その参
突然だが、僕は『国士サマ』という奴が嫌いだ。
日本国内の国士サマも、海外の国士サマも大嫌いだ。
昨今、中国人や韓国人が侮辱的なデモをやり、また、それに反発して反韓デモなども行われている。
しかし、正直、僕は愛国心というものが希薄だから、中国人や韓国人が日章旗を燃やしたり、天皇陛下を侮辱してるのを目の当たりにしても、「まぁいいや」と思ってしまう。
たしかに『国旗』や『立憲君主』に対する侮辱行為は、国民全員を敵視するレイシズムにも近い発想である。それに対し、『こっちも文句を言うべきだ』という意見があるのもわかる。
だが、僕の場合、そんな輩を目の当たりにしても「ご勝手にやればいいじゃね?」と目をそらしてしまうのだ。
何が彼等にそこまでさせるのかよくわからんが、まぁいいじゃないか。
僕は日本では法律さえ守っているのなら、思想信条なんて自由だ。
各国の歴史認識なんて、結局は国民のエゴに基づくもの。
歴史の真実なんてものに意味などはない。
国家観や歴史観、愛国心などといったものは宗教と同じで、一種の洗脳のような一面だってある。
個人や主義主張なんてどうでもいいんだ。
ナショナルアイデンティティなんて、各人が信じたいものを信じればいいではないか、と。
もちろん、僕のような軟弱なスタンスは不特定多数の人々から顰蹙を買うだろう。
たしかに、一国の国旗や国家元首の尊いだろう。
しかし、その尊さは所詮その国の国民か、その国の歴史を深く知る教養人にしか理解しようがない。
仕方ないではないか。野生の猿に文字をおしえようというようなものなんだ。
しかし、国士サマは、そんな困難な道に挑戦しようというらしい。
なにしろ、『国士サマ』だからな。
トクベツなんだ。きっと凡俗の発想ではいかんのだろう。
こんな主張をすると反論したくなる人はいると思うが、僕がここで語りたいのはそんな天下国家や政治のことではない。そもそも、僕が『国士サマ』という人種を気にいらないのは、彼等の主義主張が僕のと異なるからではない。
「口先だけで他人をコントロールしてやろう」という魂胆が見え透いているからだ。
どこの国でも共通なようだが、『国士サマ』は常に口先で相手を唆そうとする。そして、うまく相手をコントロールできたら悦に浸る。できないと悪態をつき、あちこちでネガティブキャンペーンを始める。
だから、僕は彼等に近づこうとは思わない。
彼等が提案するのは、たいてい他者の負担が増えることばかりである。
天下国家のため尽くすことが素晴らしいというのなら、自分が一番苦労する道を選べばいいのではないかと僕は思うが、彼等は自分でがんばろうとはしない。
彼らの認識では、頑張るべきなのは自分以外の誰かなのだ。
中には「自分は国のためにやってるんだから、他人に嫌がらせしてもいい」と思っている奴もいるらしい。
迷惑千万だ。
だから、僕は主義主張関係なく国士サマが嫌いなんだ。
意見が正しいかどうかじゃない。
やってることが気にいらない。
僕は、むしろ自分自身の思想心情の近い国士サマほど僕は警戒している。
たとえば、アグネス・チャン。
一応、天下国家のために発言しているのだからあれも一種の国士サマだろうな。
僕も「児童ポルノはよくない」「途上国の子供たちは不憫だからできれば助けてあげたい」と思ってはいる。それについては読んでる方も多くが賛同しているのではないだろうか?
だが、ああいう輩は言質を与えた瞬間、舌先三寸で他人の背負うべき義務を増やそうとしてくるから迷惑極まりない。
しかも、国士サマという人種は大抵ナルシストで自己陶酔しているものだから、こちらの批判も忠告も聞きやしないのだ。
そして所詮、軽はずみな思いつきで意見を言う。
政治を語るのはよかろう。
しかし、実際に政府がそれを実行したとして、どれほどのコストが必要なのか?
