閑話「在りし日のイタリア留学―後編―」
あれから望六の留学生活は二日目にして色々と変わった。
まず最初に下着の件でみっちりと尋問と言うなの制裁をアルベルタから与えられ、ナタリアに至っては視線すら合わせてくれなくなった。
ちなみに制裁と言っても普通に怒られただけの事である。
そして普通ならこれは通報案件なのだがアルベルタがある条件を出してきて、それを呑むのなら今回の事は見なかった事にしてくれると言って彼の選択肢は他に無かった。
ということで望六は今現在、外で巻を切ったり掃除したりとして肉体労働に勤しんでいる。
図らずもこんな所で彼が最初に考えていた労働が叶っているのだ。
「ほらほら、このままではpoliziaに行く事になりますよ? 望六さん」
彼が薪を割る速度が落ちるとアルベルタはこうやって時折脅してくるのだ。
しかしこれで実際に警察に通報したりとかは未だに無いので、彼女も冗談か脅しで言っているのだろう。
「ひぃぃぃっ!」
それでも彼女の言葉は望六の心拍数や精神的な疲労を増やすのに充分だが。
そしてアルベルタから突き出された条件とは、望六が留学している間は無償でずっと手伝いをすると言う事だ。それは薪割りから風呂掃除、更には庭掃除に部屋掃除と多岐に渡るのだ。
……それから望六が手伝いと言う名の肉体労働に勤しんでいると、気づけば既に留学してから十日を超えていて後半に突入していた。
望六は今日も労働で疲れた体を癒すべくベッドに横になると時刻は二十三時を超えたぐらいであった。
「ああ、これは俺の望んでいた留学生活とは程遠いが自業自得で何も言えんなぁ……はぁ」
ベッドに転がりながら彼はそんな事を呟くとポケットに仕舞ってあったスマホが振動して何かの知らせをしてきた。特にやることもなくあとは寝るだけだったので、望六はスマホを取り出して内容を確認することにした。
「ったくなんだ? また悪友達からイタズラメッセか? それとも…………ってぅえぇぇ!?」
スマホのロックを解除して内容を確認するとそれは某ニュースアプリからの通知だったらしく、そのニュースに目を通すと彼は驚きの余りベッドから転げ落ちた。
「痛ててっ……。じゃなくてまじかよ! 七瀬さんが競技者から軍属に移転するのかも知れないのかよ!?」
そう、そのニュースは世界的に有名な魔術士の七瀬が競技者を引退して軍属へと移動すかも知れないという記事であったのだ。確かに前々から魔術士界隈ではDWWの第十七回を機に七瀬は引退するのではと囁かれていたのだ。
「ま、まさかなぁ……? ってこれは一刻も早く一樹に知らせてやらないと!」
望六はその場で立ち上がって急いで一樹へとニュースの内容をメッセージアプリを経由して送信すると、
「も、もう遅い時間だから騒いじゃ駄目ですよ……! 変態さんっ!」
部屋の扉前でナタリアの声が聞こえてきた。
どうやら彼がまた奇怪な行動にでも出たのかと思って注意しに来たのだろう。
「あーっ。ご、ごめんなさい……」
望六は直ぐに謝るとこれ以上の騒ぎはまずいと思いスマホの電源を落としてベッドに入り目を閉じた。その時にスマホが数回振動していたが恐らく一樹からの返事が来ていたのだろう。
――そして翌朝を迎えて望六がメッセージを確認するとやはり一樹から届いていて、その内容が『どうしよう……』や『姉貴と連絡がつかない』とかだった。
彼はそれを見て今更遅いかも知れないが取り敢えず落ち着くようにメッセージを送った。
「あとは一樹が七瀬さんと連絡が取れていれば良いけど……。俺は俺でこっちの労働を頑張らないとな! 今日は薪割り六千回だ!」
そう言って自分の頬を数回叩いて気合を入れ直すと望六は着替えてリビングへと向かったのだが……
「あれ? 今日はアルベルタさんいないのか?」
そこにはアルベルタの姿が無かったのだ。いつもならリビングに彼が来ると同時に彼女がニヤニヤとした表情を見せてから一日の労働日程が発表されると言うのにだ。
「急用ができたからって……今さっき出て行ったよ。だから今日は望六くんと二人……ひいいっ」
するとリビングの長椅子に座ってテレビを見ていたナタリアが彼に顔を向けて、アルベルタの事を教えてくれた。
「そ、そうなのか。てかそんなに怯えないでくれ。俺だって普通に傷つくぞ」
そしてその急用はどうやら一日で終わるような事では無さそうだ。
ナタリアが言う今日は二人という言葉がそれを意味している。
