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小競り合い

 緩やかに時間が流れ、五日目の朝を迎えた。

 その日、俺──ジンガ・エヴァルディアの前に現れたのは、まったく見覚えのない男だった。


 俺の部屋は空中城塞ロストリア・アークの一角にある。天井は高く、壁の一面は魔術による採光窓になっていて、外の景色が映し出されている。

 広さはゆとりがあり、部屋の中央に置かれた簡素なベッドと、対面する位置にあるソファセット、それに研究机と書棚が並んでいる。

 俺は今、そのソファのひとつに腰かけて、ノアと軽く話をしていたところだった。


 そこへ、ノックもなく勢いよく扉が開かれ、男が土足のまま部屋に踏み込んできた。ドアは入口から向かって左手にある。


「勇者、我と戦え」


 ぶっきらぼうにそう言い放つその男の体には、鱗のようなものが浮かんでいた。加えて、異様に体が大きい。身長は優に二メートルを超えている。


 この世界には、人間に分類される種族だけでもいくつかの亜種が存在する。俺たちは「ヒューマン族」と呼ばれるが、目の前の男は鱗の特徴からして「ドラゴニュート族」だろう。


 俺のいた世界にも、ヒューマン以外の種族はいた。だから、この程度の違いには、それほど驚かなかった。


「おやめくださいっ!」


 テーブル越しに俺と向かい合っていたノアが、立ち上がってすぐに男の前へと立ちふさがる。ベッド脇の広いスペースで、二人の距離は近い。


「下等な生物が我に楯突くか」


 男はそう吐き捨てた。なんともまあ、典型的な嫌な奴だ。


「こいつは何者だ?」


 俺はソファに座ったままノアに尋ねる。


「ドラグライト帝国──ヴァリアス・アーマーの技術提供国の皇子です」


 その言葉を聞いて、なるほど、と納得した。立場だけは一応あるらしい。


「邪魔だ」


「きゃっ……!」


 男はノアを軽々と押し退けた。彼女はベッド脇の絨毯の上に尻餅をつく。


「下等生物が調子に乗るからだ」


 冷たく吐き捨てるようなその態度に、さすがに見ていて気分が悪くなった。


「ヴァリアス、つまみ出せ」


『了解。排除を開始します』


 部屋の隅、書棚の近くに立っていたヴァリアスが即座に反応する。

 背部の推進装置から噴射音が響き、皇子の身体を持ち上げると、そのまま入口方向へと強引に運び出した。


「大丈夫か?」


 俺はソファを立ち、床に倒れていたノアに手を差し出す。


「あ、はい……情けないところをお見せしました」


「無理もないさ。あの体格じゃ、正面から受け止める方がどうかしてる」


 無理するな、という意図を込めて言うと、ノアは少しだけ苦笑した。


「すみません。でも……私はジンガ様のお傍にいる者として、あのような無礼を見過ごすことはできません」


「とはいえ、護られるほど俺は無力じゃない」


「そういう問題ではありません」


 この部屋には、護衛も兵もいない。けれど、俺がここにいる限り、ノアは常にその隣に立つつもりらしい。

 俺という存在は、この世界において、崩壊に対して、王族や皇族よりも優先される“鍵”だからだ。


「でも、俺が護るべき相手でもあるんだ。君が傷ついてしまったら意味がない」


 俺は、世界の崩壊と戦うために召喚された。簡単に言えば、それはこの世界に生きる人々を守るためだ。


 ノア・ロストリアも、その“人々”の一人だ。

 そんな彼女が、俺を庇って傷つくようなことがあっては、本末転倒にも程がある。


「……その、そう、ですね」


 ノアは顔をこちらに向けず、どこか困ったように視線を逸らして呟いた。


『マスター、処理してもよろしいですか?』


 扉の方を見やると、まだヴァリアスに必死で抵抗している皇子の姿があった。


「殺すな」


『了解しました』


 直後、鈍い音と共に、扉のあたりが急に静かになった。


「戻ってこい」


 ヴァリアスを元の位置──部屋の隅に戻し、俺は再びソファの一角に腰を下ろした。


「いや、邪魔が入ったな」


「そうですね」


 ノアはどこか楽しげに、にへらっと笑った。何か面白いことでもあっただろうか。……聞くのも野暮か。


 そう思い直して、俺は元の話題に戻ることにした。


 互いのことを少しずつ話す。


 ノアはやはり王族で、王の第一子。ただし、体が生まれつき弱く、表向きには“第一王女”の肩書を名乗っていないらしい。


 俺も、元の世界での暮らしを少しだけ語った。

 友達はいなかったとか、異世界に召喚されたからといって、特段困ってはいないとか──


「ご友人がいないとは……その……」


 ノアは明らかに戸惑いながら、俺の顔を見てきた。その目には、哀れみがにじんでいた。


「その視線はいたたまれなくなる。やめてくれ」


 思わず苦笑が漏れる。

 同情なんて、されたいわけじゃない。


 もちろん、俺だって気の合う友人は欲しかった。

 でも、そんな存在には結局、出会えなかった。ただそれだけの話だ。


「気の合うやつが、いなかったんだよ」


 肩をすくめながら言うと、ノアはすぐに表情を改めた。気まずさを隠すように、小さく頷いて言葉を探している。


 再び、勢いよく扉が開け放たれた。


「貴様っ! 我がドラグライト帝国の第一皇子と知っての狼藉か!」


 声の主は、先ほどヴァリアスに放り出されたあの男だった。顔を真っ赤にして、怒りを全身にみなぎらせながら、ずかずかと俺の前に歩み寄ってくる。


 ノアとの静かな時間は、ここで打ち切りだ。

 もう、この愚か者を優しく諭す気はなかった。本気で叩きのめす必要があると判断する。


「戦えばいいんだろう?」


「えっ……」

「ほう、やっとやる気になったか!」


 俺の言葉に、ノアと皇子はそれぞれ対照的な反応を返す。


「……後悔しても知らないぞ」


 冷ややかに念を押す俺に、皇子は鼻で笑った。


「はっ。勇者とはいえ、ヒューマンだろう?

 その機械を使っても構わん。両方まとめて叩き潰してやる」


「……くだらない」


 思わず、低く失笑が漏れた。

 お前にヴァリアスを使う価値なんて、あるわけがない。


「ノア、戦える場所はあるか?」


「そ、それは……あります。でも、その……」


 ノアは口ごもり、視線を泳がせる。まるで、俺と相手の体格差に戸惑っているようだった。


 まあ、俺の方が華奢に見えるのは事実だ。だが、それだけで実力を測られても困る。


「力だけが全てじゃないってことは、知ってるだろ?」


 ノアだって、魔導師団のエースだったのだから、それくらいはわかるはずだ。

 すると彼女は、皇子に聞こえないように、そっと俺に耳打ちしてきた。


「それは理解しています。でも……ドラゴニュート族は、ヒューマンよりも身体能力をはじめ、あらゆる面で優れているんです」


「ああ、それくらい知ってるさ」


 俺の世界にも、ドラゴニュートはいた。だから、彼らの特性はよくわかっている。


「大丈夫。案内してくれ」


 不安げなノアに向かって、俺はもう一度、しっかりとそう伝えた。

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