第10位 日本人失踪事件
ドイツとポーランドに挟まれ、バルト海に面する小さな公国、ヴァレンシュタイン。東西ドイツ再統一と同じタイミングで独立を回復し、以降は主に観光産業で発展してきた。現地にいる日本人はドイツやポーランドへの旅行ついでに寄った観光客がほとんどだが、20年前にこの地で失踪した日本人がいることはヴァレンシュタイン国内でもあまり有名ではない。
2004年2月15日夜、当時22歳の桑畑千里さんが滞在先のホテルヴァレンシュタインに戻らなかった。部屋に荷物がそのまま残っており、予約時に申請した携帯電話番号にも繋がらなかったことから、チェックアウト予定時刻を過ぎた翌16日正午頃にホテルから警察へ届られた。
ヴァレンシュタインがEUに加盟したのは2004年5月1日である。そのため、ドイツやポーランドとの間には当時まだ国境検問所が存在した。それらの検問所には、桑畑さんがヴァレンシュタインを出国した記録は残っていなかった。バスやタクシーなどの公共交通機関についても同様であった。
在ヴァレンシュタイン日本大使館を兼轄する在ドイツ日本大使館から邦人失踪の一報が送られ、日本国内でも捜査が始まった。桑畑さんは北海道小樽市出身で北海道大学に通っていた。ヴァレンシュタインへの渡航目的は観光旅行。旅程は2月14日から2泊の予定だった。卒業旅行だったということが家族への聴取からわかっている。
煙のように消えてしまった桑畑さんの行方も、その手がかりも掴めぬまま月日が流れた。2014年2月16日、桑畑さんの実家に不審な電話がかかる。「助けて、助けて」「寒い」「苦しい」などと、日本語で一方的に話し、切られた。電話に出た桑畑さんの母親によると、声は桑畑さんとは違う女性のものに聞こえたという。10年経って声が変わったにしても、方言や言い回しなど、変化しようのない部分まで違っていたように聞こえたそうだ。
事件から20年が経つが、今もなお桑畑さんの身に何が起き、現在はどこでどうしているのか、わかっていない。桑畑さんの家族は定期的にヴァレンシュタインへ直接赴いて情報を募り、北海道警察も国内で情報提供を呼びかけるなどの捜査を続けていたが、どちらも東日本大震災直前の2011年2月を最後に途絶えている。
当時、日本国内の一部週刊誌などで、桑畑さん一家の家庭内事情が報じられた。それら報道によると桑畑さん本人は妹の世話を自主的にする一方、両親は子育てよりもパチンコなどの賭け事に熱中するような性格で、散財ぶりは近所でも評判だったそうだ。桑畑さんが進学のために実家を出て以降、妹は学校内でいじめに加担するようになったという。2011年夏、桑畑さんの両親は犯罪被害者の救済を目的とするNPO法人の資金を横領したとして逮捕された。