決闘
訓練場に立つ。
ここは本来、ロストリア王国の兵士たちが使う場所だ。空中城塞の一部とは思えないほどの広さがある。地面の材質は堅牢で、魔法や衝撃にある程度は耐える構造らしい。
向かいに立つのは、ドラグライト帝国の第一皇子。名前はウルトラ・ドラグライト。情報通り、見た目にも恥ずかしい名だった。
「準備はできている」
審判にそう伝えた。
この場の審判を担うのは、ロストリア国王のガルダイン・ロストリア本人だ。立場を考えれば、わざわざ来る必要はなかったはずだが、それだけ王族間の衝突は政治的に面倒、ということか。
「我も問題ない」
ウルトラ・ドラグライトが頷く。
俺が勝つのは当然として、その上で、どう終わらせるか……だな。
一つ、適度に苦戦したふりをして、相手の面目を保たせる。
一つ、全力で叩き潰し、二度と向かってこないようにする。
一つ、瞬時に無力化して、会話の余地すら与えない。
三つ目は却下だ。力量差が開きすぎている場合、相手は“敗北した”という事実すら理解できない。
必要なのは、理解させること。優しさではなく、確実な差を認識させるだけの結果。
……判断はついた。
「始めっ!」
ガルダインの声が響いた瞬間、俺は地を蹴った。ウルトラに向かって一直線に距離を詰める。武器は持たない。相手も同じだ。
初手は正面からの接触。力と反応、それだけで勝敗が分かれる。
両腕が交差した。瞬間、筋繊維が軋む感覚が走る。だが、揺るがなかったのは俺のほうだ。
ウルトラの足元が沈んだ。重心が崩れ、膝を突く。わずか二秒もかからなかった。
「なにっ……!」
動揺を隠しきれない声が漏れる。
彼は、自分が勝つことを疑っていなかったのだろう。
“力の種族”としての自負が、すべてを優位に運ぶとでも思っていたのだろう。
だが、俺が膝をつかせたのは、力ではない。
正確に動く身体と、崩しの技術による結果だ。
力だけでは、俺より上に立つことはできない。
「さっきから“下等生物”と喚いていたが、それでこれか?」
視線は逸らさない。声も荒げない。ただ、静かに告げる。
皮肉でも怒りでもない。淡々とした事実の提示が、最も深く突き刺さる。
両腕が塞がれていたが、俺はタイミングを見計らって体をねじり、勢いよく膝を跳ね上げた。狙いはウルトラの顔面。技術も駆け引きもない、ただの膝蹴りだ。
「ぐうっ!」
鈍い衝撃とともに、ウルトラの体が仰け反った。その拍子に、俺の腕を握っていた手の力が緩む。
手が離れたと同時に、即座に一歩踏み込み、足場を固める。母指球に体重を乗せて、怯んだウルトラの顔面を真っ直ぐ蹴り上げた。
だが──手応えは、ないに等しかった。
この一撃は、同じヒューマン族相手なら八割は気絶するはずの威力だった。
だが、相手はドラゴニュート族。竜種の血を引く存在であり、その鱗は何よりの証拠だ。
竜種とは、生物ピラミッドの頂点に位置する存在。強靭で、頑丈で、常識が通じない。
「なめるなあっ!」
怒声と共に、ウルトラの拳が唸りを上げて振るわれた。
拳風を頬に感じるほどの距離で、それをぎりぎりで外す。踏み込み返し、反撃の拳をウルトラの顔面に叩き込む。
「ぬぐぅっ!」
くぐもった呻きがウルトラの喉から漏れる。
拳の先に伝わった感触は、まるで鍛錬用の丸太でも殴ったかのような硬さだった。骨があるというより、石のような塊にしか感じられない。
ウルトラの身体が揺らぐ。そこへすかさず、俺は一歩左にずれて距離を保った。
足音を立てずに踏み込んで、空いている脇腹へと拳をめり込ませる。
「ぐっ……!」
鱗の下にある筋肉は鎧のように硬く、拳が沈む感触はほとんど無い。だが、衝撃は確実に中身を揺らす。
相手が人型である限り、肝臓も腸も胃も、ちゃんとそこにあるはずだ。
ウルトラは呻きながらも反撃を試みる。腕を振り抜き、爪を立てて俺の首元を狙ってきた。
その軌道を読み切り、半身を捻ってかわす。袖が僅かに裂けたが、それ以上は掠りもしない。
