01召喚
PC部でいつもの席にすわっていたら、いい匂いが漂ってきた。
マウスを持ったまま後ろをふりかえる。大きなテーブルの上でアキラがポテトチップスの袋を開けている。内側の銀色が広がってチップが溢れ出てくる。
「食うか?」
「おお。ありがとう」
下校前で腹が減っている。チップスでは腹の足しにはならないがありがたく食おう。
足元の鞄から割り箸を取りだして外袋を破る。テーブルに向き直り、チップスをひとつ摘んだ。そのまま食べてはキーボードが汚れてしまう。ちなみに割り箸は、母が弁当に箸を添え忘れたときに備えて常に何本か常備している。
「明日からテストかあ。かったりい」
パイプ椅子にすわったアキラが愚痴っている。直接手でポテトチップスを口に運んでいる。
本来ならテスト前で部活動は休み。
だけど僕は何となく部室に来てしまった。PCゲームを始めたところでアキラもやってきたのだった。
「俺やべえよ。何もしてねえ」
「アキラもか」
今回僕もほとんど試験勉強をしていない。だいたいいつも一夜漬けになってしまう。
「でも早く帰れるのはいいよね。明日帰りに図書館行くけど。アキラどうする?」
箸を動かしながら聞く。
ふと、そういえば今日の夕飯は肉だっていってたなと、今朝の母との会話を思いだす。ポテトチップスを口に入れているのにますます腹が減ってくる。そろそろ切りをつけて帰ろう。
「いや行かない。――やっぱもう帰ろかな」
ポケットからスマートフォンを取りだしたアキラが指で画面に触れている。油と塩が液晶画面についてしまうぞと気になってしまう。
「三停前だ」
急にぱきっとした声になってアキラが椅子のうえで体を起こした。
バス会社のアプリを見ていたのだろう。アキラの乗るバスはあとふたつの停留所を経由してから高校前にやってくる。自転車通学の僕は時刻を気にする必要はなかった。
「俺、先にかえるわ」
ばたばたとアキラが帰り支度を始めた。
* * * * *
誰もいなくなった部室でポテトチップスの袋を片づけてパソコンの電源を切った。鞄を持って出入り口に向かう。
部室の電気のスイッチは戸口のすぐそばにある。
ぐるりと部室内を見まわしてからスイッチを押す。
『ケンジ。ケンジ?』
突然何かが聞こえて反射的にもう一度スイッチを押した。
「おわ――?!」
明かりはつかなかった。
暗い部室のなかでまた『ケンジ……』と聞こえた。唱っているような女の人の声だった。
どきどきしてくる。なんなんだ。
『いらっしゃあああい』
唐突に明かりがつく。
いつもの部室より薄暗いぞっと思う。
それに部屋が広くなっているような気もする。
なにか違う香りも漂っている。
「あっ……」
目の前に知らない顔がふたつあった。ふたりくっついて並んで立っている。
優しそうな眼差しでどこか心配そうにこちらを眺めている少女の色白な顔。
まっすぐの栗色の髪。長い睫に縁取られたぱっちりとした目が、僕のことを案ずるようにじっと見つめている。透明度の高い澄んだ茶色の瞳が宝石のようだった。
顔の輪郭も、つんと格好のいい鼻も、いまにも両端が動いて微笑みそうな桃色の唇も、どれもがその形は完璧で、息をのむとはこのことかと感じる。
ずっと見ていたい吸い込まれるような少女のオーラから目をひき離し、そのとなりに視線を移す。
金色の髪から尖った耳が出ている。興味津々の目つきで僕を見ている。これは女の子、だよな? 男の子ような雰囲気もある。幼げな丸顔にくりくりとした目が可愛らしい。
となりの少女とくっついた肩が揺れて髪が揺れてなんだかリズミカルな動きをしている。
「ソフィア、ソフィア。ね。大成功だろ? やったやった」
そういって飛び跳ねている。ふわっと床から浮いて少女の腕を引っ張っている。ものすごく体が柔らかそうだ。
色白の少女も笑顔になっている。金髪の子と腕を組み、その頬に唇を寄せるようにして「よかったわねえ」と囁いている。どことなく落ち着いた物腰だ。色が白くて唇と頬だけがほんのりと桃色でとても綺麗だった。
彼女の腕を組んでいないほうの手が、耳の尖った子の肩に触れた。
「リュック。あまり動き回らないでね。お客さんがびっくりしてる」
「うんうん。よかったね、ソフィア。一回で成功だよ。すごいよ」
色白の少女から逃れるように離れて、リュックと呼ばれた女の子がずんずんと僕に近づいてくる。
「だめよリュック。驚いてるってば。ごめんなさい。びっくりしたでしょう」
そう僕に言いながら引きとめる少女の手につかまって、リュックという子は僕の数歩手前で立ち止まった。
一瞬、時間まで止まったように感じる。
この子と後ろの少女とを視界におさめながら、僕はなんとか自分で自分をしゃきんとさせようとしていた。
「僕いま部室にいたんだけど」
何から聞いていいのかわからないくらい、たくさんの質問事項が頭に湧いている。
「ここは……どこ?」
「ん」
「あう?」
少女はまじめな顔になった。リュックという子はきょとんとした表情をしている。
「部室じゃないよな。おかしいよなあ」
話が通じていない気がして不安になってくる。
「私の家です」
「ソフィアんちだよー」
ソフィアという名であろう少女はやはりまじめな顔で僕を見つめている。
耳の尖ったリュックは、いまにも踊り出しそうな勢いで答えてくれた。
なるほど。ソフィアの家か。
――そうじゃなくて。
ふと足元をみると床に大きな円が描かれていて、その中にぼくは立っていた。
円の中に四角形がふたつ、星形も描かれている。もしかしてこれは魔法陣というものではないのか。
木材が剥き出しの床はどこまでもすり減っていて、年代を感じさせる汚れが染みついているように見えた。すこし離れたところに木製の椅子があり肘掛けや脚の部分のペンキとおぼしき塗装が所々剥げている。
「いきなりで驚いたでしょうね。それは魔法陣といって」
温かみのある声がきこえて顔をあげると、少女がこちらを見つめていた。その眼差しは僕を労ってくれているようにみえる。
「私たちがあなたを召喚したの――」
「オレ、召喚魔法は得意なんだ。ソフィアより! ソフィアより上手いよ?」
魔法陣に召喚といえばそれはつまり。
「そうねリュック。――この子があなたを召喚しました。この子はエルフです。名前はリュックというの」
「あ。ああ……」
目の前にやって来たリュックが、ばすっと僕の手を握ってきた。「よろしく!」と言っている。
体は華奢なのに思いのほか握ってくる力は強い。
「よ。よろしく……」
――魔法界とか。異世界とか。そういう類のあれか。
視線を感じて僕は少女のほうへ顔を向ける。手はエルフに握られたままだ。
少女は胸の前で手を組んでいた。袖口と襟だけが白いほっそりとした深緑色の服を着ている。スカートの裾に覆われて、靴はつま先しか見えない。
長い睫が瞬かれる。美しいと思った。
「私はソフィア。お願いがあってここへあなたを呼びました」