフロアにて瓦礫で塞がれた扉へと繋がっていくのだろう。
しかし最初の通路とただ一つ、異なった部分があるとするなら、
「……何だあの部屋?」
「何だと言われても、私には答えようが無いわけだが……」
通路の途中に分岐が存在し、その先に扉が存在していることだった。
「地図を確認してみたが……入口から祭壇の間へと向かう、ここの西通路から更に西に向かって通路が伸びているようだ。丁度T字のようになっている。どうやら離れのような感じになっているらしい」
「離れか……なんかありそうな気はするな。主に高く売れそうなものが」
「そう都合よく存在するだろうか……精々新たな敵が潜んでいないことを祈るのみだが」
嘆息するスクーリオの横で、フリックがこんこんと軽く扉を拳で叩く。
「しかしこれ、どうやって開けりゃいいんだ?」
「うーむ……恐らくはこの部分に魔力を通して開ける仕組みなのだろう。術式は辛うじて生きているようだが……扉を開ける機構が風化してしまっているようだ。これでは開けられんよ」
扉をまじまじと観察しつつ、スクーリオはつらつらと答える。フリックの目からはいくら観察しても理解しようが無いが、エルフの目からとなるとまた違うらしい。
「イヴはこの調子だからな……仕方ねえ。ちゃっちゃとやるか」
フリックは前面に回された背嚢を探り爆火石を取り出すと、スクーリオに離れるように指示を出す。
そして扉のあちらこちらに石を仕込むと、複数の石に巻かれた帯状の覆いの端にそれぞれ延長用の細い紐を結び、それらを手に持つ。
そうしてフリックは自らも扉から十分に離れると、ある程度離れた所で手に持った紐を一気に引っ張り、石に巻かれた覆いを取り払った。
一瞬遅れて、重い爆発音が通路に響き渡る。
「……古い遺跡なので、余り手荒なことは控えてもらいたいのだが……」
「仕込む位置には気を使った。それにこの通路自体はそれ程崩れてないからこの程度くらいは耐えるだろ。それよりまあ、開いたみたいだ。入るか」
空間内は神殿の内部と同じ、静謐な空気に満ちていた。
辺りは書物、石版、古い時代の祭具等が不規則に並べられ、積み重なっている。
さながら資料の宝庫とも言うべき空間であり、その手の学者がこの場に居たならば狂気乱舞するのだろう。尤も金目のものを期待していたフリックは、それらに興味を持つことはなかったが。
「……何だありゃ?」
部屋の最奥部、入り口から目立つ位置に堂々とそれはそびえ立っていた。
おそらくは等身大と思われる、石で造られた女性像だった。
腕の良い職人によって作られたのだろう。杖を支える細くしなやかな腕と足、豊かに波打った長い髪、ひらめく衣装……その全てが緻密に表現されており、冷たい石であるにも関わらず今にも動き出しそうな躍動感に満ちていた。
「誰だ? 台座に何か刻まれちゃいるが……駄目だ読めねえ。何語だこりゃ?」
「見せてみたまえ。ふむ……ただの古代語だな。旧き時代における共通語だ。これならば私にも読める」
「古代語が読めるのか。それも長命種ならでは……ってやつなのか?」
「実家に残っていた一部の文献でも使われているものでね。このくらいなら読めないこともない……それはともかく、読むぞ」
「『この地に巣食いし、悪辣なる魔神を討滅せし者。彼の者に祈りと祝福を授けよ。大いなるものの加護受けし巫女、フューリアの名を永久の果てまで伝えん』……フューリアとな!?」
「うん? 有名なのか?」
瞠目したスクーリオの様子を見て、困惑するフリック。
「ああ、まさかこの時に彼女の名を聞くことになろうとは……これも運命の、いやそれこそ大いなるものの導きなのやもしれない。ここはもったいぶらず、詳らかに語るべきだろう」
「おい、何一人で感動して納得しているんだ……? 大丈夫なのかお前?」
「ああ、大丈夫だ。少し驚いただけで至って正気でかつ平常だ。……フューリアは何者か、という問いについてだが、少々長い話になる。辛抱強く聞いてくれれば助かるのだが」
少々引き気味な態度をとりつつも、フリックはその伺いに一度首肯する。その答えに満足したのか、吟遊詩人らしく詩吟を紡ぐような朗々とした声音でスクーリオは語り始めた。
