戦う理由
「──お前も下がってろ」
俺は右手を地面に叩き付ける。自身の足元に輝いた魔法陣を展開させる。
「《我が名に応えよ──ジンガ・エルヴァディアの命によりて。全てを斬り裂く神刀よ、その姿を此処に》」
言葉に反応するように、魔法陣が脈動する。
これは、俺が元いた世界で携帯していた──父と母から与えられた刀。
俺のためだけに存在する、一振りの神造武器。
正直に言えば、不安だった。
この世界にまで“届く”保証なんてなかったから。
けれど──
手応えがあった。
光の中心から伸びた柄を、俺は迷わず握りしめ、一気に引き抜いた。
「……来たか」
その刀には、鋼とは違う、どこか“生きている”ような存在感があった。
刃に浮かぶ紋様が淡く脈動し、音もなく空気を裂いていく。
"斬神ノ刀Mk-Ⅱ"
使い手に依存はするが、それによっては神も悪魔も──目の前の怪獣すら斬ることができる。
「……そ、それは!?」
ノアの驚愕が、背後から伝わってくる。
視線を向けなくても、彼女が目を見開いているのがわかる。
戦闘状態に入った俺の五感が、明らかに鋭敏になっているのがわかった。
俺はまだ、未熟だ。
戦いの最中にこそ集中できても、平時からずっと感覚を張り詰めていられるほどの技量はない。
常在戦場なんて言えるのは、本当にごく一握りの熟練者だけだ。
だが、今は違う。
刀を手にした瞬間から、意識は自然と切り替わっていた。
──ドンッ!
腹の底に響くような、重く鈍い足音。
“崩壊怪獣”が突進を開始した音だと、本能で理解する。
瞬間、空気が張りつめた。
前脚が地を蹴り上げ、鋭い爪が一直線に俺の頭上めがけて振り下ろされる。
「……遅い」
そう呟いた俺の目には、振り下ろされた一撃がまるでスローモーションのように映っていた。
そんな大振り──当たるわけがない。
怪獣の鋭い爪が地面を打ち据え、舗装が激しく抉れる。
その破片が散る直前、俺はすでに動いていた。
刀を引いた。
振り下ろされた爪の軌道に、刃を沿わせるように。
まるで布を裂くように、怪獣の前脚が音もなく断たれる。
驚くほど、あっさりだった。
……なるほど。
この世界でも、俺の力は通用する。
これまで積み上げてきた鍛錬も、戦いも、全部無駄じゃなかった。
ならば──やることはひとつだ。
目の前の“崩壊怪獣”を、ただ倒すだけ。
怪獣が吠えた。
それは音というより、圧だった。喉奥から押し出される咆哮に、ビルの窓がびりびりと震える。
「……吠えるな。耳障りだ」
俺は静かに息を吸い、前傾姿勢から地を蹴った。
足裏に伝わる反動が心地いい。加速を維持したまま、怪獣の側面へと回り込む。
奴の巨体は確かに脅威だ。だがその動きは直線的で鈍重。
俺の目には、攻撃の予兆がはっきりと見えた。
一撃。
斬り込む。
神刀が一閃。硬質な外殻を撫でる鋭音が、肌を刺した。
奴の四肢のうち、二本を断ち切った──前脚と後脚、それぞれ片方ずつ。
巨体は重力に抗えず、鈍い音を立てて崩れ落ちる。
見下ろしていたはずの存在が、今は地面に這いつくばっている。
動けないなら、ただ斬るだけだ。
残るのは処理の工程にすぎない。
一太刀、また一太刀。
無機質に繰り返される刃が、怪獣の全身を刻んでいく。
相手がどんな力を持っていようが、全てを切り刻めば、それはもう"脅威"にはなり得ない。
細切れとなった崩壊怪獣は、二度と動かなかった。
そこにあったのは、ただの“瓦礫”だ。
怪獣の肉片が転がり、粉塵がゆっくりと沈んでいく。
ビルの谷間に静寂が戻り、風が細く、冷たく通り抜けた。
俺は一度、深く息を吐く。切り刻んだ手応えは、まだ掌に残っている。
「……すごい……」
かすかな声が背後から届いた。ノアだ。
振り返らなくても、驚きに染まった顔が思い浮かぶ。
息を切らしながらも、こちらへ駆けてくる足音が耳に入ってきた。
「ジンガ様……やっぱり、あなたは“勇者”です……!」
その言葉を聞いた瞬間、俺は空を見上げた。
青くも灰色でもない、ただ高く伸びたビル群の隙間に見える、狭く切り取られた空。
別に、そう呼ばれることをいちいち否定するつもりはない。
けれど──胸の奥が、ざらついた。
「あまり、“勇者”って呼ばれるのは好きじゃないかな。
俺には“ジンガ”って名前がある。それで十分だろ?」
ゆっくりと振り返って、俺は彼女を見た。
怒ってるわけじゃない。ただ静かに、それとなく距離を取るような、そんな表情をしていたと思う。
“勇者”としての正しさと、俺自身の正しさは、きっと違う。
その肩書きで呼ばれ続けたら、いつか、自分の輪郭すら見えなくなりそうで。
ノアははっとしたように目を見開き、すぐに深く頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした。軽率な言葉でした」
彼女の声は、はっきりと謝罪の意志を込めていた。
丁寧で、真っ直ぐだった。
だから、俺は少しだけ息を抜いて、口の端を上げた。
「別に怒ってるわけじゃない。気にするなよ」
俺がそう言うと、ノアは一瞬だけ目を伏せ、それから意を決したように顔を上げた。
「……私の言葉は、軽率でした。
ですが……民に“勇者”と呼ばれることは、おそらく、制御が難しいかと」
眉尻を少し下げ、おずおずと、けれど誠実に言葉を選んでいく。
その語尾ににじんだかすかな震えは、彼女の責任感の表れだった。
俺は小さく笑って、肩をすくめる。
「まあ、それはそうだろうな。俺の存在が広まった時点で、どう呼ばれるかなんて、止めようがないしな」
それでもノアは唇を引き結び、凛とした目で俺を見据えた。
「……けれど。王族関係者や神託関係者には、徹底させます。
あなたを“勇者”ではなく、“ジンガ様”と」
その目には、しっかりと覚悟が宿っていた。
失敗を引きずりながらも、自分にできることをやろうとしている。
たった一日にも満たない付き合いだけど、そういうところは、ノアらしいと感じた。
「ありがとう。少しは気が楽になるよ」
彼女の“正しさ”は、自然と味方したくなる類のものだった。
──もし、こういう“正しさ”が積み重なって、この世界ができあがっているのなら。
この世界の在り方を、俺も肯定してやりたくなる。
だから願う。
幸せになってほしいと──そう、思った。
その為に戦うこと、それが悪いとは思えない。
だから、俺はこの世界で戦うことにした。抗うことにした。