彼らはデータを集めて、地道に研究しているわけではない。
たとえ自分の思想通りの為政者が選ばれ、自分の意図する改革がなったとしても、国士サマはその改革で発生した弊害について謝罪したりもしない。
彼らは地道な努力は嫌う。
常に結論ありきで、派手な侮辱的なスピーチが好きで、天下国家なんて分不相応なものを動かしたがるのだ。
そして人生経験の浅く、コントロールしやすい青少年や学生などを洗脳しようとする。
教育の専門家でもないくせにしばしば教育者にもの申したがるのはそのためだ。
本当に国のことを思っているのなら、勉強して官僚にでもなればよかろう。
四十、五十になっても遅くはない。いまからでも各分野で国を代表するような、一流の仕事人を目指せばいいのではないだろうか?
社会の為になる企業を興すなりして、立派なリーダーになる努力をすればいいんじゃないだろうか?
だが、やつらはそれはしない。
できない。
そんな能力も度胸もないのだ。
本来、『国士気取り』なんてものは、仕事ができず社会で居場所のない無能者が、老いらくの果てにたどり着いたママゴトのようなものだ。
チンケなプライドの満たす趣味なのだ。
実際に働いて国のために尽くしてるのならともかく、口先だけの国士サマなど『乞食』となにも変わらない。
乞食とは「他人に媚びへつらって、金銭や食べ物を恵んでもらう行為」と辞書にはあるけど、それは表面だけだ。
『乞食』はその実、他人に媚びへつらったりしてはいない。
相手の同情心を刺激し、自分の都合の良いようにコントロールして、金を出させようとする人間なのだ。
彼らは一見、相手に阿っているように見えて、「金を出せ」と指図しているのである。
だから、上手く相手の同情を惹けず、物乞いに失敗した時、きまって相手のせいにする。
「相手が冷たい。慈悲の心がない」と。
乞食が飢えてようが困っていようが、それを助けてやれるかどうかは各人の事情によるはず。
当たり前だろう?
懐に金が余っているならともかく、金に困っている時に他人に施しなんてできるわけがないではないか。
『国に尽くす』という行為も同じで、自分自身が衣食住にコト欠いている状況でできることではない。
国士サマなんてものは本当の愛国者じゃない。愛国乞食だ。
だから、僕は彼らに「まず自分で働け」と言いたい。
自分で努力しようとしないやつに、他人を動かせるはずなんてない。
働け。話はそれからだ。
政治だとか、経済だとか主張のスケールが大きくなっても根本は変わらないと思う。
政治を動かしたいのなら、まず自分で動くべきだ。
自分が汗水たらして働いて、他の人間に楽をさせてやればいい。
自らで実践し、己の意見が国益になることを身をもって証明できれば英雄じゃないか。
かつてゾマホン・ルフィンの日本語は酷かった。
しゃべるの下手で何言ってるのかさっぱりわからなかった。
けど、自分から率先して働いたからこそ、母国ベナンに小学校や日本語学校を作り、両国に大使館を作るという偉業を成したのではないか。
人を動かすのは口先ではない。周囲の人たちはちゃんとそれを見ている。
だからこそ、ゾマホンは多くの賛同者が得られ、結果、国が動いたのだと思う。
重ねて言うが、僕は政治や天下国家を語りたいわけではない。
自分の思い通りにできるのは自分自身だけ、やる気があるならわざわざ他人を操ろうとするなと言いたいんだ。
つまり、『意見』ではなく、『姿勢』の問題だ。
『自分は正しい』と本気で信じているのなら、僕みたいな雑魚に舌戦を挑んでくる必要なんかない。
たとえ意見が違っても、僕はその人の取り組みを邪魔したりしない。
だから、見ず知らずの他人に指図せず、まず自分でやって見せてくれ。
その上で「ご協力をお願いします」って周囲に訴えるのなら、賛同する奴もいるんじゃないか?
成果をあげたならもっと大勢の人が協力してくれるだろう。
しかし、提案者自身が行動していないなら、「こんな提案に労力を支払う価値などない」と自ら証明しているも同然ではないか。
これ読んでいる人も国士サマが押し付ける『正論』なんかを真に受けて、自分の義務や負担を増やす必要はないと思う。
『無能な働き者』にアゴで使われ、金や労力を浪費するなど、実にバカバカしい。




