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93:デート未満のお散歩①

 朝の一番忙しい時間帯が過ぎ、店がいつもの落ち着きを取り戻すと、おかみさんに「今日はもう大丈夫だよ。殿下の元にもどっておあげ」と促された。クリスティンは「お疲れさまです」と頭をさげた。


 勘定場に投げてから、パンを並べる時に畳んでおいたロングコートを棚から取り出し、袖を通すと店を出た。

 メイン通りに向かおうとして、足を止める。


(香水。あれだけは持っていった方がいいかも)


 たまに泊まるなら、屋敷に置いておかないと不便だ。今日の夜も、オーランドが香水を気にかけるかもしれない。

 小瓶に入れた香水は数本、男爵領から持ってきている。屋敷に一本置いておいても問題はなかった。


(魔力がうんぬん言っていたものね。

 香水がないと困るとなったら、またおいちゃんが早朝に馬車をだしたりして、面倒そうよね)


 クリスティンは引き返した。


ウィーラー(先生)は、そんなことを言っていなかった気がするけど……。貴族の子女の嗜みだって説明していなかった? 私が忘れただけかな。

 私って先生やおいちゃんの言うことを、はいはい聞いちゃうからなあ。覚えてないだけかも……)


 階段を駆け上がり、部屋に戻る。

 一瓶ポケットに入れると、すぐに部屋を出て、小道から道へと飛び出した。


「うわっ!」

 

 声がして、横を向く。

 目の前にロバを押えるレオがいた。

 

 いきなり人が現れ、びっくりしたのだろう。ロバが前足で地面を数度叩き、首を振った。


「おちつけ、おちつけ。ティンだ。知っている顔だろう」


 レオが宥めるとロバはすぐにおちついた。


「ああ。ごめんなさい、レオ。びっくりさせちゃって」

「大丈夫だよ。気にしないで。でも、小道から出る時は気をつけてくれ。人とぶつかっても大変だからね」

「はい、ごめんなさい。積み荷は大丈夫ですか?

 先日、リンゴを転がしてしまった人がいたんですよ。道に落ちたら、売り物にならないでしょ」

 

 レオはロバを撫でながら苦笑した。


「リンゴを落したって、メイン通りでかい?」

「はい。偶然見てしまったんですよ。リンゴを追いかけて犬が飛び出したり、馬が暴れて馬車の車輪がとれかかったり、大変でしたよ」

「うわぁ、恥ずかしいなあ。見られてたんだ、あれ。実はあの時、リンゴを転がしていたの俺なんだよ、俺」

「あれ、レオだったの?」

「そう、ちょうど八百屋やお菓子屋にリンゴを納めていた時だ。まさか知り合いに見られていたなんてね。忘れてよ、ティン」

「ふふっ。いいですよ。誰にでも知られたくない失敗はありますよね。レオからばらさなければ、私も気づかなかったのに」

「そりゃあそうだ」


 レオとクリスティンが一緒に笑う。

 平民同士の関係はクリスティンにとっても居心地が良い。男爵領での領民との関係もこんな感じなのだ。


「そうだ。ティン、アップルパイは食べたかい。パン屋で売り始めたと聞いたが」

「まだですよ」

「そうか、なら買ってあげるよ。口止め料だ」

「口止め料なんていりませんよ。アップルパイがなくても、黙ってますって」

「いいんだよ。この前、買ってあげると言っていただろう」

「覚えていたんですか」

「もちろん。ロバと一緒に待ってて、買ってくるから」


 仕事中のレオは、急いでパン屋に入っていく。クリスティンが止める間もない素早さだった。

 

(いっちゃった)


 残されたクリスティンは、ちらっとロバを見る。ロバはクリスティンに興味なしという顔で、首をたれ、休み始める。


(アップルパイかあ。きっと美味しいわね)


 ニールが作るパンはとても美味しい。

 甘みと酸味をほどよく煮詰めたリンゴが入っているバターがたっぷりの生地に包まれたパンを想像するだけで、唾が溢れてきた。


(へへっ。ちょっと楽しみ)


