95:デート未満のお散歩③
メイン通りに出た二人は、パンを食べる場所は噴水の傍にしようと、道を下ることにした。
休日ということもあり、人通りが多い。家族連れから、老夫婦、恋人同士まで色んな人が和気あいあいと歩いている。
王都に来てからはじめて噴水近くへ行くクリスティンは、あまりの人の多さにびっくりして、きょろきょろしてしまう。
「どうしたんだ」
「まさか、こんなに人がいるとは思わなくて……」
休日は気を紛らわせるために稽古場に顔を出しており、広場がこんなに賑わっているとは知らなかった。平日には見られない小さな店がいくつもある。店先では、子どもが父親になにかを買ってもらっている様子も見られた。
「休日で晴れていれば、近隣から遊びに来る人もいる。いつものことだろう」
ライアンが不思議そうに問うた。
「私、最近王都に住むようになったの。だから、ここのことはよく知らなくて……」
ぼんやり口にしてしまったクリスティンは、しまったと口をつぐむ。
稽古場で会うクレスも学院で会うクリスティンも王都に来たばかりとライアンは知っている。ティンもまた王都に来たばかりと知ったら、三人が同一人物だと気づく可能性が高くなってしまう。
「そうだったのか。王都には職探しに? それとも、別の用事か?」
「あっ、遊びに来たのよ。親戚のつてを頼ってよ。憧れるじゃない、王都って」
クリスティンは引きつりながら誤魔化し笑う。
「もしかして、パン屋で働きながら、仕事を探しているのか? つてがないと王都でも職探しは大変だろう」
「今のところは問題ないわ。パン屋で働いているじゃない。住み込みだし、なんとかなっているのよ」
「朝しか働いていないじゃないか。あれで暮らしていけるのか? 本当に困ってはいないのか」
「大丈夫よ。困ってない、困ってはいないわ」
「もしかして王都で暮らすのは短期間の予定なのか? 時期が来たら、故郷に戻るとか……」
「しばらくはいるつもりだけど、そうね。時期がきたら戻ると思うわ」
学院に三年通ったら、男爵領に戻るつもりなので、嘘ではない。
「ずっと王都にはいないのか」
「うん。長くはいないつもりよ」
三年いれるかどうかも不明瞭だ。なにせ瘴気は年々濃くなっており、オーランドが言うように、男爵家は領地から離れなくてはいけないかもしれない。そうなれば、平民と同じ立場になるだろう。
金銭的にも、立場的にも学院にいるのは難しくなる。退学の可能性だってあるのだ。
しかし、ライアンに詳しく説明はできない。芋ずる式に、クレスとクリスティンとティンが同一人物だと、明かしてしまいかねなくなる。
話せないことが多いというのに、ライアンは必死な顔で訊ねてくる。クリスティンは、その勢いにまごついてしまう。
「まだ王都にいたいと思っていても戻るのか? それとも暮らしを続けるだけの資金が尽きるとか、仕送りが滞るとか。職が見つからないから、戻らなきゃいけないとか」
「らっ、ライアン。まだ先のことよ。先のことなの。なにもかも未定なのよ」
「もし、もしだ。
王都にまだいたくて、職に困っていたら、力になる。俺なら働き口を推薦できるからな」
クリスティンは目を丸くする。まさかライアンがそこまで宣言するとは思わなかったのだ。
(公爵家で雇ってくれるとか? まさかね、子どもに人を雇う権限なんてないじゃない)
ここまで親身になろうとするライアンに困り果て、クリスティンは苦笑いを浮かべる。
「ありがとう。困ったら相談するわ」
「必ずだ。必ず相談してくれ、力になる!」
引き気味のクリスティンにライアンが前のめりで強調する。
頼れる人であることは分かっているものの、ここまで献身的な姿勢を見せられると少し怖くなる。
「ライアン、まだ先のことよ。今はなにも決まってないし、すぐにいなくなったりしないわ。しばらくは、このままよ、このまま。このままだから」
