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再び走り出した駅馬車はその後何事も無く走り続け、やがて目的地である都市の門前に到着した。
護衛分が差し引かれた料金を御者に支払ったフリックとイヴは馬車から降り立ち、街の外観をざっと眺めると、
「はぁー……」
二人揃って目を丸くさせ、無口なイヴを除いたフリックのみが、感心したような声を上げた。
まず目に入ったのは、都市全体を丸々囲む巨大な堀。
堀の幅は大河を思わせる程広く、ともすれば巨大な湖の中心に街が立っているようにも見えた。水面が街や空の青を反射し、鏡のように映し出している。
魔物や賊の侵入を可能な限り排除する為に、街を壁などで外界から遮断することはごくごく一般的ではあるが、堀、それもここまで巨大なものはフリックも初めて見るものだ。水面をよく見れば、魚が泳いでいるのも確認できる。
堀の中心に立つ街は、高い壁に阻まれその全容は知れない。しかし中心へ行くに従って、水のような青色に塗られた尖塔の屋根が立ち並んでいる。都市らしく大きな建物が密集しているようだ。
「……」
「こりゃ凄いな……おいイヴ、あまり近づくな。落ちるぞ」
もっと近くで水面を見ようとするイヴの肩を引くフリック。地面と水面の間の高度差はあまり無く、万が一落ちても大事には至らないだろうが、これから街中に入ろうというのに早速ずぶ濡れになられても困る。
「ふぅーむ。事前に聞いていた通り、外観を見るだけでも壮麗さが漂ってくるようだ。流石噂に聞く水の都市、といったところか!」
フリック達の隣で、片手で庇を作りながらスクーリオが感嘆の声を上げていた。
岸から堀を渡り都市までに至る橋を渡り、開け放されている門を潜る。
門を潜れば石造りの建物が多く立ち上り、多くの人々が行き交う道へと出た。
規則正しい形で灰色の石が敷き詰められた道の至る所には、側溝程度の幅のものがあれば、小川程度の幅があり橋を架けなければ渡れないもの、極めつけは橋状に高く設けられ、頭上で建物と建物の間を架けるもの――とにかく大小様々な水路が所々に張り巡らされていた。
そしてその水路のあちこちには水力機関……俗に言う水車が、水路の大きさに伴ったこれまた大小様々な大きさで配置されており、今も止まることなく回り続けている。水力機関自体はどこの街や村でも見かけるものであるが、流石は水の都といったところか。周囲の水路にそこかしこで回る水車の様子は、まるで祭などで時々見かける玩具の風車の屋台の如しといったところであった。
あちこちで回る水車を、傍らに居るイヴがきょろきょろと興味深げに見渡す。耳に心地よいせせらぎと、水車が軋む音が同時に聞こえ来る。
建物の屋根を例外なく彩るのは、水底を想起させる深い青色。人が集まる都市であるにも関わらずどこか洒脱で落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
この街、トゥリスは西方に聳える山脈から川となって流れ来る清水を引き、その水路が街のあちこちに張り巡らされ独特の美しい景観を醸し出していることから「水の都」と呼ばれている。住民の生活用水だけでなく街の周囲を囲む堀も、街中を巡る水路もすべてその山脈からの水が用いられているという。
「……というのが先程商人から聞いた情報だ。それとこの街は『光威教』の大神殿があるらしく、それを目当てに訪れる信者も多いそうだ。因みにこれだけ大規模の堀をわざわざ付近の水場から水を引いてまで作り上げたその驚きの理由というのが――」
「そうかそうか。それはともかく何でお前付いて来てんだ?」
傍らを当然のような顔で歩くスクーリオの顔をまじまじと見ながら、フリックはそう返した。
「水臭いことを言うな。友情の証として固く握手を交わした仲だろう」
「何であれだけでそんなもんが成立すると思ってんだよ……」
愕然とした表情を浮かべるフリックに、鷹揚な笑みを湛えながら更にスクーリオが告げる。
「まあそれはそれとして、純粋に君達に対し興味が沸いたから、という理由では不足かね? 謎めいた美少女と彼女と共にあらんとする冒険者、という取り合わせ。んん……私の芸術を愛する心に、非常にクるものを感じるぞ」
「そうは言われてもだな……」
眉間に皺を寄せ、非常に渋そうに顔を歪ませているフリックの言葉を先回りして、スクーリオが直ちに代弁する。
「分かっている。会ったばかりの私が信用できないという考えはよくよく理解しているとも。決して君達の邪魔はしない。もしも私を脅威と判断したならば、いつでも遠慮なくこの首を掻き切ってくれて構わないとも」
そうまで言い切ったスクーリオに、フリックは増々疑念を募らせた。
