後方支援
私──ノア・ロストリアは、空へと羽ばたいたジンガ様のもとへ向かうため、小型観測艇に搭乗した。
ヴァリアス・アーマーには追跡用のGPSモジュールが内蔵されており、私はその位置情報を受信する専用デバイスを所持している。
彼がどこにいるかは、常に把握できる。問題は、その“速度”だった。
格納庫からの発進を見届けた私は、空中城塞には戻らず、王都上空を飛行するための小型観測艇へと乗り込んだ。
操縦士には既に指示済み。私の役目は、座標の追跡に集中することだった。
「また移動してる……」
彼の座標は、わずか数秒で全く別の街区に切り替わっていた。しかも、それが途切れることなく繰り返されている。
常人の速度では到底追えない。機体出力の異常さはもちろんだが、それを操作する本人の処理能力も常軌を逸していた。
私は軽い酔いを堪えながら、眼下に広がる都市の景観へと視線を落とした。
焼け焦げたビル群。地面にぽっかりと空いた交差点の大穴。瓦礫の中に転がる、無数の崩壊怪獣の死骸。
「……これ、本当に一人で……?」
目を疑うほどの破壊の規模だった。
かつて文献で読んだ、グラン帝国が一夜にして滅びたという記録と並ぶ、あるいは凌ぐ痕跡がそこにはあった。
けれど、それは紛れもない“現実”だった。
それを見た瞬間、私は悟った。これ以上、彼を追う必要はない。
観測艇をもってしても、あの速度には到底ついていけない。ならば、私にできる他の手段を講じるべきだ。
「高度を上げてください!」
操縦士に指示を飛ばすと同時に、私は手元のデバイスを操作し、王国機士団へ向けて緊急通信を発信した。
王族でありながら、私は生まれつき身体が弱く、公式の場で前に立つことはできない。
演説も指揮も務めたことがない。だが、こうした“声を届ける”役割ならば、私にも担うことができる。
『ノア・ロストリア様、通信を受信しました』
応答は早かった。王国機士団を束ねる団長の声が、すぐに届いた。
王国機士団──それはロストリア王国の主力部隊であり、“ヴァリアス・アーマー”を基に開発された量産型機体“ロストリア・アーマー”を運用している精鋭組織である。
「現在、戦場は都市各地に点在しています。
こちらで敵反応を抽出し、優先順位を付けた座標データを送信します。
即応していただけますか?」
私は伝えた。
『もちろんです。情報を地図座標で送っていただくことは可能ですか?』
団長の声は的確だった。さすがは現場の人間。知識ばかりを詰め込まれた王族とは根本が違う。
「はい。確認できた地点から、地図座標に基づいてお送りします」
観測艇から見下ろしながら、私は自作の特製コンタクトレンズを装着した視界に集中する。
このコンタクトは度数が自動調整され、望遠鏡のように遠方を拡大して捉えることができる。
手元には王国の詳細地図を展開し、そこに示された座標をひとつずつ確認しながら、団長へと伝えていく。
『……数が多いですね』
送信した座標の数は、明らかに多すぎた。王国機士団だけでは到底対処しきれない規模だった。戦闘ありきで考えるなら、人手は圧倒的に足りない。
「ジンガ様がすでに先行して対処されています。住民の救助と局所戦闘に対応できるよう、部隊の振り分けをお願いします」
『ジンガ様とは?』
「……異世界から来られた方です」
“勇者”と呼ばれるのを好まないと、彼は言っていた。その言葉を思い出し、一瞬、どう表現すべきか迷ってしまった。
『ああ、あの“勇者”の……。
承知しました。すぐに部隊を編成して対応いたします。
新たな座標が確認でき次第、追加で送信をお願いします』
「はい。どうぞ、よろしくお願いいたします」
そこまで伝えたところで、通信は切れた。
再び外に視線を向けると、とんでもない光景が目に入り、私は思わず観測艇の窓を開けた。