「まず、君は千年前に起こった『災厄』についてどこまで知っている?」
「それは……確かすげー文明が栄えてた時、ある日突然世界に穴が空いて、そこから魔物やら化け物やらがなだれ込んできた、ってやつだろ? 暫くしたら穴は塞がったがすっかり文明は廃り、こっちに来た魔物はそのまま居着いて今に至る……だったか?」
「概ねその通りだ。私の方も様々な文献やエルフの間の口伝が情報の源泉である為、絶対とは言い切れないが」
うんうんと頷いた後、スクーリオは表情を引き締める。
「さて、重要なのはここからだ。千年前、この世界に流れ込んできた魔物だが、その中でも特に規格外の力を持った強力な存在である魔神が存在していた。その数、実に十柱。……そしてその十柱をたった一人で討滅してのけた人間が、巫女フューリアと言われている」
「この女一人で? ……どうやって?」
スクーリオの顔と石像のフューリアとを交互に見ながら、フリックは顔に疑問符を浮かべた。
石像のフューリアはたおやかという言葉が似合う清楚な姿の女性であり、魔神なんてものを捻り殺せるような豪傑には思えない。もしかしたらこの像は美化された姿で、本来の姿は……とフリックが余計な方向へと頭を巡らせそうになった時、スクーリオが解説を始めた。
「先程台座に刻まれた文の中に、『大いなるもの』という単語が出ていただろう。彼女はその加護を得、その力で魔神を撃退したのだよ」
「大いなる……?」
「簡単に言うならば、この世界そのものの意思とも言える存在だ。神と言い替えてもいいかもしれない。私達、エルフを含む精霊種は他種族よりもその存在を確かに感じ取ることができるのだが、フューリアは人間でありながら『大いなるもの』とより密接な繋がりを持ち、その力の一端を自在に行使したという。ならばこそ、人々は彼女を巫女と呼んだのだ」
「そりゃまあ、すげーことで……」
石像をしげしげと眺めつつ、フリックはぼやいた。神だの巫女だのと言われても、あまりピンとはこない、といった様子だった。
「で、だ。よく聞いてほしい。彼女の石像だが……じっと見て欲しい。君には見覚えがあるはずだ」
「……誰に?」
「流石に石像だと分かりにくいか……! コホン。記録によると彼女、フューリアの外見特徴だが……彼女は銀色の髪と、そして金の瞳を持ち合わせていたと言われている」
「……!」
フリックは改めて、目の前の女性像を見た。
どことなくあどけなさを含む目鼻、豊かに波打った長い髪。それらに先程スクーリオからもたらされた特徴を元に、色を重ねた姿を思い浮かべた。
フリックは背中に背負ったイヴを、肩越しに見やる。
銀の髪、金の瞳。世界を旅して回っていても、このような特徴を持った人物などそうそうお目に掛かれるものではない。
要するに、フューリアはよく似ていた。フリックが今背中に負った少女、イヴに。
「……なんとなく分かってきたぜ。お前が俺達に興味を持って同行を申し出た訳を……」
フリックの方を真っ直ぐ見ながら、頷くスクーリオ。
「その通りだ。ついでとばかりに明かしてしまうが、彼女……イヴ嬢からは『大いなるもの』の色濃い気配を感じるのだ。最初に出会った時から、強く」
「何だと?」
フリックは思わず、ぎょっとした表情を浮かべる。
「じゃあ何か? イヴはフューリアやその『大いなるもの』とやらと何か関係があるってことなのか?」
「そこまでは私にも分からない。あくまでも気配を感じ取れるのみであり、それ以上のことは分からないのだから」
一旦言葉を切り、改めてスクーリオは話始める。
「私が君達と会った時、彼女の容姿がフューリアに似通っていることも相まって、これは只事ではないと感じたのだ。私が君達と行動を共にすることを決めた理由は、彼女の正体……彼女や君がどのような存在であるか、見極めることだったのだよ」
「成程な……『大いなるもの』がどういうもんかイマイチピンとはこねえが、お前の目から見て、俺たちはどうだったんだ? お眼鏡にはかなったのか?」
「それを私の口から直接言わせる気か? 君は存外意地悪なのだな……」
含み笑い混じりにそう返され、思わず苦虫を噛み潰したような顔を浮かべたフリック。
