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風吹く先のミチの果て  作者: 並木やまみ
聖霊奇想曲
13/15

「……結局引き受けてしまっていたが、何故あの仕事を引き受ける気になったのだ?」

「司祭のあの頼み込みようもあるが、昨日一日あの街で気分よく遊びまくったから、危険が迫っていたけど見捨てました、じゃ俺的に納得がいかなかったんだよ……」

 フリックの顔に、複雑な心中を現したかのような渋面が浮かんだ。


「報酬も神殿から支払われるから普通の依頼より割高だしなあ。最悪何らかの情報だけでも持ち帰ってくれればいいって話だろ? まあ何とかなんじゃねって思ったんだが……それを言うなら何でお前まで付いて来てんだ?」

「ははは、水臭いことを言うなあ。私はもうとっくに君達の一党(パーティ)の一人と思っていた次第だったが」


 むんっと妙な自信に溢れた表情を浮かべるスクーリオに、フリックはじとっとした、やや胡乱気な視線を送る。


「そりゃまあ着いて来てくれるってんならありがたい。弓や精霊術が使えるやつなんぞそうそう居ない。……だが本当によかったのか?」

 スクーリオの方を振り返りつつ、フリックは念を押すようにして言った。

「愚問だ。冒険者は自己責任の世界。私自身が着いて行くと決めた以上、どのような結果になろうとも後悔などしないさ。……ああ、勿論私にできる最大限、一党に貢献できるよう、努めよう」


 そう爽やかに言い放ったスクーリオ。最早こいつに言うべきことは何も無いと呆れるかのように、フリックはため息を零した。

 このエルフの男の妙な勢いに押されそのまま流されてしまうのにも、最早諦めにも似た慣れが湧きつつある。相も変わらず腹の底は読めないが、こちらに対する悪意が無いと断じられることが、唯一の安心できる要素ではある。


「……っと、見えるかイヴ。あれだよな?」

「……」

 フリックの指さす方向に、彼の傍らに居たイヴはついっと金色の瞳を向けると、こくりと一度頷いた。


 トゥリスの大堀へと繋がる大河に沿った、起伏の無い草原を北へと進む一行。

 比較的安全な道である街道から遠く離れ、無造作に生えた膝下の草をかき分け、道なき道を歩いていく内に、それは徐々に詳細な姿を見せていった。


 まず目についたのは、無造作に蔓草に浸食された、かつては壮麗な風景を見せていたであろう庭園。

 横倒しになった石柱、大分部が欠け落ちた石壁、その他大小様々な瓦礫が散らばっており、しかし正午の日の光を浴びるそれらは仄かに輝いているかのように見え、まるで一枚の絵画のように見えた。


「見事なもんだな」

「実に芸術的だ……このような場所が今や魔物の巣とは、時の流れとは口惜しいものだよ」

「……」

 素直な感想を呟き、情緒深く感嘆の息を漏らし、せわしなく周囲の風景をきょろきょろと眺める。三者三様のリアクションをとりつつ、三人は躊躇うことなく、しかし警戒を怠ることなく庭園を歩いて突っ切って行く。


「……しかし歩いてここまでやってきたが、本当に魔物と一度たりとも遭遇(エンカウント)しねえとは……精霊術ってのは本当に便利だな」

「視界は勿論、音、匂い……彼らは人族の気配に酷く敏感だ。それを察知して襲い来るというのなら、風の精霊に語りかけ、その力で気配を断ってしまえば良い」

 スクーリオがリュートの弦を一つ弾くと、緑光を纏った一陣の微風が彼に応え、月白色の髪の毛を揺らした。


 回りくどい言い回しだが、要するに精霊の力で風を操作しフリック達の音と匂いを遮断することで、魔物達に彼らの存在を気付かれにくくしているということらしい。

 通常、街から歩いてこの旧神殿に辿り着くまでの距離ならば二、三度は魔物と遭遇する羽目になるものだが、ここに辿り着くまでに魔物とは遭遇していない。

 遭遇数が減ることは、体力の温存に繋がる。素直にこれは歓迎するべきことだと、フリックは感心した。


 この庭園部分に魔物の気配は今の所無いようである。しかし油断はできない。

 見晴らしが良い為、その場所に近づくこと自体は容易だった。


 青い色に染まった、いくつもの尖塔が矢襖の如く天へと延びている。

 大河に半身をせり出すようにして建てられている、ねずみ色の四角の石が整然と積まれた建築物。永い時を経たものであっても、その美しさはトゥリスの神殿と勝るとも劣らない。


