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秋歩と紅葉

 小さな頃から、一人で出掛けた時はいつも遠回りをして家に帰っていた。母親にはそのことでしょっちゅう怒られた。そんなに家に帰るのが嫌なら、出ていってもいいのよ! そう何度も怒鳴られたものだ。その度にごめんなさいと謝りながら心の内で思うのだ、きっと明日もまた遠回りをしてしまうのだろうと。しかし、特別意味があって遠回りをしていた訳ではない。今日は空が綺麗だから、公園の芝の上で寝転がって見てみたい。あの角を曲がった先にはなにがあるのだろう。雨の音が傘の内側に響くのが楽しいから。そういったその場の思い付きばかりだった。だから母親に遠回りをする理由を聞かれても、上手く答えることが出来ずいつもまごついていたように覚えている。

 それは大学生となり一人暮らしをするようになっても変わりはなかった。だから今日もまた、夕暮れの道を一人歩きながら、適当な角を曲がる。やらなければいけない事が頭の中に次々と浮かぶけれど、気ままな足は今日も止まりそうにない。

 気ままな足、か。長々と続いた心の内の独白に、うつむいたまま一人笑った。しょうもないことを、よくもまあ――。

「あははははっ。きゃははっ」

 延々と続いていた思考が、突然響いてきた子どもの笑い声に切断された。軽やかで朗らかな笑い声だ。それと一緒に、ピアノだろうか、軽快な曲も微かに聴こえてくる。どんな人が弾いているのだろう。いつものように、好奇心と思い付きでふらふらと音のする方へ足が動かした。

 音の出所はすぐ近くにあった。そしてその家の前で、声の持ち主だろう男の子が走り回っている。愛らしいその光景に唇に自然と笑みを浮かび、くすりと笑った。その声が聞こえたのだろうか、男の子が足を止めて真っ直ぐこちらを見上げてきた。まん丸い小さな瞳と数瞬見つめ合う。と、男の子は急に動きだし、勢いよく足にぶつかってきた。よろけて尻餅をつかなかった自分に称賛を送りたい気分だ。下を見れば、足にしがみついた男の子がかわいらしいつむじを見せているではないか。

「えーと」

 なんと声をかけようか迷っていると、男の子がぱっと頭を上げて小首を傾げた。

「きこえるのか?」

「え、あぁ、うん」

 ピアノの音のことだろうと思い肯定する。すると男の子は満面の笑みを浮かべて頷いた。

「よかった。じゃあ行こうか」

 さも当たり前のことのように続けられた言葉に、疑問符が頭を埋め尽くした。

「行くってどこに?」

「僕の家にだ」

 不思議な男の子だ。姿見た目の幼さからは想像できない大人びた口調で話す彼に目を白黒させる。第一印象の愛らしさはどこへ行ってしまったのか。頭は混乱するばかりだ。

「君の、家に?」

「あぁ。会わせたいんだ、彼に」

「そんな、急に言われても。彼って誰なの?」

 質問の連続に、男の子は呆れたようにため息をついた。

「そんなに沢山考えるからいけないんだ、人間って奴はまったく……。君がこの音を辿ってきた時のように、簡単に行動すればいいのに」

「まるで自分が人では無いような物言いだね」

「今は人の形をしているよ」

 あぁ、そういうことかと今度はこっちがため息をはく番だ。

「またか」

「見える人間に会うのは久しぶりだな」

「巻き込まれるのはごめんだよ」

「またかって言うくらいなら分かってるだろうに。な、頼むお願いだよ。彼と……」

 ぷつりと言葉を途切らせ、男の子の視線が、何かをなぞるように虚空をさ迷う。

「どうした」

 声をかけたとたん、彼は弾かれたように走りだした。

「なにしてる! 早く来い、曲が終わってしまう!」

「おいっ。たく、あーもう!」

 一方的な物言いに、諦めて一緒に走り出す。走ると言ってもたいした距離はかったが、既に視界に映っていた住宅の前まで着くのと、曲が終わるのはちょうど同じ時だった。

「待て、僕はまだ」

「彼を、お願い」

 囁くような声で言葉を遮り、男の子が消えかけた指先でチャイムを鳴らす。

「あ、おいっ」

 リンゴーンと家の中から電子音が聴こえた。その後に、はーいと応える男性の声。さほど待つこともなく、玄関の扉は開いた。つまり、逃げる間もなかったわけだ。

「はい、どうし……ました?」

 見知らぬ男子大学生の突然の訪問に、青年は言葉を詰まらせながらも笑顔で尋ねてくれた。臨機応変という言葉が苦手な自分には、最大の苦難が今目の前にたちはだかった。さて、なんと答えようか。

「あ、あのぉ。どうも。えーと、ピアノの音を聴いて、来たんですけど、その」

 しどろもどろに言葉を紡いでゆく。適当な嘘のひとつでもささっと作れれば楽なのだろうに。頭の隅にいる冷静な自分が言った。それが出来れば苦労はしない。真っ白になってゆく頭が、ますます言葉を詰まらる。

「もっと、聴きたいな、なんて思って……すいませんっ突然。気味悪いですよね! 僕、帰りますので。本当にすいませんでしたっ!」

「あっちょっと」

「へ、はいっ」

 予想外に引き留められ、もうパニック寸前だ。

「もしよろしければ、僕のピアノをもう少し聴いていってもらえませんか」

「は……はい?」

 ここで再び思考は停止する。

「なにか、あなたとは縁を感じます」

「縁、ですか」

「えぇ」

 にっこりと笑う彼の表情が、あの男の子と重なった。

 これが、彼との出合いであり、長く続く友情の始まりでもあったのだ。

「えーっと……じゃあ、お言葉に甘えて?」

 こうやって、物語が始まるのだろうな。またしょうもないことを考えながら僕は一歩、踏み出した。

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