「はぁ……。ってことは今日は旨い料理が食えないって事かぁぁ」
アルベルタが不在で一番困っているのは実は望六かも知れない。
彼は労働のあとの彼女の料理が何よりも楽しみなのだ。しかしそれが無いとなると今日の労働に一体何の意味があるのだろうかと考えてしまい、望六のやる気が急激に下落している。
「……の、望六くんは何か食べたい物とかるの……?」
だがそこで意外な事にナタリアが手をもじもじとさせながら聞いてきた。
もしかして望六の純粋な反省という名の労働が功を成したのか、彼女の中で彼は許されたのだろうか。
「おぉ! よくぞ聞いてくれたナタリアよ! 俺はこのイタリアに来てから数々の料理を食べてきたが、本場のマルゲリータというピザはまだ食べていないのだよ!」
そこで望六はオペラ歌手のように声に張りを出して言う。
「……つまりピザが食べたいんだね……? い、良いよ。僕作れるから……」
何と彼女は驚く事にあの難易度の高いピザを作れると言うではないか。
もしかしてイタリア人と言うのは、みんな標準でピザが作れるのだろうか。
そんな事を思いつつ彼はナタリアに感謝を伝えるべく近づくと、
「なにぃ!? それは本当か! だとしたら俺は感謝の念でいっぱいだぞ!」
「ひいいいっ! 近づいてこないでぇぇ!」
彼女は一目散に長椅子から降りると走って部屋の端まで移動した。
やはり信頼関係が一度破綻すると修復には時間が掛かるらしい。
――そして望六は午前のルーティンでもる薪割りと庭掃除を終えるとナタリアが作ってくれると言ったマルゲリータを楽しみに再びリビングへと戻ってきたのだが……、
「ご、ごめんなさい……。生地は作れたけど……肝心の具材が何一つ残ってなかったの……。多分昨日の夕食で全部使っちゃったと思う……」
「なな、な、なんだと……!?」
その言葉を聞いた瞬間に望六は全身の力が抜けていき、体はスライムのように床へと倒れ込んだ。午前の労働はピザが食べれるという気力で何とか頑張っていたがそれが無いとなると午後の活動は無理に等しく、何ならもう動きたくないと体が訴え掛けている程だ。
「あっあっ……あぁ! でも……一つだけ手があるよっ!」
「なにっ!? それはまことか!」
望六は倒れている状態で顔だけナタリアへと向けて聞き返す。
「まことって意味が分からないけど……う、うん! この森の奥に山菜が生えていると思うからそれを使えば……何とか作れるかも……」
「よぉぉぉし!! ならばやるしかないな! さっそくだが案内してくれナタリアよ!」
ナタリアから何とかなる手立てを聞くと、望六の体は最後の活力を漲らせて再び立ち上がった。
そして彼の異常なピザへの執着心にナタリアは若干引いているのか、目を細めて口元は一の字になっている。
だがそんな事今の望六には関係ないのだ。あるのはたった一つマルゲリータが食べれるか否かだ。あとはそれを食べればイタリアの代表的な料理を大方食した事になるのだ。
故に彼はここまで本気になっているのだ。
留学の思い出を労働という灰色のイメージで終わらせない為に。
そして彼らがログハウスから飛び出して山菜が生えている場所へと向かうと、そこは木や草がそこそこ生い茂っていて雰囲気的にはキノコや山菜が生えていそうな感じだ。
これならピザの具材には困らないだろうと望六は辺りを物色していると、
「お、おいおい。あれは大丈夫かぁ?」
彼の視界には崖のギリギリで山菜を採っているナタリアが映った。
よりによって何でそんな危険な所で採取しているのか分からないが、彼女の場所は少し足でも滑らせるとそのまま底へと落ちていく程の所だ。
一応ナタリアは落ちないように四つん這いになりながら動いているが、危ない事には変わりないだろう。仮に落ちたとしても受身を取れれば腕や足の一二本で済むかも知れないが。
「まったく……。こんな所で怪我されたら俺がアルベルタさんに殺されそうだし、安全な所で取るように言うか」
一体何で自分よりこの森に詳しい筈のナタリアに注意をしないといけないのだろうかと言う疑問が望六の中で湧くと視線を彼女へと向けながら近づいた。
「ナタリアー! そんな所で取ってると危ないからこっち戻ってこーい!」
だがしかし望六がナタリアへと声を掛けたその瞬間、彼が想像していた最悪な事が起こった。
「ひやぁっ!? …………えっ」
彼女は山菜を採っている時に背後から望六の声を聞くとその声量に驚いたのか体制を崩すとそのまま崖底の方へと体を落としてしまい……
