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07アビーの家

 僕とソフィアは宿屋近くにある赤毛の女性の家のなかにいる。

 彼女の兄ジョセフが作った家で兄妹ふたりで住んでいるという。


「あたしの名前はアビー。アビゲイルっていうんだ。ささ。そこにすわって」


 うながされてテーブルまで歩き、背もたれのある堅い椅子に座る。

 ずきずき痛む傷からは血が滲んでいる。


 立ったままアビーは僕の手を持って腕の傷をじっくりと眺めている。ソフィアは僕のとなりの椅子にすわって、心配そうにそれを見ている。


 傷口にそっと手をあててアビーが目を閉じた。


 開け放たれた窓から人々や馬車の行き交う音が聞こえてくる。子供の甲高い笑い声にどこか遠くで鳴り響いている鐘の音が重なる。


 そこへ呪文を唱えるアビーの声がさらに重なっていく。


 平屋で二部屋きりの素朴な家のなかは手作りの家具とまっしろのテーブルクロスやチェック柄のカーテン、壁の釘に掛けられた帽子や棚に並ぶカップや皿などの食器類に囲まれてとても明るい雰囲気に満ちている。


 アビーの声はしだいに大きくなっていってふいに止まった。



「おおう」



 思わず声が出る。痛みがすーっと引いていく。同時に腕に置かれたアビーの手のひらが熱くなっていくのを感じる。


「終わり」


 ふっと手を離してアビーがにっこりと笑った。


「ありがとうございました」


 礼を言い、傷がきれいになくなった腕をまじまじと見る。指でそっと触れてみる。完全に治っている。


「あんなところに無闇に突っ込んでいくもんじゃない。次からは気をつけな。今日はジョセフがいたからいいけど危ないよ」


「はい。すみませんでした」


 すると隣でソフィアが「ちがうちがう」と手を振っている。


「私がいけなかったんです。リュックが先に行くのを止めなかったから」


「それはそれで、あいつら三人まとめて攫っていってたかもしれないからね」


 つづきの部屋への扉を開けてアビーがそちらへ入っていく。


「最近は物騒なやつがいるんだよね、この辺りも」


 やがて盆を両手でもってまた戻ってきた。

 盆のうえには皿がふたつ載っている。湯気が立っていた。


「あう。忘れ物があった」


 ふふっと笑ってアビーが口の中でなにかごにょごにょとつぶやている。とたんに僕とソフィアの前にそれぞれチェック柄のランチョンマットが現れた。


 テーブルの上のランチョンマットにアビーが皿とスプーンを置いていく。


「どうぞ。食べな」

「ありがとう」


 スプーンを手に取ったソフィアだがすぐにそれをまたランチョンマットの上に置いている。


「リュック……」


「お友だちのこと心配だよね。だけどだいじょうぶ。ジョセフは網をかけるのが得意なんだ。三人だったろ。いまごろ捕まえてこっちへ戻ってきてるころだよ」


 スプーンを握ったまま僕もリュックが気がかりで、しかしスープの香りが腹の底まで届いて刺激されて、固まっていた。


「ほら遠慮せずに食べなよ。気を揉んでどうなるもんでもないよ。これ食べて力をつけておくほうがいい」


 僕はスプーンを持ち直し皿に浸ける。


「いただきます」


 一口食べ始めると美味しすぎて手が勝手に動く動く。はふはふ言いながらスプーンを皿から口へと行き来させるのにいそがしくなる。


 ソフィアもそろりと持ちあげてスプーンを握ったようだ。


「ありがとうございます。……透き通っていて綺麗ー。野菜がいっぱいですね」


「透き通ってるのはコンソメだからね。ポタージュのほうが好きだったかな」


「どちらも好きですー。私コンソメっていつも具少な目でつくっていました」


 ふたりの会話が耳に入ってきて僕はちょっとだけ手をとめて皿の中身を眺める。

 一センチ角ほどの具がたくさん入っている。白と赤と緑と黄緑と。ふーむ。家で食っていた野菜スープとあまり変わらない。


 確認したところで、僕はそれらをすくってまた口に入れる。うめえ。


「ケンジ、おかわりあるぞ。いるか?」


