里帰り :約3000文字 :SF
「わあ……」
駅を出た瞬間、思わず声がこぼれた。船をいくつも乗り継ぎ、久しぶりに地元へ帰ってきたのだ。
懐かしい……。匂いはもう覚えてないけど、景色はあの頃とほとんど変わってない気がする。古びたビル、空いたままのテナント、チェーンのレストラン。まるで時間が止まり、町そのものが標本みたいに保存されているかのようだ。
「あら……? あらあら? あらあらあら!?」
「え?」
私の前を通り過ぎた中年女性が急に立ち止まった。目をまん丸にして、私の顔をまじまじと覗き込んでくる。私は反射的に一歩後ずさった。
「あなた、――さんじゃない? 懐かしいわあ!」
「え、あの……あっ! 林さん?」
「そうよ、そうよ! わあ、久しぶりねえ! 元気してた!?」
「は、はい……林さんも、お元気そうですね」
林さんは私が初めて就職した書店の上司だった。明るくて優しくて、何かと世話を焼いてくれた人だ。声の大きさも勢いもあの頃のまま。その迫力に、私はついまた半歩距離を取った。
「うふふ、当然よお。それで? あなたも帰ってきたの? 今はどこに住んでるの?」
林さんは興奮した様子で矢継ぎ早に質問を投げてきた。
ちょっとした里帰りだと説明すると、彼女は手を叩いて笑った。そうそう、こういう笑い方をする人だった。まったく変わっていない。店内でもよくこの声が響いて、お客さんにちらちら見られていた。そんな記憶が蘇り、私はふと周囲を見渡した。そのときだった。
「おっ、――じゃないか?」
「あっ……吉村先生?」
「おー! 久しぶりじゃないか! 元気しとったかあ!」
高校時代の国語の先生だ。どうやら私たちのやり取りを見て気づいたらしい。気がつけば、他にも何人か物珍しそうにこちらを見ている。
「帰ってきたんだなあ。いやあ、懐かしい!」
「ええ、まあ……先生も相変わらずお元気そうで」
「ははは、まあな!」
「うふふ」
「いやあ、――は高校時代、実によくできた生徒でしてな」
「あらあ、そうなのお! いや、そうよねえ。わかるわあ」
先生は、まるで私の母親に語りかけるように林さんに向かって話し続けた。私は居心地の悪さを覚え、曖昧に笑うしかなかった。
「おっ、――さん?」
「え?」
その声に引き寄せられるように、また別の男性が近づいてきた。
「懐かしー! 帰ってきたんですね!」
「えっと、あの……すみません、どちらさまで……」
「あっはあ! ほら、――さんが中学生の頃に通ってた美容院の店長、店長!」
「あ、あはは、ほんとだ。どうも……」
「あら? あなた、――さんとこのお嬢さんよね?」
「え? あっ、たしか昔住んでいた家のお隣の……」
「そうそう! うわあ、懐かしいわあ! 帰ってきたの? あっ、そういえばね、今ちょうど隣の家、空き家なのよ。前の家は取り壊して新しくなったけど、そこに住むの? 嬉しい、またお隣ね!」
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
「あっ、こんにちはあ。すごい、また会えるなんて!」
「えっ、あの……あ、いつもうちの前をワンちゃんと散歩していた方……?」
「うふふ、覚えててくれたのね。元気にしてた?」
「え、ええ、まあ……。ワンちゃんも元気そうで。たしか、メ、メ……」
「うふふ、メルちゃんよ。まあ、さすがにメルちゃんはもう亡くなっちゃったわ」
「あっ、そうですよね。すみません……」
「あなたと最後に会ったのは、たしか中学生の頃だったかしら。あれから七十年も経つんだもの、しょうがないわねえ。だから、この子はその息子なの! うふふ」
「む、息子……それでもずいぶん長生きですね」
「当然よお。内臓を機械に換えたからね。私と一緒。あなたもでしょ?」
「ええ、はい……」
