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12リアムの家

「なーんだか想像よりずっと長閑(のどか)な家だなあ……」


 こんもりと盛り上がった草原から見おろすと広々とした地に一軒の館が建っている。


 三階建ての屋根は深い緑色で壁は薄灰色だ。出窓の枠と玄関の扉は白く、家の周囲には低い茶色の柵がめぐらせてあった。


「もっと厳重な守りがあるかと思ったよね。でも全然そういう気配はないし。もしかしてリアム、消えちゃった? あたしたちが来るのに感づいちゃったりして」


 アビーが普段よりもひそめた声で喋っている。


「え! それはないよ。ここまで来たんだからいてくれないと」


「……リュック。もっと声のトーンを下げてね」


「じゃあ昨日決めたとおりにね。ソフィア、ちょっと来て」


 手で合図するとソフィアがそばにきた。肩のすぐそばにソフィアの頬がある。この角度から見ると長い睫がひときわ目立って見える。


 望遠鏡をリアムの家に向けて覗こうとしてふと僕はもう一度ソフィアに目を向ける。


「なあソフィア」

「ん? どうしました?」

「もしも今日無事に本を取り戻せたら」


 そこまで話してつづきの言葉がうまく出てこない。


「ケンジ?」


「みんなで帰るんだよね。ソフィアの家に。それから僕は元の世界へ戻ることになる」


 こちらを見つめてくるソフィアの顔をまともに見られなくて視線を外してしまう。


「そうね。ずっと一緒のような気がしていたから寂しいです」


 自分も同じだった。そして明日からはもうソフィアの顔を見られなくなるのかもしれないと思うと胸がきゅっと締めつけられて切なくなってくる。


「こんなときにごめん」


 気を取りなおして僕は望遠鏡をのぞく。

 三階建ての建物にあるすべての部屋を見てみたが人影はなかった。


「誰もいないよ。留守なのかもしれない」


「うわ。じゃあ今のうちに行かなくちゃ」

「ケンジケンジ! 本は見える? どこかにありそう?」


 アビーとリュックが後ろからわーわーと騒々しい。それでも声をひそめているつもりのようだ。


「ないなあ……。書斎みたいな部屋があってそこに本が見えるけど……」


「ある? ある?」

 リュックが横に来て言っている。

「わからない。これは直接行くしかないな」



   * * * * *



「リュック、ケンジのあとから付いていくのよ」

「わかってるよ」


 颯爽と先頭に立って歩きはじめたリュックの背中にソフィアが言った。

 つんとしてリュックは僕の後ろに回った。


 草原をくだって三階建ての家に近づいていく。


 玄関は鍵が掛かっていたので灰色の壁から侵入する。昨夜教えられていた呪文を唱えると僕の体も家のなかに入ることができた。



 しんとした廊下を歩いていく。



「どのあたりでしたか。その書斎みたいな部屋……」


 そろりそろりと歩きながらソフィアが僕の肘をつかみながら言う。


「二階の真ん中のあたり。その隣りは寝室みたいでベッドがあったよ」



   * * * * *



 まず寝室に侵入した。

 望遠鏡を使う。


「……あれ?」


 何も見えない。あちこちに望遠鏡を向けてみる。同じだ。


「この家の中では使えないのかも。透視を無効化する術が掛けられているのかなあ」


 残念そうにアビーが言い、ソフィアと二人で僕にはよくわからない呪文を唱えて調べはじめた。


 ベッド。衣装箪笥。衣服。壁に掛かったランプ。


「ないわー」

「……ここにはないですねえ」



   * * * * *



 寝室から出て隣の書斎に進む。

 机の中。手紙差し。鞄。書棚。窓。壁の絵画。


「ケンジ! 見て見て」


 ソフィアがめずらしく興奮した声をあげた。


「ここかもしれない」


 窓際の床のある一ヵ所を指差している。


「どこ」

「よく見て」


 微妙に床の一部が盛り上がっているようだった。


