86:お屋敷を訪ねてみれば②
オーランドが迎えに来て、デヴィッドともども廊下に出たクリスティンは正直な気持ちを吐露した。
「歓迎会真っ最中の会場にもう一度入るのは、なんか怖いわね」
「そうか?」
「殿下は怖くないのですか」
「私は宴が始まってから会場入りすることが多いからね」
あっけらかんとデヴィッドが答える。
クリスティンははっと気づく。
「王家だから、入場が後になるのね」
「そういうこと。それに歓迎会だろ。みんなそれぞれ、踊ったり、雑談したり、お茶を飲んだり、好きにしているよ。すっと入れば、すぐに馴染めるさ」
年下ながら場慣れしたデヴィッドにクリスティンはびっくりする。
横からオーランドが口をはさんできた。
「差し当たって、クリスティンは俺と一緒にいればいい」
「おいちゃんと?」
「そうだ。クリスティンが俺の保護下にあると分かれば、デヴィッドと親しくしていても不思議ではない。そうなれば学院の風当たりも良くなり、過ごしやすくなるだろう」
「ライアンも同じことを言ってましたよ、叔父上」
「ジョン……、カスティル男爵にはいつも世話になっているからな。これぐらいしても、払いきれない恩があるんだ」
オーランドが先触れもなくふらりと現れ泊っていく。そんな様を思い出すクリスティンは小首を傾げる。ただ泊るだけで恩なんて大仰に表現するものだろうか。
クリスティンはただ単純に子どもゆえに知らない大人の関係があるのだと考えたものの、まさかそれが自身の出生にまつわることだと勘付くことはなかった。
階段を降りきり、開かれた食堂の扉が見えた。微かな音楽が流れてくる。
三人は再び会場に足を踏み入れた。
入った当初は皆、今交流している人同士の付き合いに夢中で三人に気づくことはなかった。
クリスティンはキョロキョロ見回すが、あまりの人数に、シルビアを見つけ出すことができなかった。
彼女が会場にいなことを知らないクリスティンは、人数が多すぎて見つけられないと結論付け、来週会ったら、急にいなくなったことを謝ろうと考えた。
少しづつ三人に周囲の人々が気づき始める。
デヴィッドは慣れたもので、声をかけられれば、穏やかに応じ、幼少期より躾けられた振る舞いで難なく挨拶をこなしていく。
方やクリスティンの方が周囲の反応に慣れず、傍に立つオーランドがクリスティンの代わりに対応することもしばしばだった。
入れ替わり立ち代わり挨拶をこなしていくうちに、一言でもオーランドと言葉を交わしたい学院生に囲まれる状況になっていた。
オーランドが迎えに来てデヴィッドとクリスティンを見送ったライアンはシルビアがいる元の部屋へ移動した。
合流したネイサンと話し合い、シルビアの処遇や、オーランドのために子爵に先触れを出すなどの手配を準備する。
最後まで関わろうとするライアンに、ネイサンが言った。
「お前はまだ学院生で、生徒会長でもあるんだ。もう会場に戻った方が良い。後のことは俺が引き継ぐ」
渋るライアンをネイサンは部屋から追い出した。
仕方なくライアンが遅れて会場入りすると、クリスティンとオーランドの周りには人だかりができていた。
デヴィッドも少し離れたところで、学院生と歓談をしている。
(よかった。少し計画はぶれたものの、ほぼ当初の予定通り進んでいるな)
ほっとしたところで、目に飛び込んできたのはオーランドの表情だった。
今まで見たこともないような、穏やかな顔付きで受け答えし、笑顔さえ見せる。そのあり様に仰天した。
ライアンもまた、こんなにも愛想よく笑うオーランドを生まれて初めて見たのだった。
歓迎会は三時間に及び、再び中央に円形の壇が運ばれ、マージェリーの挨拶をもって閉会となった。
オーランドが残っていては、なかなか人が動かない。
ライアンに導かれ、クリスティンはオーランドとデヴィッドと一緒に会場を後にした。
階段をあがり、生徒会室に入る。
そこにはソファ席もありゆっくりできる。
座るように促したライアンがお茶を淹れ、三人にふるまった。
「色々あったが、上手くまとまって良かったな」
ライアンも座り、お茶を一口飲んだデヴィッドがはっと顔をあげた。
「ライアン。大事なことを思い出した」
「なんだ」
「クリスティンの教科書がなくなったんだ」
暴露されて、クリスティンの心臓がドキリと跳ねた。
「どういうことだ」
「殿下、それは!」
「噂が広まる間にクリスティンの教科書が燃やされてしまったんだ。それを用意する方法はないだろうか」
ライアンは顔を背け、苦々しい表情になる。
それを見たクリスティンは慌てて言った。
「教科書ぐらい、後で買います。噂と関係があるかどうかも分からないもの」
ライアンは平手を二人に向ける。
「……、いやいい。分かった。それはこちらで用意しよう。そもそも配布分は少し多めに用意されているはずだ」
「でも、早々に受け取ったらまた……」
懸念を示すクリスティンにライアンは首を横に振った。
「もうそんなことは起きない。噂は消える。その件も、無かったことになるだろう。心配なら生徒会室で保管しておけばいい」
「名案だライアン。科に別れる授業が始まるまで、ここに置いておけばいいよ。クリスティン、なにせ私たちもここに来る理由がある」
「それとも、クリスティンはもっと、こう、そうだな。犯人をあぶりだしたいという意向はあるか。報復したいという意思はあるか」
真剣にライアンに問われ、クリスティンは困惑する。教科書がなくなり困ったり、悔しかったりしたが、報復したいかと言われて、そうだとまでは言えなかった。
この問いは、ライアンにとって、クリスティンではなく、オーランドに投げかける意図を持っていた。
オーランドは静かに子どものやり取りに耳を傾け、カップに口をつけている。変化は見られなかった。
「犯人捜しより、またなくなってしまうのが不安です」
「オーランド様が出てきたからには嫌がらせはなくなるだろう。その心配はない」
「なら用意してもらえますか。実は出費になるし、困っていました。保管も授業が始まるまで、お願いします」
ぺこりとクリスティンが頭を下げて、話はまとまった。
クリスティンとデヴィッドを中心に他愛無い会話で盛り上がっていると、トレイシーがマージェリーを連れてきた。
学院生は帰ったと報告しにきたのだ。
現場を任されているトレイシーは、マージェリーを置いて取って返す。
残されたマージェリーが動きようが無く、立ち呆ける。ライアンがデヴィッドの腕を取り、立たせた。そのまま、引っ張ってマージェリーの前に押し出した。
二人は気まずい顔で、床を見つめる。
クリスティンは、見てはいけないものを目撃してしまう心境になり、うわっという声ない表情に変わる。
「帰るか」
素っ気ない声で呟くオーランドが立ち上がる。クリスティンもつられて立った。
「ライアン、俺たちは先に戻るぞ」
「おいちゃん……」
オーランドはクリスティンの肩を押し、歩き出す。押されたクリスティンも足が勝手に動いた。
マージェリーとデヴィッドは正面で向かい合ったまま、顔を背け、微動だにしない。
マージェリーの顔をちらりと見たデヴィッドは不貞腐れたような顔をしている。隠しきれない、気まずいという感情が現れていた。謝れと言わんばかりに、ライアンがデヴィッドを小突いた。
オーランドとクリスティンが部屋を出る時、やっとデヴィッドが「悪かった」とか細い声で謝った。