「トゥリス旧神殿、か……」

 近くに迫ったその威容を堪能するかのように、首を限界まで伸ばし尖塔の先まで観察しようとしているイヴを横目に、フリックは正面の入り口を目指す。


「この建築様式だと……ふむ。大体千年前後、といったところか。光威教は二千年以上の長い歴史を持つ宗教であるから年代に矛盾は無い。しかし千年の時を経て尚ここまで形を保っているのを見るに、『災厄』以前の技術が使われていると見るべきか……」

「おーいそこまでだ。観光に来たわけじゃねえぞ」


 旧神殿の外観を見ながら何やら熱っぽく推察するスクーリオに突っ込みを入れ、今度こそフリックは異常が無いか確認した後、正面の扉を蹴り開いた。


 神殿の内部は昼間だというのに薄暗く、窓から陽光が射してはいるがそれ以外の灯りは存在していない。

 内部は魔物の巣とは思えない程、しんとした静寂に包まれている。トゥリスと同じくこの神殿もやはり水を重視しているのか、細長い水路が床の両端に配置され、なみなみと水が張ってあった。


「ふむ……水が腐っていない所を見ると、外の河の水と絶えず循環していると見た。この年代の建築物で一体どのような循環技術が使われているのか、非常に興味が湧いて出て来るものだが……」

「おい余りうろちょろすんな。その距離だとフォローしようにもしきれねえぞ」

「失礼……あまり一党を組まなかったものなので、ついつい先走ってしまった」

 スクーリオがそそくさとフリックの方へと駆け寄った、瞬間。


 ずるずると、何かが引きずるような音が聞こえ来る。

 一方からではない。次々に寄せて来る波のように、その音は四方から不気味に反響していた。


「……!」

 注意しろ、という風に、イヴがフリックの服の袖を強く掴む。


 一行は目を凝らして、各々音のした方向へと注意深く視線を向けた。


 すると水音と共に、すぐ傍の物陰から矢のように、何かがフリックの方へと飛来してきた。

 反射的に身を躱すと、飛来物はフリックの背後にある壁にぶつかった。

 飛来物は粘性を纏った何かであり、それは壁に水跡を記しながらずるずると床へ滑り落ちた。


「スライムかっ……!」

「おっと、いきなり熱烈過ぎる歓迎をしてくれているようだ」

 感心したような声音で、スクーリオはリュートを構えた。


 瓦礫の影から、柱の影から、その他様々な物影から。

 ずるりずるりと、粘ついた半透明の身体をしたスライムが大量に湧き出て来た。


 スライムはその粘性を伴った身体を持つ為か、このトゥリス旧神殿のように適度な湿気があれば大抵様々な場所で見られるポピュラーな魔物である。魔物の中でも下等に位置する者であり、一個体だけならばそれ程脅威ではない。

 しかし一匹だけならばまだしも、四方八方から迫りくるこの数は容易に捌ききれるものではない。一行は徐々に扉の方へと追い詰められた。


 彼らは粘体の丁度中心部に、半透明の体である故にはっきりと視認できる、赤く丸い核を持つ。これを破壊すれば死に至るのだが、逆に言うとそれ以外ではいくら粘体を叩き斬ろうと殺すことはできない。

 下手に近寄ろうものならば、先程のフリックを狙った一体のように顔に向かって飛んで来る。彼らはそうして獲物の顔面に取りつき窒息死させるのだ。


「いきなりこれはキっツい……」

「ふむ、ならばここは任せてくれ」

 じゃらん。と、リュートを鳴らしつつスクーリオが前へと躍り出た。

 フリックが何かを言う前に、弦を掻き鳴らしつつスクーリオが朗々と詠唱を始めた。


「『白皙の肌の氷の乙女、その瞳は心を震わせ、その吐息は冬を呼ぶ!』」


 途端、周囲の空気がぐっと冷え、フリックは身震いした。

 たちまちどこかからか雪と氷片を伴った風が巻き起こり、周囲が雪煙に包まれる。


 風に覆われたスライムの集団はたちまち氷漬けになり、やがて完全に固まった。


吹雪(ブリザード)、か……?」

 魔法や精霊術にお目にかかる機会はそうそうないが、確か術の中でも高度なものではなかったか。


「いきなり初っ端からこんな大技飛ばして大丈夫なのか?」

「ふふ、完全に凍らせず動きを止めるだけと割り切っていたので、出力は抑え目にしておいたのだ。幸いスライムは体温が殆ど無くその身に含まれる水分量も多い。おかげで迅速に凍ってくれて、非常に助かった」


