02理由
――これ夢かな。
部室から出ようとしてぶっ倒れたのかも。
そんなことを考えてしまったが、やはり目の前では、ソフィアと名のった少女が話をつづけている。
「この家では代々伝わる書物をたくさん保管しています。昨日そのなかの一冊をリアムという魔術士に盗まれてしまいました」
「リアムって酷い奴なんだよ。懐かしくなって久しぶりにやってきたなんて言ってさ。まさか盗んでいくなんてさあ」
いつのまにかリュックは僕の手を離してソフィアのそばにいき手振り身振りで喋っている。
「それもとっても重要なやつ。魔法について書かれた本のなかでもめっちゃ難しいやつだったんだよ」
「いまこの家には私とリュックしか住んでいません。ふたりだけ。父も母も亡くなったから。もうずいぶん前に両親の残してくれた宝石や家具なんていう貴重品はいろいろと売り払ってしまったから、盗むものなんてこの家にはないと思っていました」
ふとソフィアは寂しげな顔になっている。
ソフィアのむこうにはすっかり色の褪せた壁紙がみえた。元の模様は消えかかっている。壁に掛かったランプにも小さなテーブルのうえの燭台にもどちらも明かりはついていない。奥にみえる大きな窓から外の明かりが差し込んでいる。さっきまでいた学校ではもう夕方だったがここはまだ昼間のようだ。
あらためて部屋のなかをみるとたしかに家具は少ない。テーブルと椅子。ソファの座面は布が一ヵ所破れかけて小さな穴が開いている。弾力はなさそうで座り心地はあまり良くないのだろうと思わされる。古ぼけた壁にはぽっかりと綺麗に四角くそこだけ白っぽい部分がいくつもあった。おそらく絵画が飾られていたのだろうと思いあたる。
「書庫にあるものを売るということは考えたこともなくて……だから盗まれるなんてこともほとんど考えていなくて……すっかり油断していました。まさかリアムが盗っていくなんて思ってもいませんでした。――けれど盗まれてこのままでいるわけにはいきません」
顔をあげたソフィアが意志のこもった眼差しで僕を見ている。
「とても大切なものなので何とかして取り戻したいのです。といってもどうすればいいのか――。リアムがいまどこに住んでいるのかも私たちは知らない。おそらく南の方角から来たのだろうということだけ」
さらに僕をじっと見つめてくるソフィアの目。僕も見つめかえす。
「いまから出発したとしても何日掛かるのか、いつ帰って来られるのかわかりません。でもどうしても取り返したいのです。そのために私とリュックだけでは不安なのであなたをお呼びしました」
「え。どうして僕を。取り返すって。いったいどうやって」
「ええ。そのために明日にも出発します。どうかケンジも私たちといっしょに行ってほしいのです。助けてほしいんです」
「や。その。急に言われてもちょっとよくわからないというか」
「もちろん目的をはたしてすべてが終われば元の世界へ戻れます」
すこしほっとする。このまま戻れないのではないかと思ってしまっていた。
「……戻れるんだ」
それでもまだ胸に何かがつかえているような気がしてしまう。
ソフィアは訴えるように真剣な口調で話している。
「私は魔女でリュックはエルフです。二人とも魔法を使えます。でもリアムは私たちよりも強い魔法を使いこなす魔術士なんです。なにより盗まれたのが魔術に関する本でそこがちょっと気に掛かっています。だからあなたを召喚しました」
「だから。だから僕を呼んだ? それちょっとおかしい」
ざわんざわんの胸のなかがどよめき始めている。
そんな強い魔術士のところへ僕が行ってどうなるというのだろう。何ができるっていうんだ。試験前の勉強さえも集中してできない誘惑に弱い人間なんだ僕は。
体力もない。運動とは縁がないし。腕なんてキーボードを打つくらいにしか使ってないからな。
きっと何かの手違いだろう。このリュックというエルフが召喚する相手を間違えたのだろう。そうとしか考えられない。
「召喚するとき何かミスったんじゃないかな。もっと強い人を呼ぶべき」
「それはないよ。ケンジでまちがいないんだ」
さらさらと金色の髪を揺らしながら、リュックがうきうきした調子で言う。
「ちゃんとやり方まちがっていなかったらね? それにもっとも相応しい人が召喚されるようにできてるんだもん」
「だからその。そのやり方をまちがっていたのではと」
焦りを感じながら僕はリュックに言った。
「オレ、まちがってないよ」
あ。耳だけではなく口も尖っている。
「ちゃああんとやったから、ケンジが来たんだもんね」
腕を組んで僕をぎぎっと見ている。リュックはゆるぎない自信を持っているようだ。
「えーどういうことなんだよ……」
「さあリュック。こっちへきて。ケンジもどうぞ。こちらへ来てください」
僕とリュックの肩をソフィアがぽんぽんと触れた。