第35話 変わり目
「透華、聞いてるか?」
「え、ああ……すまん、聞いてなかった」
「今週なんか変だぞ? ずっと上の空みたいな……」
人気のなくなった夕方の教室で、秀は眉根を寄せて透華を怪訝そうに見た。
あの日レストランで起こった心の揺れ動きの正体は何なのか──。
それが気になって透華の心はここのところずっと上の空だった。わかっているような、わからないような、曖昧な感情だ。
「まあ、透華も疲れてるんだろ。なんか悩みがあるなら聞くぞ?」
言葉にできるほどまとまった感情ではない。しかし、秀ならきっと脈絡のない相談にでも付き合ってくれるだろう。
「なんか、今ある人のことで悩んでて──」
結衣のことは一切伏せて、ただ自分の中で揺れ動く感情について淡々と相談した。
すると、秀は慈愛に満ちたような笑みを浮かべてしばらくの間黙り、そして口を開いた。
「相談に乗っておいて悪いけど、それは透華が自分で名前を付けるべき感情だと思う。ゆっくり考えて、自分なりの答えを出さないとだめなんじゃないかな」
秀はいつものちゃらんぽらんな姿からは想像できないほどに真剣な面持ちで、子に諭す親のように透華にそう話した。
「ゆっくり考える時間が必要だと思うから、ちょっと一人で考えてみるのもいいと思う」
そう言って秀はおもむろに立ち上がり、透華を置いて部活に行ってしまった。
「自分で、ねぇ……」
やけに含みを持った秀の言葉が反芻される。
正体が気になるのに、目を逸らしていたいような、相反する感情。喉が狭窄するような息苦しさ。思考はふわふわとしたままで手に取ることができずに中空を漂っている。
そんな名状しがたい感情を打ち消すように、スマホの着信音が鳴った。
気づけば結衣も仕事が終わったらしく、連絡をくれたようだった。まだ校内に居ることを伝え、透華も昇降口へ向かった。
◇◆◇
いつも通りの屈託のない笑みを湛えた結衣に迎えられて帰路につき、七月のべたつく空気を全身に浴びている間に家に着く。
──得てして穏やかな日常というものは続かないもので。
『終わりだ』
ただそれだけ書かれた便箋が、ポストに投函されていた。