「ナタリアぁぁぁ!」
直ぐに望六が走り駆け寄ると状況を確認する。
「あっ……あぁっ……」
するとナタリアは偶然にも地面から突き出ていた木の根を掴んで耐えている状態であった。
しかしこの地面は地盤が緩いのか彼の走った衝撃により軽い地割れを起こすとナタリアの掴んでいる木の根の周りを巻き込んで徐々に崩落が始まった。
「た、助けて……っ!」
ナタリアは恐怖からか泣きながら助けてと言う。
「待ってろ! 直ぐに助けるからな!」
この場合どう動くのが最前かと望六は考え始めた。手を伸ばして届くのなら直ぐにやるが生憎彼女が根を掴んで耐えている場所にはどう頑張っても届かないのだ。
ざっと見た限り二人の距離は二メートル程あり、ナタリアに至っては根を掴んで宙吊り状態なのだ。しかも望六がどうするかと頭を使っている内に先に彼女の体力が限界を迎えたのか、
「もう手に力が……Papà、Mamma……Addio」
というふうに諦めのような感じの言葉が聞こえると同時にナタリアは手を離してしまった。
だがナタリアの放った言葉の意味は分からずとも、雰囲気的にどんな物か悟ってしまうと望六の体は自然と動いていた。
そう、彼女を死なせないが為に自らも崖から飛び降りて落下中にナタリアを抱き寄せたのだ。
更に望六はより各自に彼女を守る為に体を地面の方へと向けると、全ての落下の衝撃をその身に受ける事にしたのだ。
そして地面が直ぐそこまで迫ってくると彼は覚悟を決めて背中から地面へと当たりにいった。
刹那、硬い地面と背中が当たる衝撃で何か破裂したような感覚を望六は受けた。
「あ”ぁ”ぁ”っ”!?」
声にもならない程の痛みが全身を一気に駆け巡ると彼の意識はそこで飛んだ。
――それから彼が気を失って何時間ぐらいが経過しただろうか。
それはまるで水面から顔を上げるが如く彼は勢い良く起き上がったのだ。
「あぁぁーーっ! ここは何処だ!? 俺は死んだのか!」
急に起き上がった事で望六の体は収まっていた痛覚が再び覚醒し、全身に途轍もない痛みを与えてきた。しかし奇跡的に致命傷は避けられたのか意識はハッキリとしていて、負傷箇所があるとするなら背中から突き刺さるような痛みと足に力が入らない事ぐらいだ。
けれど結構な高さからダイビングをしてナタリアの分まで衝撃を食らったのにこの程度で済んだのなら彼はかなりの悪運の持ち主だと言えるだろう。
「ぐッ! 痛え”ぇ”ぇ”っ!」
全身の痛みに苦悶とした声を上げて身を悶えさせていると、そこで望六はとある事に気が付いた。それは自分が気を失ったあとナタリアは大丈夫だったのだろうかと言う事だ。
彼は全身を襲っていた痛みが多少和らいでくると周囲を見渡したが、彼女の姿は何処にも見えなかったのだ。だが他に何か確認出来る物があるとするなら、それは彼の横にある焚き火ぐらいだろう。
「居ないって事は無事って事だよな……?」
望六はそう呟くと少しだけ安堵出来たが依然として不安は拭えなかった。
気づけば辺りは既に真っ暗で太陽は完全に沈んでしまい空は漆黒色なのだ。
つまり日が沈んだ森の中は野生動物の活動時間であることは誰にでも分かるだろう。
ゆえにナタリアが動物に襲われないか、はたまた自分が襲われないかと心配事が望六の中で溢れていくのだ。
しかしそんな事を考えているとそれがフラグとなったのか、彼の前方で枯れ木を踏む音が聞こえたのだ。
「……ま、まさか獰猛な野生動物か? 流石にこんな所に肉食動物はいないよな? というか居てくれるなよ!?」
その音は段々と彼の方へと近づいてくる。
望六は野生の肉食動物ではない事を祈りつつ視線を音のする方へと向けていると、そこから姿を現したのは――
「の、望六……くんっ!! 良かった……生きてたぁ……」
大量の枯れ木を両手に抱えたナタリアの姿であった。しかも服装は至る所が破れていて頬にはかすり傷まであるのだ。恐らく木の枝を集める為に色々と無茶をしたのだろう。
「ナタリアぁ! 無事だったか! 良かった……本当に」
望六か心の底からナタリアの無事を安心すると、彼女は大量の枝をその場に落として駆け寄って来て勢い良く彼の体に飛びついてきた。
「ぐあっ!? ちょ、ナタリア! 急に何をするんだ!?」
「し、死んじゃったかと思って……ひぐっ……。でも良かった生きてた……こんな僕の為に……命を無駄にしないで……っ」
