84:後始末④
部屋を出たライアンは歩いてくるオーランドを見つけ、駆け寄った。
「オーランド殿下、二人は大丈夫でしたか?」
「大丈夫だ。指定された部屋にデヴィッドとクリスティンを置いてきた」
「ありがとうございます。こちらの部屋にはシルビアがいます。首謀者だと彼女も認めました。理由は理由なんですが……」
ライアンは複雑な表情で口元を引き締める。
「二人はどうしますか? このまま帰しますか、それとも会場に戻りますか」
「もう一度、顔を出した方が良いなら出すが、どうだろうか」
「そうですね。駄目押しで挨拶してもらった方が、クリスティンにはいいかもしれないです」
オーランドが頷く。
肯定と受け取ったライアンは「では、二人を足止めしておきます。失礼します」と横を通り過ぎ、駆け足で去っていく。
オーランドはライアンの背を視線で追う。
(俺が十八の頃よりずっと落ち着いているな。俺なんか、十八から二十歳まで英雄になるのは簡単だと思いあがっていたものだが……)
オーランドは、幼少期から道をそれることなく生きてきた。
兄が王になり、リディアが王妃になり、オーランドがスタージェス公爵になり、つつがなく国を治めていくという定められた道を、ライアンよりずっと軽い調子で当たり前に受け止め、生きていた。
ジャレッドも王太子として理想的であり、今のデヴィッドと大差ない優秀さを見せた。飛び級はしなかったものの、常に同年代ではなにもかも突出した成績を収めていたのだ。
ジャレッドもオーランドも大きな失敗なく大人になった。
そして、大人になり二人は間違えた。
今になってもオーランドはふと考える時がある。
過ちを回避できる岐路はあっただろうか、と。
ジャレッドがリディアの秘密を察し、隠そうとした時か。
オーランドが彼女を諦めようと決めた時か。
はたまた、産まれた時からか。
大人達からリディアを隠したジャレッドは、途中までうまくいくほどには知恵があったものの、画策虚しく、リディアの存在はスタージェス公爵に知られ、最悪の結果につながった。
同じ王族のデヴィッドも、このままそつなく大人になれば、父であるジャレッドやオーランドのように取り返しのつかない過ちへと道を踏み外すかもしれない。
もっと早いうちに小さな過ちを経験していれば別の道もあったかもしれないと悔いる夜をいくつも超えてきてきたオーランドだからこそ、デヴィッドの愚かさが少し羨ましかった。
(俺たちも、同じような年齢で、痛い目を見るか、大人ぶらず、もっと子供らしい主張をしておけばよかったのかもしれない……)
ジャレッドにリディアを譲ってほしいと嘆願すればよかったのだ。そうすれば、まだ、彼女には生きる道が残されていた。
悔いても詮無いことだ。
方や、ライアンの双眸はまぶしいばかりだ。与えられた道を辿るように生きているのに、彼はぶれる予感をさせない泰然とした雰囲気を醸す。
風に流れる流麗な枝葉、はたまた、水のような柔軟性、そんな気質を備えており、どんな道にでも、外れることがなく適応していく安心感を覚える。
(生まれもって、まるで大人のようだ)
デヴィッド以上にライアンは多くのことを背負っているというのに……。
オーランドと同列の第二王位継承権保有。年齢や立場上、ライアンの方が若干オーランドより上にいる。
ネイサンに次ぐ次期スタージェス公爵候補。
さらにはデヴィッドのお守り役から、オーランドの意向でクリスティンの様子見役も負っている。
鬼哭の森から瘴気が垂れこめ続けている現状、オーランドに次ぐ聖騎士としても期待されていた。
生い立ちだとて完璧に恵まれているわけではない。彼は、記憶も残らない幼少期に母を亡くし、生母との記憶がないのだ。