 余裕の表情でそう言ってのけるスクーリオ。


「さて、あとはこの数の氷像をどう処理するか、という問題があるのだが……」

「そうだなー。……あったあった、これだ」

 フリックは何やら背嚢を漁り、目当ての物を取り出した。

 じゃら、という金属同士の擦れる音を響かせながら取り出されたそれは、


「鎖分銅……まさかそんなものもあるとは」

「取り回しの良い打撃武器ってのは案外便利だぞ。例えばこういう時とかな」

 分銅を取り付けた鎖を勢いづけて振り回しつつ、スライムの氷像を前に、フリックはにやりと笑った。



 フリックの鎖分銅とイヴの拳で凍って身動きのできなくなったスライムの氷像、正確に言うならばその核をひたすら叩き壊していった。

 全て破壊するのに10分とかからず、このフロアに脅威は居ないことを念入りに確認すると、一行は先へと進んだ。

 次の通路がフロアの奥、左右の端の方にあるのは確認できたが、左の入り口はどこかから崩れたのか、巨大な瓦礫で塞がれていた。神殿の内部は外観とは裏腹に、かなり劣化が進んでいるようである。

 通ることは不可能と判断し、一行は右の入り口を選択し、進むことにした。

 

 通路は一定間隔に木枠の嵌められた窓がある以外には、特に特筆すべきこともない。ねずみ色の石が並ぶだけの面白みも無い廊下を進む最中、


「しかし……凄えな精霊術。魔物除けも対集団もお手の物か。便利だな」

「ふふん、汎用性の高さは認めようではないか。……しかし精霊術も万能という訳ではないさ。精霊術はその名の通り、精霊の力を借り、行使する。しかし逆に言うならば、その場に精霊が居なければ何もできないのだよ。このように……」

 スクーリオは石壁をコンコンと、軽く拳で叩く。


「空気の流れが悪く、風が殆ど吹かないこのような閉塞的空間だと、風の精霊からの影響は微々たるものだ。この神殿へやって来る時に用いた、風断ちの効果も殆ど現れないだろう。逆にこの空間は湿気が程良く、周囲に石が形作られている。水や地の精霊の助けならば期待できないこともない。……まあ、私は地属性は余り得意ではなく、そもそもそれはエルフではなくドワーフの領分であるのだが」


「精霊ってそこら辺にホイホイ居るものなのか?」

 何が見える訳でもないのに辺りを見回したフリックがそう問いかける。

「精霊は別名『普遍なるもの』とも言う。山野、森、川、海辺。獣、植物、虫、微生物……。命が芽吹き息づく所であれば、彼らはどこにだって存在する。つまり私はその場に偶々居合わせた彼らに頼み込み、ほんの少し力を貸してもらっているに過ぎないのだよ」


「つまり大抵、その場限りの関係か……」

「おい、嫌な言い方は止めるんだ。あえて否定はしないが」

 冗談交じりに呟かれたフリックのその言葉を、同じく何気ない調子でツッコミを入れるスクーリオ。イヴはやり取りの意味がよく分からなかったようで、フリックの傍らで小さく首を傾げていた。


 要約すると、精霊術というのは汎用性には優れるが、その場の環境によってできることがかなり変わってくるという、それなりにクセのある術であるらしい。段々とスクーリオの回りくどい言い回しに慣れてきてしまっていることを、フリックは漠然と自覚し始めていた。


「さて……私ばかり話していても面白く無いだろう。是非君達についての話も聴きたいのだが、どうだろうか? 君達についての興味は尽きない。いつ、どのようにして出会い、こうして共に旅を続けているのかを、是非是非聞かせて欲しい」

「俺達についてか? 別にそれ程面白い話でもないぞ。6年前にイヴと会って、その後いろいろあって旅をしている。これだけで十分語り尽くせるような内容だ。……悪い、昔のことはあまり語らないようにしているんだよ」