「失礼、からかいも程々にしておくとしよう。……大いなるもの、そして彼女のことが深く知りたくば、海を越えた北西の果て。禁忌の地へと向かうのがいいだろう。危険は多いが、何、君達ならば易々と飛び越えられるはずだろうさ」
朗らかな笑顔で、スクーリオはそう締めくくった。
遺跡からトゥリスへ帰還してから、約一週間が経過した。
「……」
朝日が差し込む一室にて、イヴはフリックと向かい合い、共に軽いストレッチを行っていた。フリックの動きに合わせ、まるで鏡のように動作を真似ている。
汚染の原因と思われる変異スライムの討伐には成功し、その証拠も集めてテムスに提出した。……が、異変は確実に解消されたのかを検証する為に一週間の様子見期間が設けられ、その間彼らは大聖堂の一室を借りて過ごしていた。
「……流石に一週間も経てば大分調子が出てくるな。一応聞いておくが、身体におかしな所とかはあるか?」
「……」
ふるふると、彼女は細かく頭を横に震わせた。小動物のような愛らしい顔つきに反した、相も変わらずの無愛想ぶり。こちらも変わらず、平常だった。
「そうか」
問題無い、というイヴからの答えを受け取り、フリックは部屋を発つ準備を始めた。
「ええ、はい! ここ一週間様子見をしていましたが、あれからもう毒水は流れてきてはいません! つい一週間前は二日に一度の頻度で流れてきたものですが、おかげ様で最近は清らかな水のみが絶え間なく流れております! 貴方方のおかげです!」
本当にありがとうございます! と依頼人である司祭テムスから礼と報酬を受け取ると、フリックとイヴは大聖堂を後にした。
既に旅荷物も纏めてあり、いつでも冒険へと出かけられる用意である。新しいワンピースを買ってもらったばかりのイヴも、彼の傍らに居る。
今まさにトゥリスを出、次の街へと赴こうとしている彼らだが、肝心のフリックの表情はどこか怪訝そうなものであった。
「……しかしあいつ、本当によかったのか……?」
「……」
「まさか報酬の受け取りを辞退して、昨日出て行くとは思わなかったよなあ」
つい昨日まで共に居たエルフの若者の姿を思い出しながら、フリックはそう呟いた。
晴天の下、トゥリスから遠く離れた街道にて、一台の駅馬車が走っている。
乗員は御者を除いて七人程。護衛兼乗客として乗せられている冒険者の姿もあれば、恐らくは隣町に何らかの用事があるのだろう、何の変哲も無い町人の姿もある。
その中で一際周りの目を引いているのは、夜のような深い青紫色のローブで身体をすっぽりと覆った旅人である。上機嫌な様子で両手にリュートを抱え、鼻歌などを歌いながら調律をしているようだった。
「……なあ兄さん、立派なリュート持ってっけど、あんた吟遊詩人か?」
「む、その通りだが、私に何か用でもあるのかね?」
おもむろに話しかけた乗客の一人である男の言葉に、リュートを弄る手を止めたローブの人物。真っ直ぐに男の方へと顔が向けられたが、深く被られたフードによってその顔は窺い知れない。
「お代なら払うからよう、何か一曲唄ってくれねえか? 俺が住んでる村に魔物が出てよお……今から隣町の方まで行って掲示板に依頼を出してくるとこなんだよ。じっとしてたら嫌なことばかり考えて、どうしても気が重くなっちまう。何かで気を紛らわせておきたいんだ」
「成程、それは一大事だ。まかせてくれたまえ。そういう時にこそ詩や物語がある。――丁度新作も出来上がっていたのだ。是非とも聴いて、良ければ感想も聞かせて欲しい」
ローブの人物は頷くと手を止めていた作業を素早く終わらせ、座ったまま背筋を伸ばし、リュートを抱え持った。ローブの人物が弦を一撫ですると、じゃらん、と流麗な音が馬車内に響いた。
「では、始めるとしよう。――これより語りしは、一人の冒険者と、彼を慕う、一人の神秘的な少女の物語。……何、少し盛らせてもらってはいるが、大体は真実だとも。その辺りも加味して、楽しんで聴くと良いだろう」
リュートが紡ぐ弦の音と共にその人物は語り出し、その朗々とした歌声を引きつれながら、どこまでも続く街道を馬車は進んでいった。
二章はこれで終了になります。
投稿ペースを徐々に上げていこうと考えています。三章は多分一ヶ月くらい先になるかと思われます……。