13帰路
草原を駆け抜けて町中を走り宿の部屋までたどり着いた。
リアムが追いかけてこないうちにこの町を出ようと身支度をして宿を出る。
二頭立ての馬車をジョセフが手配した。アビーとジョセフがそれぞれの手綱を握ることになった。
一台目にはジョセフとリュックと僕。二台目にアビーとソフィア。
ぴしりとジョセフが馬に鞭を当てた。
馬車が走り出す。
後ろからアビーたちの乗った馬車も動き始めている。
ジョセフと僕がリュックを挟み三人並んで座っている。
堅い板の上で揺られながらさっそくリュックがジョセフを急かすように訊いている。
「リアムに掛けた網。せいしんてきなくつうって何? 何なの!」
両手で手綱を動かしながらジョセフはのんびりと前方を眺めている。
「あれは羞恥の網といってね」
「しゅ、しゅうちのあみ?」
またしても完全棒読みのリュック。
「本当に精神的な苦痛だけなんですか?」
つい僕も訊いてしまう。
「リアムの脳内ではいま、これまでの彼の人生の中で最も恥ずかしかった記憶とその次に恥ずかしかった記憶と三番目に恥ずかしかった記憶とが繰り返し繰り返し再生されている」
「うわあ」
ぞっとして僕は狭い板の上で身を引いてしまう。リアムの苦悶していた姿が思い浮かぶ。
「……怖ろしい」
「へ?」
リュックはきょとんとしていた。
僕たちをジョセフがちらちらと見ている。いかにも愉快そうな表情だ。
「ケンジには怖ろしいか」
「そういえば……相手によって網を変えて最適な網を掛けるって言ってましたね」
「おお。覚えていたか」
ぴしと馬に鞭をふるってジョセフは明るい声を出した。
「この網がまったく効かない者もいる。たとえば私だね。恥ずかしかったという記憶が全くないから効かない。だからこそ私はこの網を使えるということにもなるんだよ」
「それってどういうこと?」
揺れるリュックの頭が僕の肩に触れている。陽光の充分に注がれたリュックの金髪は温かみを帯びている。
「そういう記憶を持つ者はこの網を掛ける側にはなれないんだ。『当てられる』と言っていたかな。私にこの魔法を教えてくれた魔術士がそう言っていたんだ。相手に掛けようとしたときに自分の持つそういう記憶も刺激されてしまうんだね。そして例外なく相手に対して手加減をしてしまう。私は全力でできる。どんな痛みなのかが全然わからないからね」
「ふーん」
リュックがわかったのかわかっていないのか曖昧な相槌を打った。
「だったらジョセフさんは最強ですね。その網が効かないってことは」
目をくるりとさせてジョセフがちらりと僕を見た。
「そうだといいんだけどね。私にてきめんに効く網もあるさ」
ああそうかと納得する。
「それは何という網?」
ぴんと背を伸ばしたリュックがジョセフに訊いてから、ぱっと僕に向きなおる。
「ねえケンジ。何だと思う?」
「さあなんだろう」
口ではそういったものの、そしてそれが正解かどうかは極めて怪しいが、辞書で対義語を調べれば載っているなとは内心で思っていた。しかしそれは正解へ至るための入口に過ぎないのだろうという気もした。
僕は調べる気はさらさらなかった。ジョセフの弱点など知ってどうする。そんなこととは関係なく僕はジョセフという人間が好きなんだ。
「ねえねえジョセフ。何という網なの?」
問いかけるリュックにちらりと目をやってからジョセフは前を向き手綱を握り直した。
にやにやと笑っている。
「それは内緒だよ、リュック。自分の弱点をわざわざ教える者などいないだろう。――それにしてもリアムにはよく効いたなあ」
柔らかな風を体に受けながら晴れ晴れとした表情でジョセフは手綱を操っている。
その横顔を見ているとちょっと知りたいかなと一瞬だけ思った。だが一瞬だけだった。やはりそれについて調べることも考えることもないだろう。ただソフィアにこの話をしてみたいなとは思う。
* * * * *
タイタンに着いた。
アビーとジョセフは僕たちと別れて自分たちの家へ帰る。
残った三人の誰も馬を御することはできないので馬車ともここでお別れだ。
「いつでも家においで。待ってるから」
そういってアビーが僕の手をぎゅっと握り、リュックを抱き締め、それからソフィアの手を握って抱き寄せた。
「今度来たときはまた網魔法の話を聞かせてあげるよ」
「うわ。オレすっごく興味ある! また来るよ」
リュックがジョセフの肘に両腕を巻きつけてぶら下がらんばかりになっていた。甘えるようにほっぺたをジョセフの腕にすりすりしている。
「僕もゆっくり聞きたいな。リュックが羨ましいよ」
ふりむいたリュックの目がくりくりしている。
「何だよ。ケンジも一緒にだよ!」
「……ありがとう。うれしいよ」
リュックとソフィアが僕と並んだ。
ジョセフとアビーに手を振る。
ここから離れることを考えると切ない。
なぜだろう。名残惜しくなっている。
* * * * *
ソフィアの家はもう近い。
来たときと同じように僕たち三人は歩いている。
ちがうのはリュックの背負った茶色いバックパックにはあの書物が入っているということくらいだ。
となりを歩くソフィアの名を呼ぶ。「なあに」と彼女が僕をみた。
「ソフィアの家に帰ったらあの魔法陣から僕は元の世界へ帰るんだよね」
「そうよ」
あごを引いてソフィアが僕の言葉を待っている。
「もしもまた何かあったら僕を呼ぶ?」
「呼びます」
間髪入れずに答えて、はにかむようにソフィアが笑顔になった。
「しょっちゅう何かあっても困るけど」
「……そうだね」
ソフィアたちが困った事態に陥るのを期待していたみたいでそんな自分に落ち込む。そうじゃないと言いたかったがうまく伝えられそうになかった。
「無事に書物を取り戻すことができて本当によかった。一緒に来てくれてありがとう」
「僕のほうこそ……。いろんなことをありがとう」
ソフィアの顔を見ていると辛くなってきて視線を落とす。自分の足元を見ながら歩いていく。
ソフィアも何も言わずに歩いている。
ときおりリュックが僕たちのところへ来て何か喋ってはまた駆けていった。
「いつになるかな」
「わからないけど。また会えます」
確信に満ちたソフィアの言葉が胸を刺すように入ってくる。
「見えた!」
リュックの声に顔をあげる。煉瓦造りのソフィアの家が見えてきた。