「いくわよ」


 両足を広げて立ったソフィアが床に人差し指を向けている。

 低い声で呪文を唱えはじめたソフィアを三人で見守る。


 ぴし。


 木材の境目で床が浮いた。ほんの数ミリ。


 ぴしぴし。ぎぎぎ。ぎ。


 さらに浮いていく。



 ソフィアの声がますます低くなっていく。


 蛇だって操れそうなドスの利いた凄みのある声だ。

 こんな声、いままで聞いたことがない。



 境目から四角形に裂け始めた床が数ミリずつ浮いていく。

 床の四角い一部分がジャッキで持ちあげられているようだった。



 ふいに声が途切れた。

 はあはあとソフィアの息遣いが聞こえる。

 震え始めていた人差し指がぴんと伸ばされる。


 ふたたび呪文を唱え始める。低い低い声。地の底から何かが呼び覚まされるのではないかと思わせる声で唱えている。


 ぱきり。


 割れた床の一部分が低く飛びぱたんと裏返って落ちた。


 四角形に開いた床に三人が駈け寄る。


「あったあった! ソフィア、すごいすごい。あったよ! ほら!」


 床に膝をついてリュックが穴のそばに屈み込んでいる。

 両手を伸ばして書物に触れている。




「リュックっ! だめよ! 勝手に触っちゃだめっっ!」




 ソフィアの声と同時に――。


 がんがんがんがんととんでもない音が鳴り響き始めた。


 五つも六つもいや十個以上いや無数の大きな鐘を部屋の真ん中でむちゃくちゃに振り回している。そんな大音響が鳴りつづけている。


 頭がどうかなりそうだ。


 書物がリュックの手からソフィアの手へと飛び移った。


「これは警報なんだよ! 早く逃げなきゃ!」

 アビーがリュックの手を引いて部屋の出口に向かっている。


 後を追って僕もそちらの扉へ向かった。



 ばんと鋭い音がした。


 部屋の扉が開いた。



   * * * * *



 たしかにひょろ長い男だ。ごてごてだ。


 尖った帽子を被っている。長い髪がだらりと背中まで垂れている。

 首に巻かれた金のネックレスは五重以上はありそうだ。


 じゃらりと音がして男の手が持ち上がる。

 プレスレットがこれも太く金色がけばけばしく重たげだ。



「返せ」



 男の薄い唇が動いた。


「おまえには無用の長物だろう。返せ」


 ソフィアが首を振っている。両腕で書物を抱くようにして持っている。



「返せ。ソフィア。手荒なことはしたくない」



 なおもソフィアは首を振った。

 「いやです」と言っている。



 リアムの薄い唇が突き出てひゅっと口笛が聞こえた。



 ソフィアが頭から床に倒れた。

 ごつんと不気味な音がした。



「ソフィア!」



 反射的にソフィアのそばに走り寄る。


 床に額をつけたままソフィアは俯せになっている。動かない。

 両手が胸の下に入りこんでいて書物はソフィアの体の下にあるようだ。


 リュックがソフィアに縋りついている。リュックの目には涙がいっぱい溜まっていた。


 気配にはっとして目を上げる。

 窓に向かってアビーが弓を構えるような格好をしていた。


「アビー……」


 もしかして伝書を?

 胸に疑問の湧いた瞬間、白い閃光が見えて窓の向こうに消えた。


「やった……!」


 ガッツポーズをしているアビー。

 おおと思っていると後ろから、


「やあ。アビー。今度は代理は立てずに送ってきたんだね」


 明るい声が朗々と響いてきた。

 ふり返って見上げる。

 部屋の隅に背の高い青年が立っている。


 ジョセフは片手を腰にあててもう片方の手で後ろ頭をさすっていた。その姿を見ていると胸になんともいえない感情が湧いてくる。


「しかしアビー。伝書は送ればいいってものじゃないんだ。ソフィアは耳元で優しく囁いてくれたよ。見習いなさい。休憩でくつろいでいたところだったんだ。いきなり頭を殴りつけてくるなんていったいどういう送り方をしたんだね」


