月影の誘拐事件
「この街、妙ね……」
私は宿の窓から、夜の通りを見下ろしながら小さく呟いた。
石畳の路地には風の音だけが流れ、人影はほとんどない。
「……最近、子どもが行方不明になる事件が続いてるのよ」
そう語ったのは、宿の女将。どこか怯えたような声だった。
「最初は悪い旅人にでも連れ去られたのかと思ったけど……今は、眠っていた子供までいなくなってしまって。鍵をかけていたはずの部屋から、何の音もなく、よ」
(眠っている子供まで? ただの誘拐ではないってこと?)
私はユリウスと目を合わせた。
これで三件目らしい。いずれも争った痕跡も叫び声もない。まるで、音もなく闇に飲まれたかのように。
「山の精霊の怒りだ、なんて村の長は言ってるけど……私は信じないよ」
女将は、深くため息をついた。
「私は、信じたいの。あの子たちは、ちゃんと帰ってくるって……じゃなきゃ、やりきれないもの」
(もし、誰かの力が働いているとしたら――)
私はその話に無言で耳を傾け、そっと視線をユリウスに送った。
「ユリウス。行きましょう」
「……待ってください。私たちは今、王都から断罪された身です。あまり目立つ行動は――」
「知ってるわ。でも……それでも、見て見ぬふりなんてできない」
「誰かを救うことに、許可なんていらないわ」
私たちは今やただの旅人。だけど、ただの傍観者ではいられない。
「……わかりました」
ユリウスは目を瞑って頷いた。
* * *
翌朝。
私とユリウスは、町の北通りにある農家を訪れた。
昨夜姿を消した少女──リオの家だった。
玄関前の石段で、母親が泣き崩れ、父親が壁にもたれてうなだれている。
私は静かに一礼して、声をかけた。
「突然すみません……。私はアリシアといいます。お子さんが最後に話していたこと、何でも構いません。少しだけ教えていただけませんか」
母親は、すすり泣きながらも震える声で答えた。
「……“星を見に行く”って……言ってたの。丘の上で星を見れば、願いが叶うって……誰かに教えられたって……」
「誰に教えられたか、心当たりはありますか?」
「……わからないの。でも、最近の子たち、みんな“星の声がする”って……口をそろえて言うのよ。……おかしいでしょ?」
私は無意識に胸元を押さえた。
胸の奥が不思議と脈打つ。
「願いは光になる。けれど、叶える声は、時に闇からも聞こえるの」
「“星の声”……か。ユリウス、行きましょう。丘の上へ」
「……わかりました」
ユリウスが苦笑する。
(星の声に、謎の人物の影。誰かに操られている可能性がある)
* * *
私とユリウスは、街の北端――丘の上にある古い礼拝堂を訪れた。
「ここに何かがあるのですね?」
「ええ。あの少女が消えた方角と、古い“聖句”に記された地図の一致。それに、ここだけ魔力の流れが変だわ」
礼拝堂の奥、崩れた床下。
そこには「地下階段」が続いていた。
ひゅう、と冷たい風が吹き上がる。
私は一歩踏み出すと同時に、背筋を凍らせた。
――その時、階段の下から、子供の笑い声が聞こえた。
「真実にたどり着く鍵は、静けさの中に潜んでいるのよ」