ナタリアがそう言って望六に抱きついたまま涙を流すと、彼は抱きつかれた衝撃で気を失いそうな程の痛みが襲ってきたが何とか気力だけで耐えた。
「な、ナタリアよ。今は全身が凄く痛いから離してくれないか? ……それとこんな僕の為にってどういう意味だ?」
そして望六はナタリアが言っていた”こんな僕の為に”という言葉がどうにも引っかかると聞かずには要られなかった。
きっとこれは何処ぞのイケメン友達のお人好しな性格が影響しているのだろう。
「ごめんさい……。じ、実は僕ね……友達が居ないって最初の時に言ったけど……あれは少し嘘が混ざってるの。ほ、本当の僕は――」
彼の体から離れてナタリアが自身の胸元で小さく拳を握ると、彼女は真剣な表情を見せながらその言葉の意味を話し始めた。それからその話を纏めるとこんな感じであった。
ナタリアは中学に入ってすぐに虐められて不登校になると、アルベルタと共にあのログハウスで生活を始めたらしい。だがそうすると彼女の両親は一体何をしているんだとなるが、仕事の方が忙しくて中々会える時間が作れないらしいのだ。
そして更に新事実なのだが望六のホームステイを受け入れた理由がなんと彼女の両親がナタリアに同年代の子と交流を図らせようとしての気遣いだったらしいのだ。
しかし幾ら同い年といえども男子の受け入れを許可するのは些かどうかと望六は話を聞いていて思った。
「なるほどな。日本でも虐めとかあるけど、これは世界共通の出来事なんだな。……だけどきっと虐めた本人は何も罪の意識はないんだろうな」
彼が焚き火を見ながら呟くと、こんな時お人好しの一樹ならどう返すのだろうかと望六は考えた。だけどここに彼は居ない。
だからこそ望六は自分の思った事を正直に言って彼女を励ます事にした。
「ぼ、僕が……こんな見た目と性格だから……仕方ないよ」
弱々しい雰囲気を出しつつ彼女は声を震わせていた。
「仕方ない事なんてない! 虐めはどんな理由があれど許される行為じゃないからな。それのせいで人一人の人生を滅茶苦茶にだって出来るからだ。……だけどナタリアは一つ勘違いをしているな」
「か、勘違い……?」
望六が放った言葉にナタリアは山菜を炙りながら首を傾げる。
「ああ、そうだ。ナタリアは自分の見た目や性格を嫌っているかも知れないが、俺にとってそれはありありのありだと思っている! それに短い期間だけど一緒に生活していて時々ナタリアが見せる笑顔は本当に可愛い! もっと自分に自身を持って大丈夫だ。……だがそれでも文句を言ってくる輩が居たら俺に言いな。そいつらをぶっ飛ばしてでもナタリアの存在を認めさせてやる!」
彼は思っている事を全てナタリアへと言うと自分で言っといて何だが臭い感じになってしまったかも知れないと照れくさそうに頭を掻いたが、これが真実だと自信を持って言える。
そしてナタリアは彼の言葉を聞くと顔が段々と真っ赤になっていくのが見ていて分かった。
「なっ!? ……あのその……えっと……く、くひゅぅぅぅぅ!」
しかも口をぱくぱくとさせて目を見開くと次に声にならない音が聞こえてきたのだ。
一体その音は何処から出ているか分からないが、彼女が手に持っていた山菜は燃えて炭になってしまったようだ。
「ははっ、折角の山菜が炭になっているぞナタリア。次はもっと慎重に炙らないとな。……にしもて何だ? さっきから右腕がじわじわとした痛みがして治まらないなぁ」
望六が笑いながら言うと徐に右腕を自分の前へと突き出して確認する。
すると腕の至る所に鋭利な石か何かの破片で切れたような切り傷が出来ており、そこから少量の血が止めどなく流れていた。
「ああ、なるほどな。アドレナリン状態が切れて徐々に体の痛みが鮮明になってきたか……」
望六が自身の傷を見ながら呟く。
「望六くん……! そ、その腕の傷……僕が何とかしてあげる……っ!」
ナタリアの視線は彼の血にまみれた腕へと注がれていて、何処かその瞳は揺らめいているように見えた。
「あ、いや。これぐらいなら唾でも塗っておけば治るから気にしないでいいぞ」
民間療法的な事を言って大丈夫だと彼は言う。
「ううん、駄目。……ぼ、僕を命懸けで守ってくれた恩は……必ず返すっ!」
だがナタリアは頑なにそれを聞かず近づいてくる。
そして彼女がその腕へと顔を近づけると……、
「動かない……でね。……と言っても痛みで無理かな。はむっ……」
「――なっ!?」
