召喚者の苦悩
私──ノア・ロストリアは、異世界召喚を行った。
本来なら、自分の世界のことは、自分たちで何とかするべきだと思っていた。
見知らぬ誰かを突然呼び寄せて、「戦え」だなんて……そんな無責任なこと、言えるはずもなかった。
私は、ロストリア王国の宮廷魔導師団に所属していた。
“エース”と呼ばれていたけれど、それは才能じゃない。ただ、生きていくために、そうならざるを得なかっただけだ。
私の体には、色素がない。
視力も弱く、陽射しにも肌が負けてしまう。
だから私は、魔術で補った。視界を補強し、肌を守るために、薄い魔力の膜を常に展開して生きてきた。
そうやって“普通”に生きるために、魔術を磨いた。
結果として、魔導師団の中でも頭角を現し、“王国のエース”なんて呼ばれるようになった。
私は、強い魔導師として、世界を守るために戦った。
戦って、戦って──そして、敗れた。
そのとき、私は前線に立つことを、二度と許されなくなった。
けれど、脅威は消えてくれなかった。
私が抜けた穴を埋められる人材は……この国には、いなかった。
だから、異世界召喚を決意した。
それは、“頼るしかなかった”という、苦渋の選択だった。
でも、召喚した相手に「戦ってほしい」なんて、どうして言える?
強制なんてできるわけがない。心から、そう思っていた。
──だから。
召喚直後、父とジンガ様が衝突したと聞いたとき、私は胸が痛んだ。
そりゃそうだ、と思った。
突然見知らぬ世界に連れてこられて、「戦ってくれ」だなんて。
誰だって、反発するに決まってる。
それでも最終的に、話は比較的穏やかに収まったらしい。
けれど、私は落ち着かなかった。居ても立ってもいられなかった。
彼に会いに行った。
彼は、思っていたよりも若かった。
ああ、私は……こんなに若い人を、戦わせるためだけに呼んだのか、と痛感した。
だけど、彼は案外、冷静だった。
状況を理解し、協力する、と言ってくれた。
その言葉が、どれほど救いになったか。
気づけば、私は自然と頭を下げていた。
もう前に出られない私の代わりに、戦うことを選んでくれた彼に。
……感謝しか、浮かばなかった。
でも、同時に思った。
こんなに簡単に決めてしまって、本当にそれでいいのか、と。
どこか、深く考えずに引き受けてしまったようにも見えたから。
だから、もっと真剣に考えてもらいたかった。
そのために──ジンガ様に、この街を見せた。
ここが、守るべき場所だと知ってもらうために。私たちの問題を引き受けるとは、そういう事だと理解してもらうために。
けれど、彼は眼下に広がる街並みに対して、怯えるような様子はなかった。
むしろ、その壮大な光景に、素直な驚きを覚えているように見えた。
城下の街並みに対する興味や関心が、少しずつ、しかし確実に彼の中で膨らんでいくのを感じる。
空中城塞──《ロストリア・アーク》は、本当に多くの人々の知恵と協力があってこそ築かれた、私たちの“技術の象徴”だ。
どうやら彼のいた世界にも、似たような空中要塞というものが存在していたらしい。
ただ、それは極めて特別なもので、日常的な存在ではなかったようだった。
その話を聞いて、少し安心した。
この世界と、彼の世界の間には、思っていたほど大きな技術の隔たりはないのかもしれない。
少なくとも、“理解できないもの”として拒絶されることはなさそうだった。
その後、話題は勇者召喚へと移った。
きっかけは、神の在り方についての、彼の素朴な疑問だった。
「神様たちは、口では“手は出さない”って言っておきながら、必要なときには、ちゃんと許可は出すんだな」
その問いに、私は言葉を詰まらせた。
“神は基本的に人に干渉しない”──この世界の常識。
けれど、彼の言う通り、勇者召喚という制度はその常識と矛盾している。
神々は、本当に必要なときだけ、静かに、都合よく介入している。
その事実を前に、私は反論できなかった。
だから、せめて自分にわかる範囲で、勇者召喚の仕組みを彼に説明する。
「一つは、世界崩壊に対する戦力の補強。
そしてもう一つは……後ほどお話します。
現物を見ながらのほうが、きっと伝わりやすいと思いますので」
その“もう一つ”の理由は、勇者専用に開発された武装の存在だった。
それは、世界中の英知と技術を結集して作られた、最先端の兵装。
だが、強すぎるがゆえに、各国の有力者が手にすることは許されなかった。
《中立であること》
《特定の勢力に属さないこと》
その条件を満たす存在が、異世界の勇者だった。
世界が崩れかけている今でも、人の思惑は濁っている。
正義の裏には、損得と計算が入り混じっている。
その現実を、彼にどう伝えるべきか──私はまだ迷っていた。
だから、私はジンガ様に提案した。
「……街を歩いてみませんか?」
それは、どこか逃げるような形にもなってしまった。
けれど、あのとき彼が街並みに向けた興味の目は、確かに本物だった。
せっかく関心を持ってくれたのだ。
ならば、この国のことを、もっと知ってもらいたいと思ったのは、紛れもない本心だった。
この空中の大地から、飛び降りることを前提としていた彼には、少し可笑しくて笑ってしまった。
空中城塞を降りて、私たちは高層ビルが立ち並ぶ街を歩いた。
その途中、私はこの都市の文化、特に高層階に暮らす人々の暮らしや価値観について、できる限り丁寧に説明した。
この世界のことを、少しでも多く知ってほしかったから。
道すがら、彼の話もいくつか聞くことができた。
今年で十五歳らしい。私は二十歳なので、年齢だけを見れば随分と年下だ。
本来なら、もう少し幼さがあってもいいと思う。
けれど、彼には年相応の軽さがなかった。
落ち着いた声と、冷静な物腰。
どこか大人びた印象があって、正直なところ、何度か年上と話しているような錯覚にさえなった。
だから私は、どうしても気になって、なぜ協力する気になったのかを彼に尋ねた。
「まあ、強いて言えば……人の“願い”が、そこにあったからかな」
彼はそう言った。
正直なところ、その言葉の意味は、すぐには飲み込めなかった。
けれど、不思議と否定する気にはなれなかった。
だから私は、その言葉を何度も頭の中で繰り返していた。
そして、一言──漏れるように、口から溢れた。
「ああ。だから、協力することにしたんだよ」
その言葉に応えるように、彼の声音はどこまでもあっさりとしていた。
けれど、そのあっさりさが、かえって重く、心に響いた。
「……ありがとうございます」
気づけば、私は深く頭を下げていた。
言葉以上の想いを込めるように。
感謝と、安堵と、ほんの少しの救いを──全部、そこに込めるように。
その直後だった。地面が突然揺れた。鈍く腹に響くような衝撃音が鳴り響いた。
少しのやり取りをしたあと、彼は音が響いた方角に走り出した。
その先で、私は知ることになった。彼の強さを。