第38話 お願い ──結衣Side──
なぜもっと早く気が付かなかったのか。なぜもっと早く情報を共有しておかなかったのか。
考えても仕方のないようなことが、結衣の頭の中をぐるぐると巡った。
身体が凍り付いたように動かない。
「お前たちの父親が権力に媚びたせいで、お父さんは死んだんだ……殺人犯の子供たちがなに楽しそうに生きてんだよ、ふざけんな」
環は枯れんばかりの声で吐く。
きっと、全ては結衣の予想通りだったのだろう。これほどまでに当たって欲しくない予想が過去にあっただろうか。
こちらに顔を向けるでもなく、吐き捨てるようにそう言った環は走り去っていく。その頬は濡れていたように見えたが、それが透華の返り血なのか、それとも他の液体なのか、混乱した結衣には分からなかった。
「……あ、うぅ……」
地面に転がされた透華が苦しげに呻く。その腹からはこんこんと湧き出す泉のように血が出ていた。
真っ先に救急通報し、透華を見る。
(脈動してないから、大動脈は切れてないはず。助かるかも……)
足を持ち上げ、せめてもの抵抗に刺された場所を圧迫する。
心と分離したように冷静な頭に、自分自身驚いていた。
そうこうしているうちに透華がひゅうひゅうという呼吸をしていることに気が付いた。
死戦期呼吸、というものなのだろう。おそらくこのままにすると透華は死ぬだろう。
「ねぇっ、透華くん……置いていかないで……」
不意にそんな言葉が口を吐いたかと思うと、気づけば透華に口づけを落としていた。
そのまま顎を引き上げて鼻をつまみ、ふーっと息を吹き込んだ。
「お願い……」
どうにか、助けてくれないか。
そんな思いが呟きに変わり、握った透華の手が次第に冷たくなっていく感覚だけが結衣に残された。
三章、終了です。
次話からエピローグになりますので、何卒最後までお付き合いいただけますと幸いでございます。(松柏)




