第34話 誕生日と浴衣③
「じゃあ、最後の目的地に向かってもいいですか?」
足湯カフェを堪能して店を出ると、結衣が緊張した面持ちでそう言った。
「実はちょっと遠くて、移動に時間かかっちゃうんですけど……」
緊張していた理由はどうやら遠い場所に案内するためだったらしい。
「いいですよ、遠くても。紅葉さんとなら退屈しなさそうですしね」
そう言うとぱあっと破顔してからほっとした表情へと次々と表情を変えた。
目的地はあえて訊かなかった、その方が楽しい気がしたからだ。
暖かな日差しを湛える今日という日に祝福されているような気がして、軽い足取りで結衣と歩いた。
◇◆◇
どうやら電車で移動するらしく、駅のロッカーに使わない荷物を入れて改札を抜けた。
「座れそうですね」
週末の午後二時過ぎ。それに見合った乗車率の車内にはいくつかの空席があり、労せずに座ることができた。透華が座ったすぐ隣に結衣も座った。若干長い旅路だと聞いていたので、座れたことに安心する。
──しかしだ。透華は鋭敏に視線を感じ取っていた。
結衣に向けられた不埒な目線。透華自身が向けられているわけではないが、確実といって良いくらいに結衣に向けられている。
確かに結衣の容姿は目を惹く。同じ男として見てしまう気持ちも分からなくはない。とはいえ、公共の場で下卑た目つきで人を見るのは些かいただけない。
それ以上に──。
(……それ以上に、なんなんだ?)
それ以上に。その言葉に何を続けるつもりだったのだろうか。浮かんだはずの考えは湯煙のように立ち消えた。
透華の心には明らかに正義心だけでない何かがくすぶっていた。
(まさか、結衣のことを独占したいとでも思っているのだろうか……)
そう考えるとはなはだおかしな話で、まさかと思って思考をかき消した。
ひとまずはこの気色悪い視線を消すのが先か──。
下から睨めつけて剣先のような視線をぶつけ返せば、ふいっと顔を逸らされた。
本音をいえば謝罪の一言くらい要求したかったが、まさか結衣の手前、そんなことはできなかった。
「……透華さん? だ、大丈夫ですか……?」
そう、純粋なのだ。透華が少し視線を断とうと表情を険しくしただけで不安げに見つめてくるほどに。
だからこそ結衣の前では穏やかな人でありたいと願う。
「……いえ、何でもありませんよ。ちょっと目にごみが入っただけです」
真相は悟られまいと誤魔化すと、結衣の表情も和らいだ。
この穏やかで安心しきったような表情を守らなければ。そう思わせるような笑みを湛えて、結衣は続けた。
「楽しみですね!」
「僕ももちろん楽しみですよ。紅葉さんが準備してくれたんですからきっと楽しいです」
そんな話をしているうちにだんだん都市部を離れ、車内も人が減ってきた。
閑散とした車内には、人が少ない故の落ち着いた雰囲気が流れる。
「……ちょっとだけ、眠たくなってきちゃいました……」
様子には表れていないが、普段の規則正しい生活を乱してしまったので眠気も来るのだろう。
「……透華さんといると、安心して眠たくなっちゃう……」
まったく、結衣はすぐに勘違いしてしまいそうになる発言をする。
「寝てもいいんですよ?」
「……いえ、寝ません。透華さんの誕生日ですから……」
気合を入れなおすように両手で軽く頬をぱちっと叩いた。
透華としてはそこまで無理しなくてよいと思うが、結衣が自主的にそうしているのだから外から細々と言うべきではないだろう。
◇◆◇
特急から各停に乗り換えてバスを乗り継ぎ、計二時間半ほど経った頃、目的の駅に辿り着いた。
目的の場所を目指し、徒歩で山肌の階段を上り始めたのだが──。
「……大丈夫ですか?」
「……も、もうちょっとなので……」
始めは意気揚々と透華を先導してくれていた結衣だったが、だんだんと声音がしんどそうなものへと変化していき、最終的には透華が結衣に合わせるようにして歩いていた。無理しないように伝えたが、その度に首を横に振って歩みを止めなかった。
「あ、見えてきましたね……」
そうこうしているうちに、やっと階段の終わりが見えてきた。
「……着いたぁ……」
「お疲れ様です、大丈夫ですか?」
ついに階段を上り切った頃には息が弾み汗ばんだ結衣がいた。
「……行きましょうか、実は予約してあるんです」
頂上には飾り気のないシンプルな洋式の建物が建っており、ドアにはOPENのプレートが掛けられていた。
いつの間にか息と恰好を整えた結衣がすっと透華の手を取り、エスコートするかのように透華を導いた。
今朝から感じてはいたが、今日の結衣は何だか格好良い。甘えたがりな側面が鳴りをひそめ、綺麗な所作と丁寧な段取りで先導してくれている。
「予約していた紅葉です」
透華がそんなことを考えている間に結衣はスマートに受付を済ませ、席へ歩いていく。
「透華さんもどうぞ」
自然な流れで引かれた椅子に腰掛けると不意に「おおっ」と声が漏れた。
外見では質素でシンプルに見えた建物だったが、入口の反対側は一面ガラス張りになっており、目の前には町を見下ろす景色が広がっていた。
「景色、気に入ってもらえましたか? ここはご飯も美味しいんですよ、任せてもらえますか?」
微笑みかける結衣の表情があまりに格好良くてときめかされているうちに結衣がウェイターを呼び、すらすらと注文していく。
少しの時間をおいて、ウェイターが料理を運んできた。
どうやらコース料理らしい。しかし堅苦しい雰囲気を纏ったものではなく、歓談しながら食事をするのに適した和やかさを湛えている。
「──二ヶ月」
透華と目を合わせるでもなく、中空を眺めるように懐かしむように結衣は話し始めた。
「私が透華さんにお世話になってから二ヶ月以上経ちましたね……。あの時の私に今の事話してもきっと信じないと思います」
「ふふっ、公の場ではしっかりした大人なのにスイッチが切れると超甘えたがりになる何て、二カ月前の僕も信じないと思いますね」
そう返すと結衣は若干恥ずかしそうに一瞬視線を切り、再度話し始める。
「透華さんには本当に感謝してるんです。まだ高校生なのに、私よりも遥かにしっかりしてて……。透華さんと一緒に生活してなかったらきっとまだ、毎晩布団にくるまって怯えるだけの日々だったと思います」
面と向かって言われては面映ゆいことだが、結衣の面持ちは真剣そのもので茶化して良いような雰囲気ではない。
「だから、今日はそのお礼がしたくて頑張っちゃいました。喜んでもらえましたかね……?」
「それは、もちろん」
今日結衣が見せていた格好良さは感謝を伝えたいという思いから来ていたものだったらしい。
「あ、これだけはちゃんと伝えておきます──」
すうっと息を吸って、一瞬の静寂が流れる。
「──いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
破壊力抜群の笑みで告げられた言葉は、何ら変哲のないもののはずだったのに、透華の心は揺れ動いて仕方がなかった。