発達した科学技術は、もはや人類の寿命という概念そのものを書き換えてしまった。臓器は培養品や機械部品と交換し、皮膚は新品同様に貼り替えられ、脳には老化防止剤を注入。人は、まるで管理された美術品のように延々と生を維持し続けている。
政治家は三百歳を超えても椅子にしがみつき、企業の重役たちの顔ぶれも変わることなく、永遠のような時間を役員報酬とともにぬるく漂い続けている。
閉め切った部屋の空気みたいに世界全体が淀んでいる――ずっとそう感じていた。
私はそんな地球に嫌気が差し、定期運航船に乗って入植惑星を渡り歩いた。
そこで出会ったのは、同じように地球の停滞に飽き飽きした人たちだった。というより、ほとんどがそうだった。
最初は共感できる相手がいることが嬉しかった。でも、それは長くは続かなかった。似た言葉、似た不満、似た夢。それらが重なり合い、自分という存在そのものが薄れ、輪郭が溶けていくような感覚を抱いた。空虚さが胸に広がり、私は自分がどこにいて誰なのかわからなくなってしまった。
だから私は一度立ち止まり、自分という存在の形を確かめたくなった。それで数十年ぶりに地元へ戻ってきたのだ。
でも――。
「それでな、積極的に手を上げてくれて――」
「久しぶりにどうです、カットしちゃいます? これ、クーポン券」
「二つお隣の小池さんって覚えてる? あの人ね、今はこの近くのアパートで暮らしてるのよ」
「ほらほら、撫でてあげて!」
「ワンワン!」
「いや……あの……あっ!」
言葉を探しているうちに、ゆっくりと近づいてくるタクシーが視界に入った。その瞬間、私は反射的に手を上げて呼び止めた。そして逃げるように後部座席へ滑り込んだ。
「空港まで!」
短く告げると、タクシーはすぐにエンジン音を強めて走り出した。窓越しに、さっきまで私を囲んでいた一団の姿が小さく滲むように遠ざかっていく。
それを見届けてから、私はようやくほっと小さく息を吐いた。
あの人たちは、きっとこの先も何年、何十年――いや、何百年経ってもずっとあのままなのだろう。
卑下しているわけじゃない。あれが彼らのアイデンティティ。ただ、それを変えずに生き続けているだけ。
宇宙時代になっても、そういう人間は多いと聞く。回遊魚みたいに、生まれ育った場所、長く暮らした場所、思い入れのある場所へ帰ってきて、そこで漂い続ける。それが人間の宿命なのかもしれない。
でも、私はそれが怖いのだ……。
「お客さん、地元の人?」
「えっ、あっ、はい……」
不意に声をかけられ、思わず肩が跳ねた。てっきり無人の自動運転タクシーだと思っていたのに、運転席には人が座っていた。
珍しい。まさか、さすがに手動で運転しているわけじゃないだろうけど……。
「へえ、見ない顔だねえ」
「まあ、久しぶりに帰ってきたので……あれ? あなたは……」
ダッシュボードの上に取り付けられた名札と色褪せた顔写真が目に入った瞬間、頭の奥がざわりと揺れた。
小学生の頃。風邪を引いた私は、母に連れられてタクシーに乗り、病院へ向かったことがある。
高熱にうなされながらも――いや、うなされていたからこそ、妙に鮮明に覚えている。運転手はぶつぶつと、ずっと何かに対して怒ったように呟き続けていた。怖くて、悪夢だと思ったくらいだ。
この声、間違いない。あのときのタクシー運転手だ。
「たくよぉ……」
運転手は昔と同じ調子で呟きながら、ハンドルをぐっと握りしめた。
「あれ、あの、自動運転じゃないんですか……?」
「んー? あのねえ、AIなんてもんはクソだよ」
「え?」
「おれの従弟もねえ、長いことトラックを運転してたんだけどねえ、結局AIに仕事を奪われてよお。クソだよ、クソ。クソクソクソ……」
呟きは次第に荒さを増し、粘つくような音となって私の耳から脳へと流れ込んできた。あの頃のように。
思考にノイズが走り、背筋が震えた。これは危険信号だ――そう気づいた、その瞬間だった。
車体が大きく揺れた。
そして、フロントガラスいっぱいに迫り来る対向車が映り込んだ。




