08情報
アビーの家で僕たちはリュックを攫っていった男と向き合っている。
彼は逞しい体を縮めるようにして脱いだ帽子を両手で握り、ばつの悪そうな顔をしていた。
「紹介する。ジェイムズだよ。さきほどはちょと乱暴なことをしたけどね。リュックを返しにきてくれたんだ」
――え。えーと? ちょっと乱暴なこと? そうなのか?
なにがどうなったのかよくわからない。
「ジェイムズ、さっき話したアビーだ。あっちのテーブルに座っているのが――」
「ケンジとソフィアよ」
目で問うたジョセフにアビーが答えた。ジェイムズという男がそのアビーに顔を向けている。
「アビー。ジェイムズだ。旦那にはそのう。世話になった。礼をいう」
アビーは頷きながらもジェイムズをがん見している。
数歩進んでこちらにきたジェイムズがすまなさそうな表情をしている。顔をしかめ、沈痛な面もちだ。
「ケンジ、さっきはすまなかった。エルフにはこの通り何の危害も加えちゃおらん。ここへ来たのはエルフを返すためとこうしてあんたたちに謝るためだ」
僕は軽く手を振った。
「もう傷は治ったし。リュックも帰ってきたから」
「いや。仲間のやったこととはいえ傷を負わせたことは悪かったよ」
「ケンジをやったのはジェイムズじゃない。だが彼がリーダーだそうだ。だからここにはジェイムズだけを連れてきたんだ」
みるからに嫌そうな表情をしてジェイムズは顔をねじり後ろにいるジョセフを見た。しかし首をふってこちらへ向きなおり、やおらソフィアに目をむけた。
「お嬢さんすまなかったね。エルフから聞いたんだけどよ。あんたリアムの居場所を探しているんだって?」
「え? ええ」
怪訝そうな表情をしてソフィアがジェィムズを見ている。彼女は膝にリュックを抱いていた。両手でリュックの背中を撫でていて、リュックはソフィアの肩におでこを乗せてふにふにしている。足元には、背負っていた茶色いバックパックが置かれている。
「なんぞ書物を盗まれたとか」
「え。ええ。ええ」
二度も頷いているソフィア。いまその手はリュックの髪を撫でている。
「俺っちあいつとはちょっと因縁があってな。ここはひとつお嬢さんたちに情報提供をしようと思ってやってきたんだ。なんだったらいっしょに行ってあいつをやっつけてやってもいいんだって言ったんだけどよ。この旦那がよけいなことはせんでいいって言うもんでな」
まいったよという風にジェイムズが頭をかいた。
「しっかしよう。俺っちいっしょに行かなくてあんたたちだけでできんのか? あいつに?」
「お申し出はとてもありがたいんですけど――」
「ジェイムズ。おまえは行かなくていいと言ったろう」
ソフィアが答えようとしたのを遮ってジョセフが言った。
「エルフが嫌がっている。それとエルフから聞いたが、別にリアムをやっつけることが目的じゃないそうだ。盗られたものを取り返すだけなんだよ。おまえが一緒に行ったらややこしくなるだけさ」
またぴくりとジェイムズの肩が震えて不愉快そうな顔になっている。
「そうかい。ならそういうことで――」
「あんた何を知ってんの?」
いきなりアビーが言った。あいかわらずジェイムズを睨むような厳しい目を向けている。
「へえ。リアムの住んでいる町を知ってるんだ。ここからふたつ先の町でさ。パンドラってとこだ」
「あ! パンドラ? そこ! 知ってる! あたし行ったことある」
急に声のトーンがあがったアビーの様子に、それを見ていたジョセフが顔をしかめている。「アビー」と言って手を額に当てている。
「パンドラという町のどこにいるのかしら?」
優しい口調でソフィアがジェイムズに尋ねた。リュックを抱きながら、さらりと肩から落ちてきた髪をすばやく手ではらって、ジェイムズをじっと見つめている。
どぎまぎしたようにジェイムズが目をうろうろさせた。手にもった帽子を胸の前でくしゃくしゃにしている。
「い。いやあ。そこまではちょっと。わかんねえっす。どうもすまんね。だけどもパンドラにリアムの住む家があるってことはまちがいねえ」
しんとした空気が数秒間流れた。
「ええっと。旦那。これで俺っちは帰っていいのかい」
「いいよ。――おまえのことは網に記憶しているからな。足跡を辿るのは簡単だ。これからは少なくとも私のいる前では悪さをするんじゃないよ」
ぐぬぬという表情でジェイムズはなにやら言葉を呑みこんでいるようだった。
そして視線をさまよわせたその目がふたたびソフィアを見て止まる。
目が合ったのかソフィアは静かにジェイムズを見上げている。
「もう、ああいうことはしないでね。リュックがショックを受けているから。リアムの住む町を教えてくれたことはありがとう。助かりました」