体勢を戻しながら、俺は後頭部を狙って踵を振るった。
狙いは正確。ウルトラの首の後ろに、俺の踵が吸い込まれるように落ちた。
「ぐぉっ……!」
重心が揺らぎ、ウルトラの足元が崩れる。
だが、倒れない。倒れないからこそ、俺は間を与えない。
次は胴回り。踏み込みざまに回し蹴りを入れ、反動を使って回転。体勢を低くして膝裏を払う。
その瞬間、再びウルトラの膝が落ちた。
彼はなおも、拳を振り上げて俺を狙っている。
が、俺はそれを見ていない。すでに位置を変え、視界の外へ移っている。
「……まだやるか?」
問いかけはしたが、答えは求めていない。
ウルトラの腕が中空を空しく切るたびに、俺の拳が一点ずつ、確実にその身体を削っていく。
破壊ではなく、無力化。痛みと焦燥だけを植え付ける。
彼は竜種の血を引いている。だが、それは万能ではない。
無駄に振るわれる力は、的確な技術の前では無意味だ。
拳を叩き込まれても、蹴りを受けても、ウルトラはまだ立っていた。
否、意地だけで立っているようだった。体は明らかに揺らぎ、皮膚に浮かぶ鱗にはひびが入り、呼吸も荒く浅い。
「……認めんぞ……っ」
彼が低く呻いた。
「認めん……この私が……ヒューマンごときに、屈するなどっ……!」
唇の端から血を垂らしながら、ウルトラの瞳が深紅に染まっていく。
その瞬間、空気が重く変わった。
全身の鱗が波打つように盛り上がる。
皮膚が裂け、赤黒い膜と硬質な骨格がその下からのぞいた。
肩が膨張し、指の形が変わり、爪が鈍く長く伸びていく。
裂けた背中から、大きな翼が展開された。骨と膜で構成されたそれは、空気を巻き上げながら広がっていく。
金属質の鱗が全身を覆い、口元には鋭く湾曲した牙が覗いた。
ただの人間だったはずの男が、竜人へと姿を変えていた。
風が吹き荒れ、足元の砂利が巻き上がる。視界の隅で、石片が空中に跳ねた。
「これが我が本性。ドラグライト皇族にのみ許された、“竜化”だ……!」
最後の言葉は、獣じみた咆哮にかき消された。
突き上がる衝撃が周囲の空気を震わせ、訓練場の地面にまで振動が伝わる。
俺は一歩だけ足を引いた。
その直後、観戦席の上段から怒声が響いた。
「貴様っ! “竜化”はご法度なはずだろう!」
振り返るまでもなく、その怒声の主はわかっていた。
それは、この場の裁定者でもある男──ロストリア王国の国王、ガルダイン・ロストリアだった。
へえ、ご法度なのか。
まあ、どっちでもいい。
「ガルダイン! 続行させろ!」
目の前のウルトラ・ドラグライトを、俺は屈服させたい。
二度と俺に楯突く気が起きないように、叩き伏せてやる必要がある。
「空中城塞が持たん! 中止だ!」
けれど、ガルダインは即座に制止の声を上げた。
その一言で、俺自身が少し熱くなりすぎていたことに気づく。
ウルトラの竜化した姿は、全長五メートル近い。
本気で暴れれば、周囲の建築物や訓練設備を次々と破壊していくだろう。
空中城塞という限られた空間では、戦闘そのものが甚大な損害につながりかねない。
だが、静止の言葉を発した当の国王をよそに、ウルトラは構わず動いた。
巨大な顎をこちらへと向け、牙の並ぶ口を開いたかと思えば、鋭く踏み込んで噛みついてきた。
俺は一歩前へ跳ね、ギリギリでそれを躱す。
竜の牙は、さっきまで俺が立っていた地面を削って通過した。
「やめろと言っているっ!!」
再びガルダインの怒号が飛ぶ。
だが、ウルトラに言葉は届いていない。
咆哮とともに、暴走した竜がさらに俺の方へと迫る。
「ガルダイン! 半殺しにしても構わないか!?」
俺は観戦席に目線だけを向け、短く問いかけた。
じっくり時間をかければ、丁寧に打ち倒すこともできる。
だが、ガルダインの焦りようを見る限り、悠長に構えている場合じゃなさそうだ。
「許可するっ!」
よしっ。
これで遠慮はいらなくなった。さっさと終わらせてやる。




