87:お屋敷を訪ねてみれば③
生徒会室を出て、静かな廊下を歩くクリスティンは、横にいるオーランドを盗み見た。
ネイサン近衛騎士団長やエイドリアン近衛騎士副団長の恰好とよく似た漆黒の衣装を、首元まできっちりしめて、格好よく着こなしている。腰に佩く剣も重々しい。柄にはちゃんと土竜の印も刻まれている。
旅すがら男爵の城を訪問する時はもっとくたびれた格好をしているのに、さすが王都と言うだけあって、光沢ある布地で作られた衣装をぱりっときめていた。
「どうした、クリスティン」
「男爵家の古城に遊びに来る時と印象が違うのね」
正直に答えるとオーランドは不安げな顔になる。
「おかしいか?」
「ううん、かっこいいよ」
にっこり笑ってクリスティンが褒めると、オーランドは嬉しそうに目を細めた。
「クリスティンと一緒に公の場に立つのに、変な恰好はできないだろう」
「私のためにわざわざ?」
「もちろん」
「おいちゃんは忙しいのに……。父を立ててくれてとはいえ、手間取らせて、ごめんなさい」
「そんなことはない。慣れないクリスティンを一人ほっておいて、俺こそ悪かった。
もっと早く顔を出せば、クリスティンに嫌な思いをさせずに済んだかもしれないのにな」
「気にしてないよ。私、一人じゃなかったと言ったでしょう」
おどけたようにクリスティンは肩をすくめる。
「今日は、俺の屋敷に泊まると良い」
「泊まる? あのロジャーさんが管理しているお屋敷に?」
「そうだ。クリスティンの部屋も用意してあるんだ。パン屋だけでなく、いつでも泊まれるように。学院もこっちの方が近いからな」
「ええ、どうしよう。おかみさんになにも言っていないよ。明日も仕事があるのに……」
「仕事には行きたいのか」
「急にすっぽかしたら困らせるでしょう」
「それもそうだな。なら早朝に馬車を出してやろう」
「いらない、いらない。平民が暮らす地域のパン屋よ。目だってダメよ。歩いて行くわ」
「朝、早すぎるだろう」
「そう? 男爵領にいた時と、あまり変わらないわ」
「どちらにしろ、泊ってはくれるだろう。俺がいるうちに、クリスティンのために用意した部屋を見せたいし、俺がいる時ぐらい、こっちにいてほしい」
「もう。三役させておいて、おいちゃんがいる時は屋敷に泊まれって、ちょっと勝手じゃない」
三役それぞれに絡んでくるライアンを想像し、クリスティンはむくれた。
片頬を膨らませて、ふいっと横を向くと、オーランドが手を伸ばし、その膨れた頬をつついた。
触らないでと言わんばかりに尻目でクリスティンが睨むと、オーランドは手をぱっと離した。
「悪いな。いつも俺が守ってやれるわけじゃないから、出来る限り、安全でいてほしいんだよ」
「なにを心配しているのよ。お父さんだって、そこまで過保護じゃないわよ」
「人の子を預かっているんだ。その辺は分かってくれよ、クリスティン。なにかあってはジョンに顔向けできない」
「お父さんを引き合いに出さないでよ。もう、仕方ないわね。許してあげるわ」
ふいと横をむいたクリスティンだが、すぐに身を翻し、オーランドの腕に飛びついた。
「ねえ、おいちゃん。なら、今日のご飯は、ロジャーさんが作るの」
「そうだ。庭の管理と料理を主たる仕事に頼んでいるからな」
「ロジャーさんの料理とってもおいしいのよね。楽しみだわ」
「なんだ、食べ物につられるのか」
「そうよ。美味しい食べ物にはかなわないわ」
クリスティンがにこにこ笑えば、それだけでオーランドは満たされる。
唯一の潤いを連れて、オーランドは待たせている馬車までクリスティンを案内した。
待っていたのは、金で縁取られた黒塗りの汚れ一つない豪華な馬車だった。クリスティンは口をあんぐりと開けて、全体を見回す。公爵家の馬車よりも立派かもしれない。
御者もとてもきちんとした制服を着ており、クリスティンに恭しく頭を垂れる。慌てて、クリスティンも浅く頭をさげた。
顔をあげると、御者は馬車の扉を開ける。
クリスティンはオーランドの袖を引いた。
「なに? おいちゃん、こんなすごい馬車で移動するの」
