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陛下、それは猫ではなく後宮妃です!~姿を変えて、冷徹皇帝の溺愛本音を聞いてしまいました~  作者: 及川 桜@『後宮の料理妃2』発売
第六章 そして妃は寵愛の冠を戴く

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「すまなかった。俺が……もっと早く迎えに行っていれば……」


 滲むような沈痛の声が、璃華の耳元に落ちる。

 璃華は、抱きしめられ、驚きに息を呑んだ。

 けれど、胸の奥から温かな喜びがじんわりとこみ上げてくる。

 そっと首を振りながら、黎煌の背に静かに手を添えた。


「れ、黎煌様は……や、約束を果たしてくださいました……。け、けれど、私が……こ、こんなふうになってしまって……」


 その言葉に、黎煌は静かに首を振る。


「璃華は、何ひとつ悪くない。その話し方だって、一生懸命さが伝わってきて、愛おしいと思う。璃華のすべてが、俺は好きなんだ」


 そう言って、黎煌は抱きしめていた腕をそっと離し、まっすぐ璃華の瞳を見つめた。

 その真剣なまなざしに、璃華ははっきりと感じた。

 黎煌もまた、不器用なりに必死で自分の想いを伝えようとしているのだと。


「わ、私……こ、こんな私ですが……お、お側にいても……いいのでしょうか?」


 涙が、ぽろりと璃華の瞳からこぼれる。


「もちろんだ。……俺の側にいてくれ」


 その言葉とともに、黎煌はふたたび璃華を強く抱きしめた。

 白檀の香りがふわりと鼻をかすめる。璃華は、その胸のぬくもりに身を預けた。

 愛する人にすべてを受け入れてもらえたことが、何よりも嬉しかった。

 心の底から、幸せだった。


 しばらくの間、ふたりはそっと抱き合い続けていた。

 やがて、黎煌がゆっくりと体を離す。

 視線が重なり、言葉の代わりに、静かな緊張が空気を満たしていった。


(……今宵、私と黎煌様は本物の夫婦になる)


 心臓が早鐘のように鳴り響き、緊張で胸が張り裂けそうだった。

 けれど、もう覚悟は決まっている

 璃華は目を閉じ、そっと唇を結ぶ。

 ドク、ドク、ドク……自分の鼓動が耳の奥で響く。


「璃華……」


 甘く、どこか切なげな声が、名を呼んだ。黎煌の吐息が混じる。


(大丈夫……黎煌様に身を委ねていれば、きっと……)


 夜伽の所作など、詳しくは知らない。

 でも、流れに身を任せていればきっと──そう思い込もうとする。


(ああ、こんなことなら、もっとよく知っておけばよかった……)


 ふいに、不安が押し寄せる。

 自分の浅い呼吸が意識され、自然と眉根が寄っていった。

 そのときだった。

 黎煌は、璃華の額にそっと口づけを落とした。


(……え?)


 それは、まるで幼子をあやすような、やさしい仕草だった。

 そこには、男女の甘やかな情熱など微塵もない。

 きょとんとした目で黎煌を見上げると、彼は蕩けるような眼差しで璃華を見つめていた。

 そして、やわらかく微笑みながら、璃華の頭をそっと撫でる。


(……え?)


 夜伽の所作には詳しくなくとも、これが──何か微妙に違う、ということくらいは分かる。

 璃華が想像していたのは、額への口づけや頭を撫でられることではない。

 けれど、黎煌は満足げに微笑むと、璃華をそっと抱きよせ、寝台に横たわらせた。

 再び心臓が高鳴りはじめ、璃華は身を固くする。

 しかし黎煌は、璃華をやさしく抱きしめたまま、静かに目を閉じた。


(……え?)


 ま、まさか……このまま、お休みになるつもりでは……?

 いや、そんなわけ──

 璃華は身じろぎせず寝台に横たわりながら、頭の中だけが慌ただしく動いていた。

 きっと、これから何か展開があるはず。

 そう信じて待ち続けていたというのに、聞こえてきたのは──黎煌の、規則正しい寝息だった。


(嘘、でしょ……)


 そしてそのまま、何事も起こらぬまま、朝を迎えたのだった。



 公務へと向かう黎煌に上衣をかけ、璃華は寝殿の扉の前まで見送った。


「また、今宵も来るからな」


 その言葉に、璃華は驚いたように目を丸くする。


「ま、また……いらしてくださるのですか?」


「当然だ。毎晩来る。ここはもう、俺たちの寝殿なのだから」


(……俺たちの、寝殿……)


 どうやら、昨夜何もなかったのは、不満があったからではないらしい。

 黎煌の顔を見れば、璃華への愛しさが隠しきれずに滲み出ているのが、よくわかる。

 その事実に安堵した璃華は、ふにゃりと柔らかな笑みを浮かべた。


「お、お待ちしております」


 すると、黎煌の顔が、ぽっと赤く染まる。

 目を泳がせながら右手を伸ばしかけたものの、ふいにもう一方の手でそれを抑えつける。

 まるで、何かと必死に葛藤しているようだったが──璃華には、よくわからなかった。


「では、行ってくる」


 黎煌は額にわずかな汗を滲ませながらも、仮面のように動かぬ冷徹な表情をつくり、扉に手をかけた。


「い、いってらっしゃいませ!」


 璃華は慌てて背中に声をかける。

 その瞬間、黎煌の手がぴたりと止まった。

 肩が、ふるふると小さく震えている。

 まるで、今すぐ振り返って、璃華を抱きしめたくて仕方がない、という衝動を必死で抑えているようにすら見えた。


(……そんなわけ、ないわよね)


 璃華は思わずそう自分に言い聞かせる。きっと、願望がそう見せているだけ。

 黎煌は大きく息を吸い込むと、背筋をぴんと伸ばし、威厳ある佇まいで扉を開けた。


 外では、すでに宦官が恭しく控えている。

 その背中が見えなくなるまで、璃華はじっと、目で追い続けていた。


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