 パン屋の入り口を見つめて待つクリスティンはにやけそうになる顔に手を当てた。


「ティン。ロバと一緒に、なにをしているんだ」


 後ろから声がかかり、ビクンと反応してしまう。声音が耳に届くと、身体も強張った。


「パン屋の仕事は終わったのか」


 その一言で、呼び声の主が誰か、はっきりわかった。

 彼ではないことを願いつつ、その願いは叶わなと分かりながら、クリスティンは振り向く。

 顔を見た瞬間、片頬が引きつった。


(やっぱり、きたあ……)


 近づいたライアンがすぐ横に立つ。ロバは人が近づいても気にせずに、首をたれている。クリスティンはもう笑うしかない。


(なんで、この人がここに来るのぉ……)


 学院にいる時の厳しい顔付きと異なり、照れくさそうにはにかむ。学院での厳しさを微塵も感じさせない柔和な態度に戸惑うばかりだ。


「ライアン。今日もパンを買いに?」

「ああ、ええっと……」


 言いにくそうなライアンに、クリスティンは小首をかしぐ。


(パンを買いに来る意外の目的の時もあるのかしら)


 理由は思い当たらなかった。 


「ティンこそ、いつもなら売り子をしている時間だろう」

「仕事はもうあがったのそれで、これから出かけるところよ」

「そう、なのか……」

「そして、今は、レオを待っているの。このロバの主人ね」

「レオを……」


 ライアンがひどく驚いた顔をしたところで、カランカランとベルが鳴った。


「ティン、買ってきたよ」


 店からレオが出てきた。レオはすぐにクリスティンの隣にいるライアンにも気づいた。


「やあ、ライアンじゃないか。久しぶり。今日もパンを買いに?」

「レオ? 何で店から……」


 ふふっと笑ったレオがパンが入った紙袋をクリスティンに差し出した。

 

「アップルパイ、ちょうど二つ残っていて、買ってきたよ」

「ありがとう。いいの、もらって」

「うん。だから、あれは内緒な」

「わかったわ」


 悪戯っぽくレオがクリスティンに笑いかける。

 クリスティンはパンが入った紙袋を受け取った。すぐに袋の口をあけて、中を覗き見る。アップルパイが二つあり、心が躍った。

 

 ライアンはそのやり取りをじっと見ていた。

 複雑な内心を知ってか知らずか、レオはライアンに話しかける。


「ライアン。俺は仕事なんだ」

「そうか。ご苦労様」

「そう。だから、こんなところで油を売って、女の子にアップルパイを買ってあげているのは内緒にしてくれよ」

「俺が誰に告げ口するんだ。レオの職場さえ知らないのに」


 口角をあげ、嫌味を込めたライアンの台詞をレオは楽しそうに受け止める。


「念のためだよ。どこで誰が見ているか分からないからね」


 リンゴを落して慌てるレオを連想したクリスティンが顔をあげた。

 

「そうね。誰が見ているかなんて、分からないものね」

「そうそう」


 レオとクリスティンだけが分かりあうように、同時に笑んだ。

 仲間外れのライアンは、じとっとレオを見つめる。嫌悪は露にしなくても、どこか面白くないと頬に書いてある表情だ。


「ありがとう、レオ。アップルパイ、ありがたくいただくわ」

「喜んでくれてうれしいよ。じゃあ、俺は仕事に戻るね」


 ロバの手綱を握り、レオが歩き始める。

 クリスティンとライアンは左右に避けて、道をあけた。


「じゃあ、ティン。またね」

「ありがとう。お仕事、がんばってね」

「ライアンもまたな」

「ああ。ご苦労様」


 楽しそうにロバを連れ去っていくレオ。

 見送るライアンは複雑な顔をしていたが、クリスティンはあまり気にしていなかった。


 ロバが引く荷馬車を見送ったクリスティンはライアンと向き合う。


「じゃあ、またね。パンを買うなら、店にはおかみさんがいるから……、また……、ね」


 また明日、と言いそうになって語尾が乱れる。誤魔化すように笑い、そのまま逃げ去ろうとクリスティンは踏み出す。

 その手首をライアンはとっさに掴んだ。


「待ってくれ、ティン。今日これから、時間あるか」

 

 必死に訊ねてくるライアンに、クリスティンは目を丸くした。



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