聞くところによるとエルフは少々とっつきにくいきらいはあるものの、基本的に人間が持ち得るような悪意や欲望の度合いが著しく低く、秩序を重んじる善良な種族だという話である。従ってこのスクーリオが何らの悪意を持ってフリック達に近づいている、という可能性は低いように思えるが……
フリックは、傍らに居るイヴの方を見た。
イヴはどういう訳か、初見の人間がこちら側に対し悪意を持っているか持っていないかを大体判別できる。そして相手側にこちらを害そうとする悪意がある場合はフリックの服の袖を強く掴む等、分かりやすく態度で示す。フリックが彼女のこの能力に助けられた経験は、両手両足の指の数でも足りないだろう。
彼女は平常通りの無表情で、スクーリオの方を見た。そして不意にフリックの方を振り向き、小さな顎を引くように一度こくんと頷いた。
この男は大丈夫、ということらしい。
フリックは少し考えた後、スクーリオに向き直った。
「もしも俺が付いてくんな、と言った場合、お前どうするつもりだ?」
「その時は同行することを潔く諦めて、君達に気付かれぬよう後方からじっくり観察することとしよう」
「気色悪っ!!」
後ろめたさとは無縁と言いたげな堂々とした表情から放たれたストーキング宣言に、フリックは弾かれるようにして飛び退った。
ここで下手に申し出を断り、後を着けられこそこそ観察されるよりかは目に届く所に居た方がまだマシというものだ。腑に落ちない点はあれど、自分達に対する害意が無い、ということならば、とりあえずは問題無いだろう。
「はあ……そうかそうか。勝手にしとけ」
「うむ、感謝する。お言葉に甘えさせてもらうことにしよう」
満足げに頷きながら、スクーリオはそう言った。
「それで、君達二人はこれからどうする?」
「まずは宿だな。部屋を確保した後は……とりあえずは街をぶらぶらしてみるか」
「成程、優雅な観光というわけか。実に良い。」
うんうんと、頷きながらそう返すスクーリオ。その表情は心の底から嬉し気であり、その真意は読めそうにない。
「本当に何なんだこいつは……」
ため息をつきつつ頭を掻くフリックの肩を、傍らに立つイヴが慰めるようにしてぽんぽんと軽く叩いた。
フリック達は大通り近くにある、そこそこに評判が良いと聞く宿にて部屋を確保し荷物を預けた。
その後、都市内にある治安維持の為の王国兵の詰所まで向かった。目的は勿論、約束していた謝礼である。取決めをしたのはつい三時間程前の話だが、訓練された鳩の速度ならばもうとっくに着いており、謝礼も用意されている頃合いと見るべきだろう。
詰所内に入ろうとした時スクーリオは「受け渡しの場に私が居ては落ち着かないだろう」と言って、詰所内には入らず入り口で一人待っていた。正直最初に話しかけてきたタイミングからして謝礼目的で近づいてきたのでは、という疑念が完全に拭えたわけではなかったので、フリックは少々意外に感じた。
王国兵からの感謝の言葉と共に受け取った謝礼は自分の財布には入れず、イヴが背負う背嚢に入れる。例え自分の荷物が紛失したとしても、こうして保険をかけておけばどうにかなる。貨幣や財宝、交換価値のあるものをなるべく分散させ万一の時のリスクを減らすのは、冒険における鉄則である。
入口へと戻りスクーリオと合流すると、フリックは空に浮かぶ太陽を見た。日はまだ高く、現在は昼時を少々過ぎたところであるようだ。
「……遅めだが飯でも食いにいくか」
「うむ、この時間だと客も空いているだろうからな。……ああ勿論自分の分はきちんと自分で出すとも」
川から水を引いて周囲の堀や水路を構築している都なだけあり、ここでの食事は主に堀を泳ぐ川魚を使ったものがメインであるようだ。
香草と共に蒸された魚の料理を淡々と、そして素早く。流れるようにフォークで口へと運んでいくイヴの様子を見て、フリックの対面に座るスクーリオは目をぱちくりとさせながら問いかけた。
「……気持ちが良いくらいの食べっぷりだが、彼女はいつもこうなのか?」
「うん、まあ、大体こんな感じだな」
通りがかったウェイターに追加の注文をすると、フリックは続けて話しかけた。
「そういうお前も。エルフも魚食うんだな」
「まあ、エルフは菜食主義でもなければ厳格な宗教めいた戒律も存在しない。故郷の里でも森の動物を狩って食らうのは極々普通に行われていたことだ」
下手をすれば偏見ともとれる何気ないフリックの感想を、スクーリオはにこやかに応対する。エルフに対する人間からの偏見にも慣れきっているようだ。
「森の生態系に悪影響を及ぼす程に狩り過ぎるのは駄目だがね。ある程度の範疇ならば、生命の尊い循環の一部として扱われる。勿論、それはここの魚でも同じことだ。……うん、まことに美味だ」
串を通し、塩焼きにしたものを食べる。
