終戦
「ジンガ様っ!」
観測艇が着地すると同時に、ノア・ロストリアが静かに降りてきた。
周囲にはまだ煤煙が残り、焼け焦げた瓦礫の匂いが鼻を突く。彼女は怯むことなく、俺の方へ歩いてくる。
その足取りには、迷いがなかった。
「……ここまで来るとは思ってなかった」
事実を述べると、ノアはほんのわずかに目を見開き、次いでごく小さく口元を緩めた。
「会いに来たんじゃありません。状況報告です」
声は強い。けれど、その顔には明らかに安堵の気配があった。
肩に煤がうっすらと積もり、裾も風で乱れている。それでも、彼女の目は濁らず、まっすぐにこちらを見据えていた。
「戦いは終わっている」
確認ではなく、判断を伝えた。
敵反応も、戦闘音も、もうこの都市には存在していない。
立ち止まって話していられる時点で、それは明らかだった。
「……はい。
ジンガ様が撃破された個体以外は、王国機士団がすべて掃討しました。
現在、敵反応は確認されていません」
ノアは胸元から端末を取り出し、こちらへ向けてスクリーンを掲げる。
都市全域を示すマップには、敵性目標の反応がひとつも表示されていなかった。
「王都は広範囲に被害を受けています。
ですが、避難誘導と救助は機士団および救護班が対応中です」
報告は簡潔で、過不足がなかった。
一つひとつの言葉が正確に選ばれており、現場を見ていたのだとすぐにわかる。
「わかった。俺はこの後、どう動けばいい?」
そう訊くと、ノアは一瞬だけ視線を落としてから、端的に答えた。
「急ぎの案件はありません。
強いて申し上げれば、今回の戦闘についての処理がございますが……本日の最大の功労者であるジンガ様には、まずはご休息いただくべきかと」
声に礼節があった。だが、どこかで“気遣い”の色が滲んでいる。
形式的な報告というよりも、無理をさせたくないという意思が、わずかに込められていた。
俺は全身を覆っていたヴァリアス・アーマーの装甲を展開解除した。
各ユニットが順に解除され、関節部と装甲接合面から無音で分離していく。
肩、胸部、腰部、四肢の装甲が重力制御の補助下でゆっくりと浮遊し、それぞれ所定の位置へと移動。
やがて、無人のまま各部位が再接続され、装着時とまったく同じ形に自動で再構成された。
外部から見れば、中に人がいる状態と何ら変わりない。
装甲ラインも接続部もすべて正規の位置に収まり、機体は直立姿勢のまま微動だにしない。
戦闘時に付着した煤や焼き付きはそのまま残されており、内部が空であることを示す要素は皆無だった。
「ヴァリアス・アーマー、勝手に改良してもいいか?」
使い方や手入れの要領に至るまで、すべては神から叩き込まれた。
だが、だからこそ見えてくる部分もある。もっと洗練できる余地が、明らかに残っていた。
「え……そんなこと、できるんですか?」
ノアは目を丸くして、まるでそれが信じられないと言わんばかりの表情を浮かべた。
「まあ、な。俺の世界の技術と噛み合いそうな構造が、いくつかある」
完全な確信があるわけではない。けれど、可能性は感じていた。
だから、少しだけ言葉を探しながらも、俺は静かに肯定した。
「元々、ヴァリアス・アーマーは私たちの管理下にある装備ではありません。
私に任されていたのは、あくまで“勇者様にお渡しするまで”の機体管理です」
つまり、それ以降の扱いは俺に委ねられている。
まあ、わかっていたことだ。
知らなかったとは言えない。けれど、勝手に手を加えるのもどうかと思い込んでいたのは、俺の方だった。
「……わかった」
そう返した直後、不意に身体がふらりと傾いだ。
重力が急に濃くなったような感覚。
戦闘中には感じなかった疲労が、今になって一気に押し寄せてきた。
俺……そこそこ鍛えてるつもりだが、それでも今、身体の奥にずっしりとした疲労を感じている。
つまりは、ヴァリアス・アーマーの負荷ってのが、それだけ重いってことなんだろう。
「お身体、苦しそうですね」