「リュックっていうのか。ごめんな。もうしないよ。それからお嬢ちゃん、応援が必要なときは呼んでくれ。お詫びにさ。なにかしたいんだ」
「何もしなくていいから。ジェイムズ。おまえの仲間にも私の言葉をようく伝えておくんだよ」
入ってきたときと同じように身を縮めるようにしてジェイムズは部屋を出ていった。
* * * * *
ジェイムズが去ったあと、アビーが温かい飲み物を人数分のカップに入れてテーブルに持ってきてくれた。
それはココアと同じような味がした。ほっと落ち着く甘さで腹も温まってくる。
みなで飲みながらひと息つく。
アビーとジョセフは、この家に泊まっていくようにと誘ってくれた。なによりリュックのことを考えて、僕とソフィアはアビーたちの言葉に甘えることにして、今夜はここに泊まることに決めた。
相談の結果、アビーのベッドにソフィアとリュック、アビーはジェイムズのベッドに、ジェイムズと僕はソファーに寝ることになった。
「ねえ。あたしもいっしょに行くよ。ケンジ、いいよね?」
ココアを味わいながら僕はだんだんと眠気を感じ始めていた。その眠気が、アビーの言葉でふわっと飛んでいった。
「そ。それは。どうなんだろう。僕よりもジョセフさんに」
急に想定外のことを言われたせいで胸がどきどきしている。
「な。あたしも付いていっていいよな」
ソフィアとリュックに向けて、どことなくうきうきしているような口調でアビーが話している。
「いいよいいよ! 付いておいでよ。一緒に行こう」
マグカップをテーブルに置いてリュックが立ち上がっている。
「ねえソフィア、アビーがいっしょに行くって言ってる」
「そうねえ……」
「だめだ」
きっぱりくっきりとした声が響いた。
ジョセフが腕を組んでアビーに目を向けている。
「なぜよ? あたしあの町には行ったことがあるから、この子たちだけで行くよりもいいと思うんだ」
「リアムとかいう魔術士。いい噂はきかない。私はここでやらなきゃならないことがあるからいまは一緒に行けない。だからアビーもだめだ。おまえを危険な目に遭わせたくない」
「危険なことはしないよ」
むうっとした顔でアビーが兄をじいっと見ている。
「おまえがまともに操れるのは治癒魔法ぐらいだろう。それだけじゃ危ないんだ」
ジョセフもますます苦い顔になっている。
「アビーに何かあったら父や母に申しわけが立たない」
「あのう。私」
ソフィアの細い声にジョセフがそちらへ顔を向けた。
「アビーさんが来てくださったら私としてはとても心強いです」
「いやいやとんでもない。かえってご迷惑をお掛けするかと」
「いえ。こちらこそとんでもないです。ええ。私からもぜひお願いします」
ふうとジョセフが息を吐いて腕を組みなおしている。
「兄さん」
ジョセフがアビーを見た。
「兄さんが心配してくれるのはうれしいけどさ。あたしはソフィアたちが心配なんだよ」
「ジョセフさん……」
「オレもオレも! アビーと一緒に行きたい!」
「同意です」
僕もひと言添えた。アビーも一緒だったら楽しいだろうなと思った。
ジョセフが顔を上げた。細い目がアビーを見ている。
「わかった」
がたんと椅子の音がして、アビーがジョセフに飛びついた。
「ありがとー。ジョセフ。大好きー」
ぎゅっと抱きついている。ジョセフは表情を変えない。頬にちゅうまでされているがそれでも渋い顔のままだ。
「ただし毎日伝書飛ばせよ。それぐらいならおまえもできるだろ」
「わかった。ジョセフ。愛してる」
にこっと笑ったアビーがまたジョセフにちゅうをしている。
仲が良いんだなと思いながら兄妹から目を離す。急に睡魔が戻ってきて僕はあくびをしながら伸びをした。
はふーと体の力を緩め隣りのソフィアに話しかける。
「よかったねソフィア。なんだかうれしいな」
「ええ。リアムの住む町もわかったし。ね。リュック」
そう言ってソフィアが自分の隣りにすわるリュックをふり返っている。
「――リュック寝てる」
息をのむソフィアの後ろから、立ち上がってリュックの姿をのぞく。
さっきまであんなに張り切った声を出していたのに。リュックはテーブルに置いた両肘に顔を伏せて眠っていた。マシュマロのような肌をした頬が片方だけ見えている。閉じられた瞼はぴくりとも動かない。
静かな寝息が聞こえる。
そのあとリュックを抱えてベッドまで運ぶのがちょっとした一騒動だったがやがて家の中は静まった。
ソファーをふたつ組み合わせた寝床に僕はジョセフと横になった。
網魔法について尋ねた僕にジョセフが語りかけてくれている。その声を聞きながら僕は眠りに落ちていった。