「ジョセフ……」


 泣き笑いのような表情をしたアビーがジョセフを見つめている。


「おおっと」


 さっと身を翻したジョセフの胸のすぐ前を赤い光が通りすぎていった。


 入口のほうに目をやると、リアムがさらに何かを繰り出そうとしているのか息を吸い込んでいる。


 だがそのときにはリアムに向けてジョセフがすでに腕を振っていた。

 ジョセフの五本の指から何かが飛びだしている。リアムの体にその無数の糸が飛びついて絡みついていく。


 それは特に頭部に集中しているようだ。


 ときおりひらりと捻られたジョセフの手が糸束の根元をたぐり寄せるようにぐいと引いている。


 その顔が見えなくなるほどの密度でリアムに網がかけられていく。



「うおおおおおおお」



 突然、吠えるような声が吹き上がった。


 リアムの頭部から声が漏れている。



「やめろやめろっ。うぎゃああああああ」



 リアムの両腕が動いて絡められた糸が引きちぎられながら腕から何本も何本も垂れ下がっていく。


 自由になった両手でリアムは自らの頭を抱えて揺れた。



「おおおおおお。うおおおお。ひいいい。やめてくれえええええ」



 床に倒れたリアムが転げ回っている。



「ぐは。ぎょえ。ぐあああああああ」



 ごろごろと右へ左へと絶え間なく体を動かしながら苦悶の声をあげている。

 ひどい苦しみようで見ている僕のほうまで胸が痛くなってくる。



「い。痛そう」



 リュックが呟いた。もう涙は乾いているようだ。目は転げるリアムを追っているがその手はソフィアの髪に置かれている。


 依然ソフィアは動かない。僕の手もソフィアの肩に触れている。


「すっごい激痛みたい……」


 リュックがこちらを向いた。リアムの苦しむ姿を見たせいなのかまた涙が滲みはじめている。




「……激痛?」




 ぐいと引いた手を止めて、ジョセフが僕たちをふり返った。




「聞き捨てならないね。激痛だって?」




 ジョセフの言葉にリュックの目が大きく見開かれている。

 「えっ」と言っている。



「いま私はリアムに対して肉体的な苦痛は一切与えていない」



 ジョセフの握っていた先で網束の根元がばさりと切れた。


 どういうことだろうと思った。

 だがジョセフは平静な態度で僕たちを見た。



「奴が転げ回っているうちにここを出るよ。アビー。ソフィアを看てくれ」

「ええ」



 はっとしたように駆けよってきたアビーがソフィアの額の下に手を差し込む。目を閉じて呪文を唱えはじめた。



 その間もリアムはのたうち回っていた。



「ひいいっ。ひいいいいいっ。やめろ。やめろおお。おおおおお。きいいいいいい」



「でもリアムは苦しんでるよ! ジョセフ、とっても痛がってる!」



 リュックがジョセフに訴えている。僕も訊きたかった。



「網魔法にもいろいろあってね。これはその中でも精神的な苦痛を与える網なんだ」



「せ、せいしんてきなくつう?」

 完全に棒読みのリュック。

「それって何!」



 二人のやり取りを聞きながら、アビーの家を出発する前の晩にジョセフが網魔法のことを話してくれていたことを思いだした。


 あのときは途中から夢うつつで聞いていた。

 ジョセフは何と言っていたっけ。


 たしか網魔法には種類があって、かける相手によってかける網を変えるのだ――と言っていたような気がする。


 相手の頭部に網をかける。次にその網で相手に対して最も良く効く網は何かを探索する。最適な網が見つかったらそれを適応する。


 とするとこれはリアムに最も良く効く網ということなのだろうか。



「ケンジも何か聞きたそうな顔をしているね。リュック、あとで教えてあげよう」



 ばちっと音がしてリアムの頭部がそこに絡みついている無数の糸が白く光り、点滅し始めた。そのリズムは鼓動のようだった。



「これで当分は持つ」


 リアムを見おろしてジョセフが言った。



「ひいひいひい。お願いだやめてくれ。死ぬぬううううううう。ぎゃおおおおおおお」



 転げ回るリアムの姿は見るに耐えない苦しみようでこれで肉体的苦痛がないとはとても思えなかった。



「ケンジ、ケンジ」



 アビーの声に目を落とすとソフィアの瞼がぴくぴくと動いている。

 ぱちりと目が開いた。


 僕とアビーでソフィアの肩を支えて立ち上がる。

 一度よろめいたがソフィアはすぐにしゃんとなった。手には書物を持っている。

 息をのんでソフィアがジョセフを見ている。驚いているようだ。

 倒れる前にはいなかったジョセフがここにいるのだからびっくりするのも無理もない。



「ジョセフさん、ありがとう。アビーが伝書を?」

「強烈な伝書をね」



 リアムの様子を目にしたソフィアはやはり眉をひそめている。



「網魔法ってこんなにも苦しむのですね……リアム。お気の毒に」


「ソフィアまで。リアムには大した苦痛は与えていないんだよ」


 首を振ってジョセフが諦め顔になっている。


 それから窓に近寄ってジョセフが僕たちを手招きした。

 みなが集まると「あとについてきて」と言った。



   * * * * *



「よし。行くぞ」


 掛け声とともにジョセフが窓から飛び降りた。と思ったらふわりと舞い降りている。ソフトランディング。


 つづいてリュックとソフィアが手を繋いでふわんふわんと降りていく。


 アビーと両手を繋ぐ。窓の外へ体を投げ出す。

 空中の何もないところで体が浮いている。とても不思議だ。ありえない高さから緑の地面を見ている。


 くすぐったいような心地よさに笑い声が出てしまった。

 堪えられなかった。



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