第7位 教会バラバラ死体事件
1885年12月25日、ヴァレンシュタイン公国領内の教会でクリスマスパーティーが行われようとしていた。家族で教会に来ていた1人の少年は、礼拝が終わるなり教会の庭へ勢いよく飛び出した。昨晩から降り続いていた雪がやみ、一面の銀世界を見た少年は胸を高鳴らせたのかもしれない。礼拝を終えた他の子供たちも次々と庭に集まってきた。
少年たちの雪遊びに付き合うため、クリスティーナという若いシスターが少女に手を引かれて庭へ降りた。元気に遊ぶ子供たちを微笑ましく見つめるクリスティーナ。ふと、ある少年が手にしているものにクリスティーナの目が留まった。木の枝にしては白い。氷柱にしては透明感がない。何よりその形が、クリスティーナには人の腕であるように見えた。
クリスティーナは慌ててそれを取り上げ、どこから持ってきたのか少年に迫った。優しいクリスティーナが初めて子供に向かって声を荒らげたため、その少年は驚いて泣き出してしまったものの、ある場所を指差した。そこはクリスティーナが想像したような墓地などではなく、子供だけでも容易に立ち入れそうな教会の一角だった。そこに脚や頭などが切断された状態で雪にまみれて捨てられていたのだ。クリスティーナは思わず悲鳴を上げた。
彼女の悲鳴を聞きつけ、パーティーの準備をしていた他のシスターや司祭が庭に駆けつけた。司祭は他のシスターたちに子供たちとクリスティーナを教会の中へ入れるよう指示し、自らはヴァレンシュタイン公爵へ報告するため城へ向かった。その後、城からやってきた役人たちによって死体の主がヨッヘムという町医者であることが突き止められたが、それ以上のことはわからなかった。現場の足跡などは子供たちやシスターたちのものが多くつけられていたため、犯人のものを特定できくなっていたのだ。
事件の噂が広がり、やがて教会には心ない手紙が届くようになった。胸を痛めるシスターたちや不安がる子供たちを見て、司祭はローマ教皇へ書簡を送った。教皇ピウス9世は司祭へ「主が必ず守って下さるから心配しないように」と返事を出した。司祭たちはこの言葉に力を借りて強く生き、1日も早い事件解決を信じた。
最後まで教会を守った司祭は1919年にスペイン風邪で、多くの子供たちに慕われたクリスティーナは1942年に交通事故でこの世を去った。町の人々の安寧を願い続けた教会は第二次世界大戦中の空襲によって全焼した。戦後、かつて教会があった場所には缶詰工場が建てられた。2度も世紀を跨いだ今となっては、犯人特定に繋がる重要な証拠はどこにも残っていないだろう。
本事件に関する都市伝説として最初に庭へ飛び出した少年の正体がはっきりしないというものがあるが、それは事実ではない。正体不明なのは彼の両親である。この教会は事故や戦争による孤児を引き取っていたが、両親共に健在であるにも関わらず子供を引き取らせようとするのは珍しい、と司祭が日記に残している。死体発見の混乱の中で両親は行方を眩まし、少年だけが教会に残されたのだ。