ノアにそう言われて、少しだけ驚いた。
疲労を悟られないよう、普段からそれなりに振る舞い方を身につけてきたつもりだった。
努力も疲れも、人に見せずに処理する癖は、自然と身についたものだ。
「……気にするな」
呼吸が乱れていた。息が浅い。胸の奥が締めつけられるように苦しい。
身体の奥底から、鈍い重さがじわじわと這い上がってくるのがわかる。
ヴァリアス・アーマーの運用情報には、こうした負荷の記述はなかった。だが、考えてみれば当然だ。
記録されていたのは、あくまで操作の仕方や戦術の指針であって、着用者が感じる肉体的負荷については言及されていない。
今こうして、立っているだけで膝に力が入らなくなってきているのが、その答えだった。
要するに、自分の身体が限界を迎えつつある。ただ、それだけのことだ。
「ジンガ様っ!?」
ノアの声が、焦りを含んだ鋭さで耳に届いた瞬間だった。
視界がぐらつき、足元から力が抜けていく感覚に気づいたときには、すでに遅かった。
支えを失った身体が、重力に引かれるようにして傾く。
そこで、俺の意識はふっと闇に沈んだ。
「ジンガ、起きた?」
聞き慣れた、優しく包み込むような声が耳に届いた。
意識が徐々に浮上していく中、俺は自分がどこにいるのかを確かめるように、ゆっくりとまぶたを開いた。
目に映ったのは、かつて暮らしていた部屋だった。懐かしい天井、見覚えのある家具。
そして、その声の主に視線を向けると、俺の“母親”の姿があった。
「……母、様」
ここは精神世界だと思っていた。それなのに、この部屋で眠っていたはずの俺は、確かに口を開いていた。
俺には、母が二人いる。一人はこの世に俺を生み落とした女性。もう一人は、育ての親として日々を共にしてきた存在だ。
目の前に立っていたのは、前者だった。俺の産みの親。
けれど、自分の母親を「産みの親」と考えてしまうことに、どこか冷たく割り切ったような感覚を覚える。それは、酷く人らしくない。そう思った。
「ジンガは、冷静になり過ぎる。俯瞰し過ぎるのよ」
母はそう言った。落ち着いた口調だったけれど、その言葉には微かな憂いが含まれていた。
「バカと天才は紙一重って、よく言うでしょ?」
まあ、その言い回しは、聞いたことがある。
「……まあ、言うけど」
返事をしながら、俺は内心で首を傾げた。
そんなのは、結局のところ結果論だ。
常識に縛られず、普通では思いつかないような突飛な発想をするという意味では、確かに両者は似ている。
ただ、それが「理解されるかどうか」「成功と呼ばれるかどうか」で、天才と愚か者に分かれるだけの話だ。
「考え過ぎる必要はない。
冷静に務める必要はない。
……考えなくても幸せにはなれる。
だから、私のことを恨んでもいいの」
そう言えば、この世界の神は言っていた。
母から"普通の人間として育てた"と聞いたのに、って。
その言葉が、育ての親のものだったのか、産みの親のものだったのか、あの時の俺にはわからなかった。
そもそも、産みの親が何を思っていたのかなんて、知る術もない。
だからこそ、考えても仕方がないと思った。
……思ってしまうことが、無意味だと、冷静に理解していた。
こうして言葉を交わしてみて、ようやく理解した。
あの言葉は、きっと“産みの親”のものだったのだろう。
「恨まねえよ。
……その辺りは、教育、成功してんじゃねえの?」
俺は軽く肩を竦めて、皮肉混じりにそう返した。
「そうだね。
ちゃんと、真っ直ぐに育ったと思う。
……正直な話、私たちにはもったいないくらいに」
母は、どこか遠くを見るような目で、優しくそう言った。
「じゃあ、それを誇っておけばいいだろ。
考えすぎてるのは、どっちだよ」
俺の「考えすぎる」ところや「冷静すぎる」ところは、きっとこの人から受け継いだものだと思う。
それは嫌なことじゃない。むしろ、どこか納得のいく感覚だった。
「……そうだね」
母は笑みを浮かべた。少し困ったように。




