85:お屋敷を訪ねてみれば①
ライアンに配下宣言され、半泣きとなったクリスティンとデヴィッドは、絶叫し真っ白になっていた。
(ライアンとの関係が……、関係がぁ……)
クリスティンに至っては、ライアンとの関係がより複雑になると絶望していた。
(どうするの、私。朝はティンとして会って、平日昼間はクリスティンとして学園で関り、休日はクレスとして手合わせしてもらうわけでしょう)
あわあわするクリスティンの目の前には、冷ややかに見下すライアンがいる。
(無理、無理。三役でそ知らぬふりして、ばれないように関わるなんて、絶対に無理よ!
なんで、どこに行ってもこの人は現れるの。平民のパン屋なんて、貴族のご子息が来なくていい場所なのに~。
学院のパンだって美味しいし、公爵家にだって美味しいパンがあるでしょう。わざわざ買いに来る必要ないじゃない。せめてパン屋にだけは来ないでよ~)
ウィーラーに言われるまま、三役をこなすことにしたクリスティンは、まさかここまで面倒な事態になると思わず、泡食っていた。
隣にいるデヴィッドもデヴィッドで、クリスティンとは違う理由で、怯え切っていた。
何でも許してくれるライアンがここまで怒った姿を見たことがなく、やってはいけないことをしてしまったと今更ながらに、激しく後悔していた。
二人の悲鳴が室内からかき消え、しんとなったところで、ライアンが口角をあげた。
「嫌だ、じゃない。ここまでお前ら二人が浅はかだと思わなかったからな。そんな思考が働かないぐらい、こき使ってやる」
ふふんと得意げなライアンに、ひぃぃと二人は手を合わせたまま、声なき悲鳴をあげた。
二人して、ライアンの舎弟、下僕、子分、奴隷になるのだと涙目で自覚する。
「いいか。今回の噂話を消すために、俺がどれだけ陰で奔走していたと思っているんだ、新入生。
歓迎会の準備をしながらの雑務。
さらには、大人達とのやり取り。
これだけ、骨を折らせておいて、ごめんなさいで済むと思っているほどに甘ちゃんだとしたら……」
凄みをます声音に、デヴィッドとクリスティンは同時に生唾を飲み込んだ。
「鍛えがいがあるというものだな」
ふふふと仄暗く笑うライアンに、とうとう二人はその場にへたり込んでしまった。
許しを請うように膝をついたデヴィッドが縋るように手を伸ばす。
「ライアン、待ってくれ、私は。私は……」
「事態を悪化させようとしたデヴィッド殿下、この期に及んで言い訳ですかな」
「悪化させようなどとは……」
「思っていなくとも、やってしまったことの責任ぐらいは感じてください」
一気にライアンの声音が冷淡となり、デヴィッドは再び凍り付く。
「身勝手な独断行為はやってしまった後では遅いことだってあるんだ!
今回は、俺やオーランド様、さらにはネイサン近衛騎士団長がフォローし大事にしなかったとはいえ、大人になり、これがもっと大きな事案、それこそ国を揺るがすような事柄に対してではどうなる!
反省しろ、デヴィッド。
軽率な行為は身を滅ぼし、周囲にも飛び火し、時には断罪の火の粉を飛ばす!!」
将来を見据えて、ライアンが怒っているとわかると、途端にデヴィッドはしゅんと小さくなった。
ライアンの視線がクリスティンへと向く。
「クリスティン。
あの扇、食堂を出る時ちらりと見たぞ。魔力で風を起こしたな」
「はっ、はい」
急にふられたクリスティンは背筋をピンと伸ばし、両目を大きく見開いた。
「一般人に魔力を用いることは禁じられている。帯刀が許されていないことと一緒だ。
許されているのは、近衛騎士と衛撃騎士。治安を守るために動く者だけだ。田舎から出てきて、知らないとはいえ、あまり過ぎたら、投獄されるぞ。愚か者」
クリスティンは蒼白になった。投獄という単語に、驚きを越え、恐怖を覚えた。
「世間知らずも、過ぎれば身を亡ぼす。分かるか」
激しく上下にクリスティンは頭を振った。
ウィーラーに止められていたのは、魔石を作り出すことだと思っていたが、それ以外にも理由があったのかもしれないと思い至る。
(魔石を作ってはいけないだけじゃなくて、魔力も使っちゃいけないなんて、知らない知らない。ああ、もう、なんで先生、教えてくれないの~。
あれで遠回しに説明したと思っていたのかなぁ。
私、ロイと違って、察しが悪いのよ。あれですべて理解するなんて、無理、無理!)
クリスティンは嘆くものの、もし本当に魔力を使ってはいけないと言うなら、ウィーラーも直接注意していただろうし、マージェリーを助けるために公道で動いた時も止めていたことだろう。
止めなかったのは、魔力を使用しても、一般人がそれを魔力と認識する可能性が低いからだ。自然界の現象をあれだけ自由に操れる認識は一般人にはない。高度な魔力を行使される瞬間など、生涯見る機会がないのが普通なのだ。
さらに、オーランドという後ろ盾がおり、ネイサン近衛騎士団長が傍にいるクリスティンの背景を正しく計れば、少々魔力を行使し、一時掴まっても、すぐに不問にされることが目に見えていた。
ライアンに睨まれ、怯える状況下において、どこまでお膳立てされていたかなど、クリスティンは気づきようもない。
「あの……、私たち、これから、どうなるのでしょうか」
恐々と尋ねるクリスティンに、十分に言いたいことを言いきったライアンは清々しい表情で天井を見て、顎に手を当てた。少し何か思案したようで、間が空く。
「詳しいことは週明けだな。
昼時にでも生徒会室に来い。あと放課後な」
いや、そういうわけじゃなくて……と言おうとしてクリスティンはやめた。
聞きたかったのは、今日これからどうしたらいいのかということだった。
一緒にいたシルビアに何も言わずに会場を去っている。心配していないかと気になっていた。
「私たちは新入生歓迎会には顔を出さず、帰ろうか」
ぽつりとデヴィッドが呟く。
「ああ、それは少し待て。
これからオーランド様が来る」
「叔父上が?」
「二人を連れて、会場に顔を出す予定だ」
なんでまたという顔でデヴィッドとクリスティンは両目をくりんと瞬かせた。
まるで子犬のようなとぼけた顔に、ライアンは笑いそうになり、堪えた。
「二人は目立つからな。どうせ悪目立ちするなら、オーランド様を引きつれて、いいだけ目立っておけ。
クリスティンがデヴィッドと一緒にいたのも、オーランド様経由の繋がりと周囲に認識させておけば、その話でもちきりになり、過去の噂なんてすぐに忘れ去られるさ」
元々はそのためにオーランドを呼んだのだ。
クリスティンの後ろ盾は誰か、しっかしと周囲に認識させるために。
そうすれば、クリスティンがデヴィッドと一緒にいても誰もなにも言わなくなる。
当初はデヴィッドとオーランドに、クリスティンの三人が仲睦まじく会話をする姿を見せ、トレイシーやマージェリーがフォローしながら周囲を巻き込み、いい方へと向かわせるつもりだった。
その間に、ライアンがシルビアを連れ出し、問いただしたうえで、処罰する予定であったのだ。
(まったく何が起こるかわかったもんじゃないよな。念のため、二部屋用意しておいて良かったよ)
ライアンは内心胸を撫でおろす。
予想外の事態となったものの、それなりにまるくおさまったのは不幸中の幸いだ。
程なく、部屋にオーランドが顔を出し、クリスティンとデヴィッドを連れて会場へと戻っていった。