91:魔石の修理③
馬車はメイン通りを下っていく。
「パン屋まで送りたいところだがこの馬車では目立ちすぎる。道すがら降ろすから、そこから歩いていってほしい」
食べているクリスティンにオーランドは独り言のように語り掛ける。
「昼前に戻るとして、迎えに来た方がいいか」
クリスティンは頭を振った。
最後の一口を飲み込んで、手もとの紙を綺麗に畳む。オーランドとの距離感を計りかねて、顔をあげることができなかった。
「歩いて帰るよ。昼間だもの、この馬車じゃ目立つでしょう」
「では、昼食を用意して待っていることにしよう。
ところで香水はつけているか」
「うん、夜寝る前に。でも、昨日は泊ったから、つけてないな」
「戻ったらそれをつけてから店に行くと良い」
「どうして? 良い匂いがするから?」
「あれは魔力を隠す効果があるからだよ。クリスティンは生まれつき魔力が多いから、あれで誤魔化しておいた方が暮らしやすいはずだ」
「そんなものかしら」
「いずれ分かるさ」
オーランドの言わんとしている意味が、クリスティンは分からなかった。
馬車がゆっくりと停車する。
降りる場所についたと気づいたクリスティンは仕舞っていた三角巾を手にして、頭部に結んだ。
御者の手によって、馬車の扉が開かれる。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。香水を忘れずにな」
オーランドは車内にて見送った。
クリスティンがおりると、御者は扉を閉め、クリスティンに一礼して、御者台に戻り、馬に鞭打ち、引き返していった。
残されたクリスティンはパン屋へと向かう。
もうすぐパン屋につくところで、レオの荷車があった。主人を待っているロバは、のんびりと与えられたリンゴを食べている。
レオは近くの店に配達に行っているのだろう。
パン屋の前に着くと、まだ扉にはベルはついていなかった。どこかいつもと違う気がしたものの、ひとまず小道に入る。
一日家を空けていたのも気になっていた。
階段を駆け上がり、鍵をあけて家に入る。
昨日出かけた時と変わらない様にほっとした。
机に置いている小瓶から適量手首につけて、首元と手首に香水をつける。
ふあんと多種類の花を咲かしたような香りが立った。
クリスティンは変わりない室内に安堵し、パン屋に向かう。
店内に入ると、がらんとしていた。この時間帯ならそろそろパンを並べ始めてもおかしくない。
なにかいつもと違うと店先で思ったのは、パンの香りがしなかったからだと気づいた。
なにかあったのだろうかと勘定場の奥へ向かう。
店の奥から話し声が聞こえてきた。
「これじゃあだめだね」
「ああ、数日開店できないかもしれない」
「パンが焼けないとなると仕方ないねえ。最近、魔石も高くなっているし、技術者も近郊の工場に駆り出されていて人手不足だろう。困ったものだね」
「ああ、困ったな」
クリスティンが勘定場に回り込み、奥へと顔を出す。
「おはようございます。おかみさん、どうかしたんですか」
「ティン!」
おかみさんとニールが同時に振り向く。二人一緒にとても驚いた顔をした。そんなに驚かれると思っていなかったクリスティンもびっくりした。
「どうしたんだい、今日はてっきり帰ってこないものだと思っていたよ。仕事だって休みじゃないのか」
「えっ、休む? 私が?」
「昨日、ベリンダがラッセルを連れてきてね。オーランド殿下が戻ってきたから、今日と明日は屋敷にティンが泊ると聞いていたんだ。屋敷に泊まるとなると自ずと休みになるだろうと思っていたのさ」
着替えを手伝った後に、ベリンダがパン屋に顔を出したと知り、クリスティンは驚いた。
「泊ったんだけど、ほら、急に休んだら困ると思って、おいちゃんにことわって、来ることにしたのよ」
「殿下も知ってのことなんだね。なら良かった」
「もちろんだよ。誰にも挨拶しないで出てくるのは忍びないわ。
ところで、おかみさん、なにか問題でもあったの」
調理場に設置されているパンを焼く竈をおかみさんが叩いた。
「これが壊れてしまったんだ。パン屋がパンを焼けないとなったら、店を開けられないだろう」
「さっき、魔石がどうのと言っていたけど。竈に魔石が使われているの?」
「クリスティンは知らないのかい? 火事防止のため、王都では火の元はすべて魔石を使っているんだ。
この竈も、炎の働きをする魔石を埋め込んでいるんだけけど、肝心の魔石にヒビが入ってしまって、使い物にならなくなってしまったんだよ」
身体を斜めに傾けて、竈の下部にある赤い石をおかみさんが示した。
「パンが焼けないとなると大変だな。早めに入り口に張り紙で知らせておかないと、みんな困ってしまうだろう」
肩を落とすニールに、おかみさんは力なく笑う。
「仕方ない。少し長い休みをとるつもりでいよう。なあに、長年働きづめなんだ。こういう時は神様が休みをくれたと思って、ありがたく休息をとるものだよ」
沈む二人を見ていると、クリスティンはいてもたってもいられなくなる。
嬉しそうに買っていくお客さんの顔がクリスティンの脳裏をよぎった。彼らもまた残念そうに、仕方ないと言いながら帰っていくのだろう。
ずきんとクリスティンの心が痛んだ。
(魔石。魔石さえ、綺麗になればいいのよね)
ウィーラーに止められている魔石づくり。
安易に人前で披露してはいけないのは分かっていた。
(でも、これは人助けだし。学院に通っていることもおかみさんたちは知っているし。黙っていてねとお願いしたら……、大丈夫よね……)
目の前では、ニールとおかみさんが話を続けている。
困っている人を無視して、出来ないふりをしているのも後々心苦しい。
クリスティンは上着を脱いで、振り向きざまに勘定場にほおり投げた。再び料理場に向き合うと、腕まくりをして、踏み出した。
「それ、私なら何とかなるかもしれません」
「なんとかなるって?」
訝しげに問うおかみさんに、クリスティンは大きくうなずいた。
「これでも、貴族学院に通っていますし、そこを地方受験で受かる程度には勉強しています。私の所属する科も魔法魔石科です。
だから、魔石のことなら、なんとかなると思います」
ずんずん進むクリスティンに、ニールとおかみさんは道をあけるように、横に避けた。
クリスティンは竈の下部に埋め込まれている楕円の赤い魔石を見つめた。
おかみさんが言うように縦に一線、ひびが入っている。
しゃがんだクリスティンは、魔石のひびを指先でそっと撫でた。
「できるのかい、ティン」
不安げにおかみさんが問う。
クリスティンは、おかみさんを見上げ、にっこりと笑った。
「大丈夫です。これなら、ひびも浅く、私でも直せますよ」