望六は信じがたい光景を目の当たりにすると腕の痛みや全身の痛みを一瞬忘れるほどの衝撃を受けた。だがそれも当然だ。
ナタリアは彼の血まみれの腕に自身の唇を乗せると、そのまま血を吸ったり舌を使って舐めとったりとした事を始めたのだ。
しかもその行為は荒っぽいものではなく何処か優しく暖かさを感じるほどで、望六はナタリアに視線を向けたまま呆けてしまった。
「はぁはぁ……ど、どうだったかな。ちゃんと望六くんが言っていた通りに唾を傷口に塗ったよ……?」
「あ、ああそうだな。たぶん大丈夫だと思う……あ、ありがとうな」
どうやらナタリアは望六が言ったあれを実践していただけのようだ。だけど彼女の口元はまるで濃い口紅を塗ったかのように赤く染まっており、不覚にも彼はそれを見て妖艶な美しさと言うのを初めて知った気がした。
「ね、ねえ……望六くん。……しょ、消毒の為にもっと舐めたりしても……いいかな?」
「えっ!? ま、まあ消毒の為なら仕方ないが……衛生面で見れば普通に危険だから程々に頼むぞ?」
ナタリアが初めて自分に対してお願いするような事を言ってくると、望六はそれが普通に嬉しくてつい舐める事を許可してしまった。この留学に来てから、かなりの日数が経過したが彼女に頼られる事が一度もなかったから反動が大きいのだ。
「う、うん……大丈夫っ!」
それからナタリアが血を舐めたりして疲れ果てたのか彼に寄り添うようにして眠ると、望六も気合で耐えていた痛みに限界を迎えて気を失う形で眠りに落ちた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そしてそんな出来事があってから翌朝を迎えると急用から帰ってきたアルベルタが二人を見つけ出して無事に救助された。
どうやら焚き火の煙が役に立ったようで直ぐに居場所が分かったとの事だ。
それから望六は崖から落下して全身を痛めている事から当然病院へと搬送されると、残りの留学日数は全て病院のベッドの上で消化される事が宣告された。
それと当たり前の事だが彼の目的だったマルゲリータもお預け状態となった。
というよりとてもじゃないが入院患者が食べれる物ではない。
――そして気づけば入院生活もあっという間に終わって今日は帰国の日となっている。
現在望六はイタリアの某空港にてバッグを携えてナタリアとアルベルタから見送りを受けている最中だ。
「この二週間は実に色々な事がありましたけど、一番はナタリアを守ってくれた事ですね。改めて望六さんに感謝を。そして下着の件はそれで手打ちにしといてあげますね」
「ははっ、それはどうも……」
見送りだと言うのにアルベルタから刺のあるような無いような何とも言えない言葉を貰うと、望六はため息混じりの声しか出なかった。
それと彼が脱衣所で見つけたあの髑髏の柄が入った下着は彼女の物だったらしい。
望六が入院している時に見舞いで来たアルベルタがそう言っていたのだ。
……それからナタリアが一歩前に出て彼に視線をしっかりと向けると、
「に、日本に帰っても元気……でね望六くん! 僕はこの二週間の出来事は絶対に……忘れないからっ!」
と、力強く言い切って彼女は笑顔を見せてきた。
「ああ、ナタリアこそ元気でな! 俺は生憎記憶力が乏しいから忘れるかも知れないが、また会える時があったらその時はもっと自分を曝け出したナタリアを見せてくれよな!」
そう言いながら望六が親指を上げて言葉を送る。
「……ッ! わ、分かった……頑張ってみるっ!」
ナタリアの瞳には何かを決意したように光を宿らせていた気がした。
しかしここで空港内アナウンスで日本行きの飛行機の出発案内の知らせが流れた。
それを聞くと彼はキャリーバッグを引きずって搭乗ゲートへと向かおうとしたが、
「おっと、そうだそうだ。これをしっかりと伝えておかないとな! アルベルタさん、ナタリア、二週間お世話になりました! 本当にありがとうございましたっ!」
最後に大きな声と共に頭を下げると二週間という期間を共に過ごした事の感謝を二人に伝えた。
それから二人に「早く行かないと乗り遅れますよ」っと微笑みながら言われると、今度こそ望六は振り返らずに搭乗ゲートへと足を進めた。
最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございます。
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