「何してるんですかっ!?」
操縦士のフランが、悲鳴に近い声を上げた。
「避難に遅れた人がいます!」
「地表から五百メートルはあるんですよっ!? あなた、正気ですかっ!?」
フランは幼い頃からの付き合いだが、あまりにストレートな罵倒に、さすがに少し引っかかった。
「黙ってて……くださいっ!」
私は言い返すように、右手の平で魔法陣を展開した。
空間から道具を取り出すための術式だ。
手に取ったのは、一丁のスナイパーライフル。
狙いはただひとつ。避難し損ねた人々に迫っていた崩壊怪獣を、遠距離から撃ち抜くため。
「……機体、制御してっ!」
「いや、だから! 本当に馬鹿なんですか!?」
引き金を引いた。銃声と同時に、観測艇が大きく揺れた。
「っつ!?」
それでもフランは、舌打ちひとつせず機体を安定させてみせた。
彼女が私の操縦士をしているのは、幼馴染だからではない。
とびきり優秀だからだ。それに尽きる。
「ここから援護射撃を──」
「しませんっ!!」
フランに強く拒まれた。完全に否定された形だ。
「表には出ていなくても、あなたはロストリア王国の第一王女なんですよ。
その身分を、もう少しわきまえてください!」
「で、ですが……」
「“ですが”も“けれど”もいりませんっ!
あなたは今、後方支援に徹するべき立場なんです!」
あ、本気で怒らせた……と思った時にはもう遅かった。
私は観測艇の窓を黙って閉じた。
ロストリア王国内の戦闘が収束へ向かうまで、私は観測艇の上空から、ひたすら座標の送信を続けていた。
眼下に広がる都市の喧騒。
逃げ惑う人々と、散らばる崩壊怪獣の群れ。
そのすべてを把握し、指揮系統に流し込むだけでも、手は足りないほどだった。
そして、その空域を縦横無尽に翔ける、ひとつの蒼い光。
ジンガ様の姿は、はるか上空からでも明瞭に見えた。
圧倒的な速度で街から街へと飛び、まるで雷光のように戦場を駆け抜けていた。
夜が明け始めると同時に、戦場は静寂へと傾いていった。
東の空に、かすかな橙が差し込み始める。それに合わせるように、あれほど咆哮と爆音に満ちていた都市が、嘘のように静まり返っていく。
爆撃で崩れたビルは骨組みだけを残し、外壁の崩落した建物の間から、まだ赤く揺らめく火が立ち上っていた。
舗装された道路は陥没し、コンクリートの裂け目からは水道管が剥き出しになり、冷たい水を絶え間なく噴き出している。
橋の残骸が川面に落ちて流れをせき止めたせいで、一帯が濁流の水溜まりと化していた。
瓦礫の合間には、焼け焦げた機械兵の残骸や、ぐにゃりと折れた通信塔、斜めに突き刺さった街路灯が点在していた。
視界を遮るほどの黒煙と、焦げた鉄と薬莢の匂いが、観測艇の窓越しにさえ漂ってくる。
私は息をひそめ、黙ってその光景を見つめていた。
空を切る白銀の光が、低空を横断していく。それはジンガ様の飛行軌跡だった。
まだ敵影を追っているのか、それとも見逃しの確認か。けれど、さきほどまでのような高速移動ではない。
その速度がわずかに落ちていたことから、彼自身がこの戦いの終息を察していると感じられた。
やがて、彼は瓦礫の散らばりを避けるようにして、比較的安定した広場跡の一角に降り立った。
そこはかつて噴水があった場所で、今は水も枯れ、円形の縁だけが、無惨にひび割れて残っていた。
「フラン。ジンガ様のもとへ向かってください」
「かしこまりました」
私の指示に応じて、観測艇は慎重に旋回しながら高度を下げていく。
降下中、機体の影が、大破した車両の上をゆっくりと通り過ぎた。
放置された民間車両の屋根には、爪痕のような深い溝が刻まれている。
それが崩壊怪獣によるものだと、直感で理解できた。
やがて、着陸脚が伸び、砂埃を巻き上げながら、私たちは静かに、その英雄の前に降り立った。




