10ふたつめの情報
「これですか」
白いハンカチを胸の前まで持ってきてソフィアが首を傾げた。
「ええ。そうです」
男は頷いた。濃い眉をひそめるように寄せてきりりとした眼差しをソフィアに向けている。
「突然声をお掛けして失礼いたしました。私はマイケル・ブラウンという者です。さきほどからそこの席で食事をしていました」
彼はこのテーブルから2つ離れたところにある席を顎で示した。二人がけのテーブルにはまだ半分ほど食事の残っている皿とグラスがひとつずつ置かれていた。
「ところがこのハンカチが目に入ったものですから急いでこちらへやって来ました」
じっとソフィアを見つめて男は姿勢を変えずに立っている。
「懐かしい紋章が見えました」
「これだね!」
ハンカチの隅を指差してリュックが言った。あの出発の朝に見た渋い金色の糸で刺繍されたソフィアの家の紋章だった。
「そうですそうです。私は昔ウィリアムズ家の方に教えを受けたことがあります。残念ながら今ではおつき合いは途絶えておりますがこの紋章を目にして懐かしく思いだし、失礼ながらお声を掛けてしまいました。お嬢さま方はウィリアムズ家とご縁のある方々でしょうか」
「はい」
ぽつりと答えたきりソフィアは黙っている。
「どちらにお住まいですか。よろしければ私の家へおいでませんか。向かいのドイリーの店で買ったパイをご馳走いたしますよ。デザートにいかがでしょう」
「ソフィア。パイだって」
「リュックだめよ。座っていて。――ブラウンさん、お申し出ありがとうございます。私たちはこれから用事がありますので残念ですけれども」
「そうですか。ではお住まいだけでもお伺いしてもよろしいですか」
「あたしたちこの町の者じゃないから」
ずいとアビーがソフィアと男の間に割り込んできて低い声を出した。
「いまから宿に行くとこなんだよ。そんな暇はないね」
「それは残念です。それではまた機会がありましたらぜひ」
会釈をして男が踵を返した。ふと思いついて僕は口を開いた。
「すみません。ウィリアムズ家とつき合いがあったってことは、もしかしてブラウンさんはリアムという魔術士のことをご存じですか」
立ち止まってふり返り男が僕をじっと見つめた。
「知っていますよ。いまは彼もこの町に住んでいますから、彼とは現在もつき合いがあります」
* * * * *
ブラウンさんに礼を言って僕たちは店を出た。
宿へ行く道すがら、今夜は宿で過ごして明日リアムの家に行こうということになった。
その夜。
宿の部屋で一つのベッドの上で僕とソフィア、アビーがくつろいで喋っていた。
ブラウンさんによるとリアムは現在、アビーも話していた例の丘の麓に建つ家に住んでいるということだった。
「ラッキーだったよね。アビーも知ってる所だったし」
僕がそう言うと、隣りにすわっていたアビーがうんうんと頷いた。
「ほんと。助かったなー。いきなり話しかけられて最初は警戒したけどさ」
「明日はリアムの家に行くんだよね?」
部屋のなかをあちこち観察して回っていたリュックが、僕のとなりにぴゅんとやって来た。
首をこくっと曲げて僕の肩越しにアビーを見ている。さらさらとした金髪が首に触れてくすぐったい。
「そうだね。いよいよ明日だ」
「明日には帰れるってことだね!」
「書物を取り返したらだけど。そんなに簡単にいくのかなあ」
ふいにソフィアが顔を上げた。それまではベッドのシーツに手で触りながら考えごとをしているようなぼんやりとした表情をしていた。
お尻だけずらしながらソフィアはアビーの隣りに寄っていっている。
「アビー。よけいなことかもしれないけれども」
「うん? なになに?」
僕の隣で赤毛の後ろ頭が揺れた。
その向こうにソフィアの気がかりそうな心配そうにしている顔が見える。
「いま思ったんだけど……ジョセフさんへの伝書は飛ばしてます? 飛ばしているところを一度も見かけないからずっと不思議だったんです。ううん。もちろん飛ばしていると思ってはいるんだけど、ちょっとだけ心配で」
「は?」
赤毛がまた揺れた。
「飛ばしてないよ。その。やり方が分からなかったから」
「え?」
言いにくそうな口調でアビーが話している。ソフィアの動きが止まっている。
「ジョセフが心配しているだろうと思ってあたしもさ。気が気じゃなかったんだけど、どうもうまくいかなくて」
「それはものすごく心配されていると思います」
「うん。今日こそは送らなくちゃと思ってる。明日はリアムの家へ行くんだもんな。ああ。ソフィア。――伝書のやり方は知ってる?」