4話「銀髪少女は暗い瞳に彼を映す」
望六がナタリアから釘を刺されて逃げるように教室を出て行くと、そのままトイレへと目指して歩き始めた。しかし頭の中はエルゼという少女が言い放った”幼い頃にドイツで過ごした”という事で一杯であった。
「はぁ……一体何がどうなってるんだよ。俺は本当にドイツで暮らして居たのか?」
そう呟きながら望六は廊下を突き進んでいると考え事のせいで注意力が散漫としていたのか急に曲がり角から飛び出してきた手に反応が遅れてしまい、腕を掴まれるとそのまま引っ張られて彼は壁へと背中を押し付けられた。
「……えっ?」
あまりの急な出来事に彼は唖然としていると、目の前には不機嫌そうな顔をしているエルゼの姿があった。そして彼女は何を思ったのか急に右手を望六の顔の横に叩きつけるようにして壁に触れると一切の瞬きをしないで顔を近づけてきた。
「やっと誰にも邪魔されずに話せる機会を得たな。本来なら個室が良いところなのだが、まあ仕方あるまい」
そう言ってエルゼは口角を上げて白い歯を少し見せていた。
「な、なんだよ急に? 話なら教室でも出来るじゃないか。それよりも俺はトイレに……」
ただ事では済まされないような雰囲気を望六は察知すると直ぐにその場から離れようとしたが、エルゼは鋭い目つきに変わると左手を彼の右肩を掴むと力強く握ってきた。
その瞬間、彼の肩からはじわじわと圧迫される痛みが増していく。
「私から逃げようとするな望六。別に襲う訳ではないのだから。……いや、欲を言えばこの場で衣服を剥いで襲いたい所だがな。くくっ」
彼女は表情こそ笑っているようだが目だけは笑ってなく、完全に望六をこの場から逃がさないという意思が感じ取れる。
そこで望六は適当に誤魔化してこの場を乗り切る事は不可能だと考えると、取り敢えずエルゼの話を聞くことにした。逆に言えばそれしか方法がないのだ。
「……わかったよ。大人しく聞くから早く話してくれ」
望六が諦めたような口調でそう言う。
「うむ、それでいい」
エルゼはその様子を見て気を許したのか肩から手を退けた。
それから彼女は退けた手をそのまま自身の胸元まで持っていき添えると、
「私は国の命により、お前ともう一人のAランク適性者を捕らえに来た。だから頼む……望六、私と共にドイツに来てくれ。無論だが抵抗しないでくれると助かる。私とて出来る事ならお前に手荒な真似はしたくない。それに黙って言う通りにすれば基本的な人権は尊重される筈だ」
自身がドイツからの命令で望六達を捉えに来た者だと明かすと最後に不穏な言葉を残していた。
そこで望六はエルゼが自分達の敵であることが明確に分かり、恐らく彼女の言葉通りに従ったとしても人体実験のモルモットは確定的なものだと理解出来た。
「すまないな、俺は日本から出るつもりはない。まあ、一樹はどうかしらんけど」
望六はこの言葉を最後にエルゼ……いやドイツと敵同士になることを余儀なくされると彼女は信じられないものを見たかのように瞳を細めて口元を歪ませていた。
そして彼はこれ以上話すことは何もないだろうとその場から離れようとすると、
「くっ、なぜだ!! なぜそんな事を言う!! 私がこの任務を受けたのは対象にお前が居たからだ! ずっとずっとずっとずっと探し続けていたお前が居たからだと言うのに。……なあ、だから頼む。あの時みたいに私の傍に居てくれ、もう一人は嫌なんだ……」
エルゼはこの場から一歩でも動くことを許さないらしく震える両手で肩を掴むとそのまま泣きそうな声色で告げてきた。
「……ッ」
望六はそんな彼女の心酔しているような様子を見て本当に自分はドイツで過ごしていたかも知れないという思いが湧いた。しかしこれがエルゼの同情を装う作戦であるかもしれないことを考慮しなければいけなく、彼はさらに自身の空白の記憶に言いようのない苛立を覚えた。
「その反応は……そうか、本当にお前は記憶を失っているのだな……。では私とお前が共に過ごした”孤児院”の名前さえ思い出せないのか?」
エルゼは力が抜けるように肩から手を離すと暗く濁った瞳を向けて”孤児院の名前”について訊ねてきた。
「孤児院? 俺は孤児院出身なの――あがっ!?」
望六は自身が幼い頃は孤児院にいたのかと新たな情報を得て考えようとすると一瞬、脳を直接手で握り締められたような痛みを受け右手で顔を押さえた。