「ああ、兄から『お前はもう一人でほっつき歩くな』と言われてな」
「兄って王様?」
「そうだよ」
「なにか悪いことしたの?」
「なにも。ただ歩くと人だかりができて、通行の邪魔になるそうだ」
「ああ、なるほど」
歓迎会で、オーランドに話しかけようとたくさんの学院生が集まっていたことをクリスティンは思い出し、納得してしまう。
さあ乗ってと促されて、オーランドの手を取り乗り込んだクリスティンは座面の柔らかさにも驚いた。
ウィーラーと一緒に移動した時に乗った幌馬車は、木でできた硬い座面であり、とても硬かった。
平民が利用する馬車とは比べものにならない柔らかい座面を二度押して、クリスティンは恐る恐る座った。まるでソファのような座り心地である。
オーランドも乗り込み、二人は並んで座った。
御者が扉を閉めると、馬車はすぐに走り出した。
座面を撫でながら、クリスティンは話す。
「おいちゃんが、王家の方だってあらためて実感しちゃった。私、いつもの調子で、おいちゃんと呼んでいてもいいのかしら。人前に出た時ぐらい、やっぱり『オーランド殿下』と呼ばないとおかしいわよね」
「そんなことはないさ。他人行儀に呼ばれたら、俺の方が悲しくて、やりきれない」
「今まではそう言われたから、そうかなって思っていられたけど……。場をわきまえた方が良い時は、オーランド殿下か王弟殿下と呼びたいわ。そうしないと、周りをびっくりさせてしまうでしょう」
「俺が許しているのに」
「んっ~。そう言われると辛いわ」
「公の場では、クリスティンの判断に任せるよ。二人でいる時は、いつも通りにしてくれないと、俺が寂しい」
「変なの。呼び方ぐらいで」
話しているうちに、馬車は屋敷に到着した。
オーランドに案内され、クリスティンは屋敷に入る。
ロロやラッセルと遊ぶときはいつも庭先であり、食事もロジャー一家が住む屋敷の隣にある小ぶりな平屋で食べていたので、屋敷内に足を踏み入れるのは初めてであった。
馬車と御者は王から借りており、滞在期間は厩舎の馬房に馬を入れ、泊まり込む御者が馬車と馬を管理することになっているそうだ。普段は厩舎は空であり、馬丁もいない。
ロジャーが出てきて、「お帰りなさいませ、旦那様」と挨拶する。隣にいるクリスティンにも「ようこそいらっしゃいました」とほほ笑んだ。
やはりオーランドを挟むとよそよそしい対応になり、クリスティンは少し寂しく感じた。
「まず部屋を見せよう」
オーランドに連れられ階段を上がったクリスティンはある扉の前まで案内された。
「この部屋だ。俺が開くか? それとも、自分で開けるか?」
「私が開けるわ」
両開きの扉についている取っ手を持ち、ぐっと押す。思ったより軽い扉が、左右に割れるように開いた。
少し開いたところで、クリスティンの手が止まる。
隙間から見える部屋は、全体的に白く、窓にレースのカーテンがゆれ、淡いベージュのカーテンが左右に結ばれている。焦げ茶のふかふかの絨毯が床全体に敷かれていた。
木製の床ではない。カーテンも分厚い布地一枚じゃない。壁だって花模様の白い壁紙が張られている。
(うそ、ここ、ちょっと……、豪華すぎない!)
動けないでいると、オーランドが片方の扉に手をかけた。見上げると目が合う。
「びっくりしたのか」
「だって……、この部屋。すごすぎない」
「そうか?」
これぐらい普通だろうという調子で、オーランドは片方の扉を開いた。
露になった部屋の全貌に、クリスティンは声も出ない。へたり込みそうになりながら、オーランドの腕を掴んだ。
天蓋付きのベッド。
猫足の二人掛けのテーブル席。
暖炉とその前に二つ並ぶ一人掛けのソファ。
もちろん、机もあれば壁一面を飾る本棚まである。
奥には扉があり、別の部屋にも通じているようだ。
とにかく、いくつもの家具が置かれていてなお広いと感じる部屋である。
(こんなにだだっ広いうえに、家具も豪華で、天蓋付きのベッドなんて!
どこのお姫様の部屋なのよ!!)
クリスティンは、想像以上にお金のかけられた設えにただただ驚くばかりだった。