「そのいろいろの内容が気になるのだが……むう。冒険者とは過去という荷を捨て、彼方へ飛び立たんとする渡り鳥。私もこれ以上の無粋な詮索は控えるとしよう」

 少し不服そうな表情で、スクーリオはリュートの弦を一撫でした。


 そうして進んで行くと、やがて次の部屋へと続くだろう出口が見えてきた。

 戸が無く壁面が四角く切り取られたのみの簡素な出口を通過すると、そこは広大な空間だった。

「ここは……祭事や儀式をするための空間か? 奥に祭壇が見える」

「て事は……おいおいここで行き止まりか?」

「普通の神殿の基本構造ならば、恐らくそうだが……何だ? 何かおかしいぞ」


 スクーリオは険しい顔で、周囲を見渡す。

 薄暗い神殿は相も変わらず耳が痛くなるような静寂を保っており、自分達以外の何者かが潜んでいるようには思えない。

 しかし彼の言うような言い知れない違和感は、フリックの方も感じていた。


 ぴちゃ、とどこかで水が跳ねる音が聞こえた。


「――!」


 途端、イヴが何の前兆も無しにフリックとスクーリオの腕を引っ掴み、一瞬の内にその場から飛び退いた。


「うおっ!?」

「ぐぅっ!?」

 瞬間的に強い力で腕を引っ張られた二人はあわや脱臼寸前の状態で投げ出され、無防備に地面を転がった。


 フリックが傍らですぐさま立ち上がったイヴに何事かを問いただそうとした瞬間、

 ばちゃっ、と、重い音が彼らの耳朶に届いた。水分を多量に含んだ、重く大きい『何か』が落ちてきたような、そんな音が。


 音を聞いたフリックは瞬間的に飛び起き片手剣を構え、つい先程まで自分達が居た場所に立つそれを見た。


 小山の如き、巨大なスライムがそこに居た。

 全長はフリックの二倍以上であり、その巨大な粘体は絶えず蠢動を繰り返している。

 特徴的なのは体色であり、通常のスライムは白がかった半透明の色であるが、その巨大なスライムの体色は毒々しい紫の色だった。

 スライムは亜種が多いとは言うが、流石にここまでの大きさを誇るものはそうそう存在しない。


「――っ変異種か!」


 正確に言うならば突然変異種。

 その場の環境に適合し、独自の進化を遂げることで生まれた種の一区分が亜種ならば、何らかの原因で元となった種とは大きく隔たった能力を備えた個体は突然変異種と呼ばれる。


 当然変異種は、通常の魔物より強力な個体であることが殆どである。通常のスライムがフリックの膝下程度の大きさであることを鑑みた上で、この小山のような巨体を見れば自ずと理解できるというものだろう。


 とっさにフリックは懐から投擲用のナイフを取り出し、投げつけた。

 変異スライムは避ける素振りもないまま堂々とナイフを身体に食い込ませ――粘体に取り込まれたナイフはたちまち日に炙られた飴のように蕩け、小さくなっていった。


「んだとぉ!?」

 目を剥いてフリックは叫ぶ。スライムの粘体に消化能力はあるが、せいぜい動かなくなった獲物を取り込み、何時間も掛けて溶かさなければならない程度のものでしかない。柄の木製ならばともかく、刃の金属をもたちまち溶かすような溶解能力を持ったスライムなど、今まで聞いたこともない。


「『赤き鼻の霜の小人よ、土を持ち上げ、行く手を阻め!』」


 そこへ、スクーリオの詠唱が響いた。

 変異スライムの周囲に埃のような細氷が舞い飛んだかと思った瞬間、周囲の地面から数本の巨大な氷柱が出現。スライムの粘体に切っ先が食い込み、一気に貫いた。

 しかし中心の核には至っていない。……が、貫いた氷柱からたちまち冷気が発生し、触れた箇所から少しずつその粘体を凍らせていった。


「よし、このまま……!」

 このまま凍らせていけば、身動きを取れなくさせられる。勝ちの予感を感じたフリックだったが、


「――」

 変異スライムは冷気が核に到達する直前、力を込めるように、急激にその粘体を縮ませた。


 次の瞬間、収縮した粘体によって何らかの圧力が加わったのか、引き延ばされ、潰されるように、凍りついた粘体部分は高い破砕音と共に砕け散った。

 氷柱の拘束から逃れたスライムは砕けた氷となった自分の身体を意気揚々と取り込み、みるみるうちに氷を溶かして吸収することに成功した。


「何だとぉっ!?」

「こんなんアリかよ……」

 フリックは元より、流石にスクーリオの方も衝撃を隠せず愕然とした表情を浮かべていた。


 そしてそんな冒険者達を更に追い込むように、ずるりずるりと変異スライムは這い寄って来る。

 ぐにゃり、と体の上部分がばっくりと裂け、歪な断面が露出する。その様はまるで乱杭歯の獣が、牙を向いて笑っているかのように見えた。


「……っ」

 どうする? 片手剣を構えながら、フリックは思考を開始する。

 中心部にある核に届かなくては、攻撃はほぼ無意味なのは必至。

 目の前の魔物の得体の知れなさに、フリックは下手に動くこともできないでいた。


「……!」

 その時、フリックの傍らを風のように通り過ぎていく影があった。


 イヴである。彼女は変異スライムの方へと真っ直ぐに駆けて行く。スライムの裂けた口のような部分から体色と同じ色の液体が射出されるが、それを彼女は華麗に避けた。

 床に着弾した液体から、微かな煙と共にしゅう、という音が聞こえる。スライムの粘体から生成された溶解液と思われた。


 変異スライムは今度は口部分を大きく開け、イヴを飲み込もうと矢継ぎ早に食いつきにかかった。彼女は一切怯むこと無く、そのまま次々に繰り出される攻撃を躱し、スライムと付かず離れずの距離を維持している。