「ああ、そうだ。私とお前は孤児院育ちだ。そんな大事なことさえ忘れてしまったのか……。くっ!! 何故だ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故だッ!! なぜ忘れてしまったのだ望六!!」
エルゼは気でも狂ったのか急に声を荒げると鼻先が触れそうになるほど顔を近づけてきた。
望六は彼女の変貌ぶりに額に汗のようなものと恐怖を感じつつ目を合わすと、エルゼの瞳は彼の内面を覗いているのか真っ暗であった。
そして望六は周りから変に思われるといけないと落ち着くように声を掛けようとしたが、
「……そうか。そうだったんだな望六。全て分かったぞ」
彼女は歪んだ口を開いて笑みを零すと何かを悟ったような雰囲気を出していた。
「な、なにが分かったんだよ……?」
その不自然な笑みに彼は圧倒されながらも声を捻り出す。
するとエルゼは口元を今度は三日月のように釣り上げてからこんな事を言い出した。
「お前が記憶を失った理由はアイツらが原因なのだろう? 恐らく催眠術か何かしらの精神魔法を使っているに違いない。でなければ私の望六があんな下等な者達と仲良くする筈がないからな。……ああ、そうなのだ。答えは実に簡単なものだったのだ。私とした事が望六を前に盲目的になっていたらしい。だが心配するな、私自らが全員を叩きのめして二度とお前の視界に入らないように体に覚えさせてやる。……だから待っていてくれ、必ずお前を救ってみせる」
彼女の一方的な言い方に望六は反論する隙間がなく全てを聞き終えると、なにをそこまで自分に執着するのだろうと今更ながらも疑問が脳裏を駆けて行った。
しかし自分だけならまだしも他の人に迷惑を掛ける訳にはいかないと、
「よせ! 一樹達はなにも関係ない! 手を出すな!」
直ぐに望六はエルゼに向かって強めの言葉を投げ掛けた。当の本当でさえ未だに事情は掴めていないが、関係のない周りを巻き込む行為だけは避けるべきだとそれだけは分かった。
「それも記憶を弄られた影響なのだろうな。ああ、悲しいことだ。しかしその檻から私が出してやるからな。望六の笑顔も傍に居ていいのもキスをしていいのも抱きしめるのも全て全て全て全て全て私だけの特権だ。誰にも譲らない」
けれどエルゼは聞く耳を持たないのか一切聴いていないのか望六の反論すらも周りのせいだと信じている様子であった。
そして彼女は徐に両手を広げるとそのまま力強く彼を抱きしめて胸に顔を埋めた。
「お、おい人の話を聞いて……」
エルゼに場の雰囲気を掌握されると望六は再度周りの人達は巻き込まないように言おうとしたのだが、それは小休憩の終わりを告げるチャイムの音によって止められた。
「ったく……忌々しい音だ。だがまあいい、充分にお前の温もりや匂いを感じられたからな。……っと、これを忘れてはいけないな。あのイタリア女のせいで汚れた部分を私が浄化してやらないと」
チャイムの音が不快だったのか彼女は舌打ちをしながら望六の体から離れると次に視線を指先へと向けていた。それは先程の授業で彼が怪我をした箇所であり、エルゼは彼の指を大事そうに両手で触れて持ち上げると何の迷いもなく自身の口元へと近づけて咥えた。
「んなっ!? お、おい馬鹿やめろ! ここは廊下だぞ!」
流れるような行為に呆然としていた望六は指先から感じる独特な舌の感触を受けて慌てて離すように言う。
「きひひゅるな。ほれもだいひなことだ」
断固としてエルゼは手を離そうとせずに尚も舌を器用に使って指を舐めていた。
だがその光景はやはり廊下という事もあってか、チャイムの音によって急いで教室へと戻る女子たち数人に目撃されていた。なんせその数人の女子たちと望六は目が合っていたからだ。
つまり言わずもがな、彼は異国の少女に指を咥えさせると言う特殊なプレイに勤しんでいるように傍からは見えた可能性があるのだ。
「ふむ、これぐらいで問題ないだろ。上書きはしっかりと出来た筈だ」
エルゼは指を口から離すと満足気にそう言い放って口の端に垂れた涎を拭った。
「お、終わった……俺の学園生活……またもや終わった……」
そんな彼女とは対照的に望六はこれからまた噂を流されて、やっと回復してきた信用度がまた底辺まで落ちることを想像すると足から力が抜けてその場にへたり込んでしまうのだった。
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