そんなもんか、と子魚を揚げたものを口に放り込んだフリック。かりっと噛み潰すと、ふっくらとした白身の旨味が口の中全体に広がった。うまい、と素直に感想を心の中で述べる。
「なあ、エルフの里ってどんな所なんだ?」
「ほう、私達に興味を持ってくれたか。嬉しい事だ」
スクーリオは皿の傍に置かれていた冷水を一口飲んで、口を湿らせてから語り始めた。
「森に守られた穏やかな所さ。風の音に、鳥の囀りに、精霊の囁きに耳を傾け、その日に必要なだけの糧を得、静かに暮らす。ふと思い立てば、数日しか過ぎていないようにも、何年もずっとそうしてきたようにも思えるような、不思議な時間間隔に陥ることがある。……これを話した人間の大半は『つまらなさそう』だの『老人しか暮らせなさそう』だの言うのだが、君はどう思うかね?」
そう問われたフリックの顔は渋いものを口に含んだような、なんとも微妙な表情だった。どうやら彼が抱いた感想は、スクーリオの言う『大半の人間』のソレとある程度一致していたようである。
「いや……なんというかそうだな、変化に乏しそうだ。エルフはあまり森から出たがらないそうだが、その生活を楽しいと思えるもんなのか?」
精一杯自分なりに言葉を選びつつ、フリックは問い掛けた。そんなフリックに対し嫌な顔を一つも浮かべることなく、スクーリオは彼の問いに答えた
「変化ならば満ちに満ちている。森の生き物達の様子、草木の瑞々しさや、枝のねじくれ具合……。エルフの生活に慣れればおのずと感じられるさ。街のような刺激は無いにしてもだ」
語り口調は相当長い間人間社会を放浪している為かあくまで客観的ではあるが、彼の表情は郷愁を帯びており、故郷への愛は捨てていないことが見て取れた。
「それに、エルフの里は魔物や外界からの侵入者を阻むための呪いや精霊の祝福によって、内部の安全が保障されている。まあ勿論生まれて間もない子供などは好奇心から外に出たがるものだが、殆どの子供は大人によって外の世界の危険さや理不尽さを学び、結局今居る里が一番安全な場所だと認識するのだよ。エルフの性は、危険より安全を重視するものだ」
「ふうん……そんなもんか。折角精霊術だの何だのが使えるってのに、勿体ない話だな。エルフならそこらの盗賊や魔物程度、どうにかなるんじゃねーのか?」
「大雑把に言っていまえば、エルフは基本的に人間と比べ、各種の感覚が研ぎ澄まされているというだけの種族だ。精霊術も弓も、万能とは程遠いさ。それに大前提として、私達は争いを好まない。常日頃より殺し殺され合う、森の外の世界を野蛮と考えているエルフも少なくない」
それを聞いてふと思い立ったように、フリックは言葉を投げかけた。
「ふうん……なら、お前は何で森を出て旅をしているんだ?」
「よくぞ訊いてくれた! 私が旅をする理由は、他ならぬこれだとも」
スクーリオは懐からリュートを取り出し、フリック達に見えるように手に持ってみせた。
一見普通のリュートだがよく見れば、まるで木から削りそのまま彫って作られたかのような、木彫りの味わい溢れる無数の小さな凹凸がある。エルフ特有の技巧で作られているのだろうか、とフリックは適当なことを考えた。
「私はエルフの里において、古い伝承や歴史に関する文献を管理する一族の生まれなのだよ。故に幼いころからそれらの物語を数えきれない程読み漁ってきたのだが、そんな私にある日天啓が下った。……これらの物語を吟遊詩人として世界を練り歩き、語り継いでいくことこそが私の使命なのではないか、と!」
「お、おうそうなのか……」
やはりこいつは頭のネジが5,6本は外れている。フリックから送られる若干冷ややかな視線を感じたのか、「待ちたまえ待ちたまえ」と弁護するかのようにスクーリオは言葉を続けた。
「付け加えさせてもらうと、私の家にあるそれらの文献には、外の世界についての描写も数多く書かれていたのだ。時代や場所を選ばない、世界全体で起こった出来事を元に書かれていたのでな。しかしご先祖や一族を合わせても、私程文献漁りにのめり込み、外の世界に興味を持った者は居なかったらしい。森の外に出ることは里総出で猛反対されたよ。……まあ恥ずかしいことに、夜逃げ同然で出てきてしまった訳だが」
バツが悪そうに肩を竦めたスクーリオは、そこでふと思い立ったかのようにしてリュートの弦を一撫でした。
「うむ、話をしていたら舌が乗ってきた。折角なのでここで一曲歌わせて頂こう。――そうだな。この時語るは、世界の終わりにして始まりの物語。十の災厄を打ち倒し人々を希望に導いた巫女の――」
そこに、近くに居た給仕の男性が近づいてきて、困り顔でこう述べた。
「あの、お客様。できれば店内では静かにして頂きたいのですが……」
「……申し訳ない」
いそいそと、非常に申し訳なさそうに演奏を中止し、スクーリオはリュートを懐に仕舞い直した。