 フリックは彼女の意図を察していた。

 非常に悔しく情けないことに、体力、持久力、俊敏性、そしてどんな相手であろうと身一つで面と向かって相対する度胸。これらに置いてイヴは保護者であるフリックを大きく上回っている。


 そして未知の魔物と出会い、出方が分からず膠着状態に陥った際、そんな彼女が矢面に立って敵の引き出しを探ることになるという機会は、これまでもままあったことだった。

 その間、魔物の行動パターンを観察し、それを元に打開策を探る役目はフリックが担っていた。


 スクーリオがフリックに駆け寄り、どうするべきか、と問うような目つきを向ける。今横合いから手出しをすれば変異スライムの敵意(ヘイト)は間違いなくイヴからこちらへ向かう。そうなっては彼女が出てきた意味が無くなってしまうだろう。フリックはスライムから目を離さないまま、ジェスチャーのみで彼を制した。


 変異スライムから時々放たれる溶解液の流れ弾が足元近くを跳ねることにも構わず、フリックは頭の中で分析を続ける。

 敵の気を引かせてくれている相棒に感謝をし、かつ余計な心配をして思考が鈍ることのないよう、できる限り意識しないことを務めつつ。


 主な攻撃動作は食いつき、溶解液射出。リーチ、動作速度、動作後の隙。

 それらを観察し、これまでの要素を加えて考える。


 鉄をも溶かす体を持ち、しかしその内にある核を狙わねば倒れない敵に、どう挑む?

 生半可な氷の術では先程のように砕かれ、吸収されるのがオチである。


 思考の時間は実際には10秒程のものであったが、極限に集中している彼にとっては、一時間にも二時間にも引き延ばされているように感じていた。

 引っ掻き回すような勢いで脳内を稼働させ、方法の一つに手が届きそうになった瞬間――


 変わらぬ応酬を繰り広げていたイヴと変異スライムの頭上から、がらり、と不吉な音が響いた。

 イヴはともかく、変異スライムがその巨大な体積で派手に動き回れば、建物は大なり小なり揺さぶられることになる。

 そしてその振動は、千年を経、人の手が完全に薄れた建造物には耐えがたい負荷であっただろう。

 必定の出来事だと言わんばかりに、巨大な変異スライムよりも更に一回り大きな石造りの瓦礫が、大小の礫を伴ってイヴとスライムらに向かって落下する。


「これはっ――!」

 スクーリオが弦を掻き鳴らし、氷塊を生成する。氷塊は何者の手にも依らずに自動的に射出された。

 イヴに向けて落ちようとした瓦礫や礫はいくらかは排除できたが、それでも決定的には至っていない。

 風を起こすにはこの閉塞空間では足りず、より巨大な氷塊で一気に瓦礫を面制圧しようにも、時間が足りそうになかった。


 当然のように、イヴは瓦礫をやり過ごそうと後方――フリック達の居る方向へと飛んだ。

 しかし、変異スライムはそれを見逃さなかった。


 雨のように降り注ぐ瓦礫の中を物ともせず、当たれば致命的なものになりうるものだけを的確に避け、スライムは滑らかな挙動でイヴに急接近する。


 イヴは一瞬、ほんの瞬きの間のみ、瓦礫に注意を向けてしまった。

 しかし、その一瞬が致命的だった。




 時間が止まったかと錯覚する程、その一瞬はひどくゆっくり感じられた。

 白いワンピースはたちまちどす黒い赤色に染まり、フリック達の方へと派手に転がる体と床を、赤い液体がたちまち汚す。

「――。」

 脇腹を食い破られたイヴはおぼつかない足取りではあったが何とか立ち上がろうとして――それも叶わず、足元から崩れるようにして倒れ伏した。


「!」

 フリックは即座に駆け寄り、ひったくるような勢いで彼女の身体を床から引き剥がし、両腕で抱えた。

「逃げるぞ!」


 言うが早いか、フリックは元来た入口の方へと走り、その後をスクーリオが追った。



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