暴れ馬をいなすようにクリスティンは宥めすかす。
すとんとライアンの力んでいた肩から力が抜ける。
「そうか、そうなのか」
「ええ、しばらく王都にいる予定」
「なら、黙っていなくなるなよ」
「黙ってって……」
(私たちそんなに親しくないじゃない)
クリスティンはそう言いたかったが、クレスとしても、クリスティンとしても関わっているライアンを親しくないというのも変な気がした。
下手をすると、王都に出て一番関わってやいないだろうかと気づき、唖然とする。
「黙っていなくなったりしないでくれよ。頼むから……」
「私は毎朝、パン屋の売り子をしているわ」
「職を変える時も教えてくれ」
「それも、ないない。あそこの仕事が好きだもの」
「また買いに行く」
「たまに休みの日もあるわよ」
「それでもいい」
「明日は休みよ」
「……そっか」
「たまに、休むかもしれないけど、いなくならないから」
「突然、いなくなったら……」
勢いで言い合っていた二人の間に一瞬沈黙が降りる。
ライアンの表情が悲痛に歪む。
「悲しいからな」
間を置いて言い切ったライアンの言葉を、両目をぱちぱちしてクリスティンは呆けて受け止める。
まるで、大切な人を失った経験があるような物言いだ。
誰か大切な人を失ったことがあるのなんて、軽々しく聞けず、クリスティンは笑おうとした。
『やあね、なに言っているの。すぐにいなくならないって言ったでしょ』
そんな台詞を笑い飛ばして、あははと笑ってしまおうと頭では思っているのに、口も声も上手く動かなかった。
大切な人を残して死ぬ。
ずんと痛みが体中に広がった。
残される方も辛いが、残していく方だって辛い。
両方の痛みが体のなかで点滅し、痛みを伴う悲哀が隅々まで充満する。
「ごめん、驚かせて……」
「……ううん。突然、誰かがいなくなったら寂しいよね」
「ああ」
二人の間にどことなく気まずい空気が流れる。
クリスティンが身体に残る痛みを逃すために腕を摩った。
噴水の傍まできた。高らかとあがる水しぶきが空に放たれ、虹を作る。
噴水の周囲を囲む石畳を横切るように人が移動していく。
人の流れを見ながら、クリスティンは問うた。
「あの人たち、どこに流れていくの」
「あっちには貴族や王族が使う出入り口があるんだ。平民用の出入り口との間が広場になっていて、ベンチや芝生があり、憩いの場になっているんだよ」
「だから、噴水近くで食べようと言ったのね」
噴水を回り込み、人の流れにのって直進する。
程なく、石畳が敷き詰められた道と芝生に覆われた憩いの場に出た。
幅の広い道の縁に添って、等間隔にベンチも設置され、人々が座って寛いでいる。
二人は休める場所を探しながら道を進む。
「驚かせて、悪かったよ」
「なにを?」
「いなくならないでくれって……」
「気にしてないわ。本当にそうじゃない。いなくなったら、悲しい。気持ちは分かるわ」
またずんとクリスティンの心が重くなる。
目の前で、家族連れが座っていたベンチが空いた。クリスティンとライアンは走って、そのベンチに並んで座った。
見上げると青い空が広がり、白い雲が流れていく。
穏やかな人々と青々とした芝生に抜けるような青空。
気持ちの良い晴天だ。
しばし、二人で空を眺める。
相手がいることに気づき、同時に横を向くと、はたと目が合った。
風が抜けていき、見つめ合う。
一緒にいることにひどく驚く感覚に襲われ、それは相手も同じ気持ちだと二人同時に察した。
心が通じたような感覚に襲われる。
ライアンは改めて染みわたるように、(この女性が好きだ)と思った。
そんなライアンの視線をクリスティンは彼の瞳に移る自分を見つめ、受け止める。
くすぐったくて、あたたかな感情が胸を打った。
ライアンといると不思議な感覚になると自覚しつつあるクリスティンだが、根底にある心意はまだ分からずにいた。