第5位 空港死体遺棄事件
2011年1月20日、閑散とした午前5時頃のヴァレンシュタイン国際空港で、清掃員がコインロッカーの点検を行っていた。Lサイズのロッカーのひとつが使用中であったため、規約通り遺失物センターへ移そうと清掃員が鍵を開けると、中には海外旅行用サイズの青いキャリーバッグが入っていた。遺失物センターの係員が出勤する午前8時まで、キャリーバッグは清掃員詰所で保管されていた。
清掃員からキャリーバッグを受け取った遺失物センターの係員は、キャリーバッグの中から異臭がすることに気付いた。食品が入っているのならゴミとして処分しようとした係員がキャリーバッグを開けると、ビニール袋に入れられた左足を発見。すぐさま警察に通報した。駆けつけた警察官たちがキャリーバッグの中から複数のビニール袋を取り出し、それぞれ人体の一部を発見したことから死体遺棄事件として捜査を開始した。
司法解剖によって、16に分割されてビニール袋に入れられた遺体は1人の人間であることが判明した。20代前後で血液型はB型、ゲルマン民族由来のDNAを持つ男性であることまでは判明したが、頭部がなかったことなどから個人の特定には至らなかった。キャリーバッグには遺体とビニール袋を除いたものは何も入っていなかった。
遺体をキャリーバッグごとコインロッカーに遺棄した人物の映像が監視カメラの記録に残っていた。20代から40代の男性で肌は白く、ジョン・レノンに似た長髪と髭が特徴的で、腕時計を左手首に巻いていることから右利きと思われる。警察はこの映像を公開して情報提供を呼びかけた。充分な視覚的特徴を捜査初期に得られたこともあり、警察内部には楽観ムードも漂っていた。
ところが、容疑者らしき人物の目撃情報は集まっても事件に一向に結びつかない。『長髪で髭を生やした右利きの白人男性』など、ヴァレンシュタイン国内にいくらでもいるためだ。また、事件現場が空港であるだけに外国人の可能性も考えられる。ヴァレンシュタインとEU加盟国とを相互に行き来する場合はパスポートが不要であるため、やはり個人の特定は不可能であった。
空港にキャリーバッグを遺棄した男は、飛行機に乗らずに空港を去っている。もし男の行き先が理髪店であったとしたら、国民に誤った犯人像を植えつけたことになり、警察の情報公開は悪手だったということになってしまう。髭を剃り、短髪にした際のイメージ画像をポスターにするなどして、警察は現在も被害者と容疑者の両人物特定に向けた捜査を続けている。
本事件の指揮を最初にとったアントン・ウルリヒ元刑事は2012年に警察官を定年退職したが、彼の退職後、内部告発によって数多くの自白強要や証拠捏造が発覚した。中には嘘の自白と偽りの証拠品によって有罪判決を受けた人物もいたことが判明している。警察および検察への責任追求は政界をも巻き込んだ騒ぎに発展したが、ウルリヒ元刑事が公務員であり、かつ既に退職していることから、本人に制裁が下されることはなかった。彼は現在もヴァレンシュタイン国内で家族と共に静かな余生を送っている。