「はっ。はい。お願いします」


 空になった皿を渡す。


「おいしいー。具がほくほくしてるー」


 きらきらっとした目になってソフィアがアビーを見あげている。


「あとこれ味つけはコンソメだけじゃないですよね?」

「うむ。あとでレシピを教えてあげよう」

「わあ。うれしいですー」

「いやなにそこまでのものでは」


 そそくさとアビーがつづきの部屋へ向かった。


 ふたたび姿をあらわしたアビーは琥珀色のスープで満たした皿を僕の前に置いてくれる。それから彼女もテーブルの椅子に腰をおろして、しばらく僕たちが食べる様子を眺めているようだった。


「さっき網をかけるって仰ってましたけど――」


 隣からソフィアの声が聞こえる。かまわず手を動かしておかわりしたスープを食べつづける。


「これまで私、実際に網魔法を使っている人って一度も見たことがないんです」


「ああ。ジョセフのことだね。それはよく言われるな」


「網魔法のことは昔、祖父から訊いたことがあります。とても難しい魔法だから使いこなせる人は稀だって祖父が言っていたのを思いだしました。ジョセフさんってすごいんですね」


「なんだかねー。凄いらしいね。あたし網についてはよくわからないんだ。ジョセフはものすごくおもしろいって言うんだけどね。いろいろ話してくれる。網の精度とか――? あたしにはさっぱりだな」


「へえ」


 おもわず手をとめて顔をあげる。


「そんなにおもしろいんだ。その網魔法?」


「らしいよー。――あっ。そうだ」



 急にアビーが目をぱちぱちとした。



「そういや名前は? まだ聞いてないぜ」



   * * * * *



「ふうん。それでここまで来たのか。リアムねえ……。聞いたことはあるなー。どこに住んでるかは知らないなあ。もしかしたらジョセフが知ってる――可能性は低いか」


 腕を組んで天井を見上げてアビーが考えている。

 僕たちはスープを食べ終えてテーブルの上は綺麗に片付けられている。


「少なくともこの町にはいないだろうね」


 僕とソフィアは顔を見合わせる。困ったという表情のソフィアは頬杖をつき眉を寄せている。


「どうしよう。ケンジはどうしたらいいと思う?」

「いないことがはっきりしてるんだったらここを発って別の町で探したほうが早いんじゃないかな」

「そうよねえ……」



 そのとき部屋の戸を叩く音がした。


「アビー。俺だよ」

「ジョセフ」


 あっというまにアビーが立ち上がって戸を開けている。



 背の高い青年が立っている。ジョセフだろう。彼の後ろに誰かが立っているのも見えた。



「ソフィア!」



 ぴゅんとリュックが走ってきてソフィアの手を握っている。ソフィアがリュックの頭を撫で撫でしている。


「リュックが無事でよかったよ」


 ジョセフの明朗な声が部屋中に響く。

 彼は僕をみて「怪我はどうだい」と声を掛けてきた。


「治りました。アビーが治してくれました」


 にこっと笑ってジョセフが頷いた。

 それから彼は顔だけ後ろに向けて「さあ」と言っている。


「遠慮せずに入るんだ」


 ジョセフが男の肩に手を置くと一瞬びくんとその体が震えたように見えた。かなり、びびっているようだ。



「へ。へい。旦那。では」



 のそりと入ってきたのは褐色のあご髭を生やした図体の大きな男だった。汚れた帽子を脱ぎながらぎょろっとした大きな目で部屋のなかを一瞥して、両手を前にして神妙な態度を取っている。



「あれ」

 つい声がもれた。なんとなく見覚えがある。ついさっきリュックに近づいていった男のうちの一人だ。



「あああっ。こいつ! リュックを攫ったやつじゃん!」



 声をあげてアビーがジョセフの腕を掴んでいる。


「アビー」


 あやすような口調でジョセフが言ってアビーの手ぽんぽんと撫でた。

 そして男が入ってきているのを見て、彼は部屋の戸を閉めた。



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