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9:秘密を共有する男たち①

「……」


 ぐったりとするリディアと、両手足を動かしながら、真っ赤な顔をぐちゃぐちゃにして泣いている赤子をオーランドはしばし呆然と眺めていた。


「……、うぎゃっ!」


 奇声をあげ、忽然と気づく。


(このままでは息を吹き返した赤子だって危ういじゃないか)


 おろおろして、左右を見ても誰もいない。

 赤子の声だけが室内に響き渡る。


(どうする、どうする)


 もたもたしてても赤子は泣き止まない。

 誰かを呼んでこようにも、赤子から目を離してはいけない気がした。

 

 オーランドは意を決し、どうやって抱いたらいいかも分からない赤子に手を伸ばした。

 赤子の体にかかっている布地がめくれている。露になった胸を上下に動かし、赤子はひたすらに泣いている。

 

 恐る恐る触れる。

 半裸の赤子のわきに手を添え、持ち上げようとすると、くたりと首がまがった。


「ひいっ!」


 瘴気や魔物を追い払っている英雄も、生まれたての赤子の前では棒切れのように役立たずだ。 

 息を呑み、震えながら、おっかなびっくり片手のひらを赤子の背に滑り込ませ、背中から頭までを支えてみる。

 恐々(こわごわ)持ち上げる様は、滑稽で、ぶかっこう。


 両腕を伸ばし、フラフラになりながら、部屋の扉へと向かう。

 

 扉の前に来て、両手がふさがっている状態では開けれないことに気づき、青ざめた。

 

 仕方なく、オーランドは扉を蹴った。どんどんと闇雲に打つ。


「誰か、誰か、来てくれ! 頼む、助けてくれ!!」


 英雄や剣豪ともてはやされる男が、情けなくも悲鳴を上げる。


 しばらく待つものの、返事がない。手のなかの赤ん坊はか細い声で泣き続ける。


 もぞもぞとする動きに、途方に暮れかけた時だった。


 扉があいた。


 きいと開く扉に合わせて、数歩下がる。


 現れた男爵と目が合った。周囲にはさっき部屋から去った全員が勢ぞろいし、覗き見ている。


「ジョン、どうしたらいい。俺、これ、無理……」


 狼狽するオーランドの手のなかで、もぞもぞする物体を捉えた全員の目が見開かれ、口がまん丸い形を作ると、これまた全員一斉に、叫んだ。


「赤子が動いている!!」


 産婆が赤子に手を伸ばす。

 オーランドは迷わず、産婆に赤子を渡した。


「赤子を頼む。俺はなにもできない」


 頷く産婆とメイドがばたばたと別部屋へと移動していく。

 その間も、赤子の泣き声が廊下へ響き渡った。


「信じられない」


 男爵がぽつりとこぼし、はっとした。


「リディア様はどうされましたか」

「彼女は寝ている。悪いんだが、今日はこのまま、この部屋で休ませてもらいたい」

「はい、それはかまいません」

「俺も一緒にこの部屋でいいか」

「もちろんです、殿下」


 男爵の了解を得て、オーランドはネイサンに顔を向ける。

 なにかひっかかるという表情をしているネイサン。無理もない、道中リディアはいつも一人部屋に泊らせていたのに、ここにきて二人同室というのだから。


「少し、二人で話がしたい。いいか」

「分かった」

 

 違和感を悟られないように同意するネイサンから目を逸らし、オーランドは再び男爵に話しかけた。


「悪いんだが、ジャン。ネイサンには一人部屋を用意してほしい。話が終わったら案内してくれ」

「分かりました、部屋は用意してますのでご安心ください。この部屋も散らかっていますが、片づけますか」

「いや、このまま休ませてもらいたい」

「分かりました。では、片づけは明日にでも」

「あと、明日は日の出前に出たい。馬の用意も頼みたい」

「お安い御用ですよ」

「すまない、ありがとう」

「いいえ、いいえ。こちらこそ、ありがとうございます。なんとお礼を言っていいか」

「いや、いい……、そうだ。名前!」

「名前?」

「ああ、リディアが名づけ親になりたいと言っていたんだ」

「それは、それは。子どもを助けていただいた方に名付けていただけるなんて光栄です」

「女の子の名は、クリスティン。クリスティンと名付けてほしい」

「クリスティン、ですね。分かりました」


 男爵はその名を感慨深げに繰り返し呟いた。


 ネイサンが奥のリディアの様子を気にかけているのに気づき、オーランドが入るように促す。

 ネイサンが出てきた時のために人を廊下に待たせておくと約束し、産婆たちが待つ別部屋へと男爵は小走りに去っていった。


 部屋に入ったネイサンは椅子を運び、ベッドの傍に座った。

 扉を閉めたオーランドはベッドの際に座る。


 リディアはまるで寝ているかのように穏やかな顔つきだった。


「リディアは死んだ。赤ん坊に魂を譲り渡したそうだ」

「えっ」


 オーランドの唐突な切り出しに、ネイサンは目を白黒させて戸惑う。


「彼女の望みは、生き返った赤子に名前を付けることと、鬼哭の森の奥に墓を作ってほしいということだ。早朝、ジョンにはリディアが死んだことを告げずに出たい」

「待ってくれ、オーランド。話がまったく見えないんだ。リディアは赤子を助けたんじゃないのか」

「助けた。

 自分の魂を赤子に移し替えることで」


 息を呑んだネイサンは座り直し、底光る目を向ける。


「なにがあったか詳しく話してもらえるか」


 オーランドはネイサンにリディアと二人きりになってからの出来事と会話をかいつまんで説明した。

 ネイサンも、リディアの心音が聞こえないこと、息をしていないこと、脈を打っていないことを確認し、現実を受け入れた。


 オーランドがリディアを殺さずにすんだ以外、良いことは一つもない。


 二人は、明日、リディアの墓をつくりに鬼哭の森の奥へ行くことを確認し合った。

 早朝の出立時、城内の誰にも知られずに出た方が良いだろうと提案したネイサンは、男爵とうまく話しておくと部屋を出て行った。


 残されたオーランドは、寝かせているリディアの足を曲げ、はぎ取ったシーツでくるみ始めた。

 ここから森の奥までは、野宿をして二日三日はかかる。その間、リディアを荷物のように馬に括り付けて、運ぶ気にはなれなかった。 

 

 目を閉じているリディアは綺麗な顔をしている。まだ暖かく、目覚めても驚かないぐらいだ。


 しかし、現実は、心音もなく、呼吸音もない。

 

 小さく丸めた彼女の傍らにオーランドは横になった。顔にかかる髪を指先で払う。


 こちらを向いて微笑んでくれることを期待したくなり、胸が痛んだ。


(俺はどこで間違ったのだろうか)


 貴族学院の園庭にあるガゼボで出会った時か。

 はたまた、リディアが兄の婚約者に選ばれた者だったと知らされ、諦めた時か。

 友達である方が、良い関係が続くと心と宥めた時か。


 リディアが魅了の魔女になった運命にはなにも関わらない。

 あげつらえた記憶はただ自分を責めたいだけの過去ばかりだ。


 悲しいはずなのに、涙一つ出ない。

 悔しいはずなのに、恨み言一つ出ない。


 感情がこと切れたように、かたりとオーランドの内なる何かが止まってしまった。

 


 

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