ネイサンに魔力の手ほどきを受け、義母に育てられている現状を見れば、ライアンこそ、ねじ曲がって育ってもおかしくない境遇だろう。
なのに彼は、とても真っ直ぐに育っている。
(ネイサンがいたからか)
オーランドは腐れ縁の親友が、ことのほかライアンを可愛がっていることをよく知っており、なにが違うと言えば、それぐらいしか思いつかなかった。
ライアンがクリスティンたちがいる部屋の扉に手をかけたのを見て、オーランドもまた、ネイサンとシルビアという少女がいる部屋に向かった。
部屋に入ると、中央の椅子に座らされたシルビアと、そのすぐ横に立つネイサンがいた。
「よう」
いつもの軽い調子でネイサンが手をあげる。
シルビアは少し怯えた顔をした。
「ライアンが見つけた通りだったのか」
「そうだな。少々、事情があるようだが、聞くか?」
「聞こう」
しゃべりながら近づいたオーランドは、ライアンが立っていた同じ立ち位置で、シルビアを見下ろした。
ぶるっと震えたシルビアはうつむいた。
ネイサンはシルビアが部屋に連れられてきてからのやり取りをかいつまんで説明した。
一通り聞いたオーランドは顎を撫でながら、俯くシルビアの頭部を見た。
「結論から告げる。
クリスティンはおまえを友達だと思っている」
隣のネイサンはなにを言い出すと渋い顔をする。突拍子もない方向に話が進みそうな予感に胃がキリリと痛んだ。
「おまえはうそつきだ。
ならその嘘をつき通せ。
クリスティンがおまえを友達を思うなら、それを現実にする嘘をつき通すんだ」
意味が分からないと、みるみるシルビアの表情が変わる。
ネイサンは片手を顔に当てて、顎を引いた。
「クリスティンが信じている世界が俺のすべてだ。
クリスティンがおまえを友達というなら、お前は友達であり続けろ」
答えようがなくシルビアは口をはくはく動かす。声も出ないほど、理解が及ばないと言った様を見て、ネイサンが口を挟んだ。
「オーランド……。理屈が通っていないぞ。この場合、彼女からして見たら、謹慎や退学、停学といった具体的な罰を受けると思っているはずだ。家族も含め咎められることさえ覚悟していたかもしれないんだぞ。
それがなんだ。
クリスティンが友達と信じているなら、友達であり続けろ。
そう言うのか。しかも、それだけか」
「そうだ」
オーランドの即答に、ネイサンは顔に添えた手を降ろした。
「オーランド……。お前に道理はないのか」
「道理? あるだろ」
「法は無視か」
「法? なにを言っている。それこそ意味が分からん」
「いやいやいや。お前の方がよっぽど分からん」
「クリスティンが信じているものがすべてだ。俺は彼女が信じている世界を支えるだけだ。それが保護者というものだろう」
ここまで言われては、開いた口もふさがらないし、違うと叫ぶ気にもなれなかった。
(こいつの基準は狂っている)
喉まで出かかった台詞をネイサンは飲み込んだ。
「おっ、オーランド様は私を許されるのですか」
耐えきれなくなったシルビアが震える声で問うた。
オーランドは無感情な目で首を傾いだ。
「いや、許さん」
ますますシルビアは意味が分からなくなる。
ネイサンは、重々しくため息をついた。
「もう、いい。オーランド。お前は引っ込め。俺が差配する。
お嬢ちゃん、君は謹慎。表向きは体調不良で一週間、自宅療養だ」
「私は寮生です」
「なら寮の部屋から出ないように」
「はい」
それななら納得できると、シルビアもほっとした表情に変わる。
「自領の件だが、まずこれは間違いないことだからな。
土壌に流れ込んだ汚水の影響は、人体に問題を起さない。重ねて言う。これは確実だ。故に、流産は自然現象だ。
そうじゃなければ、あのカスティル男爵に子どもが六人も七人も生まれるわけがないからな。そうだろ、オーランド」
「当たり前だ」
「……わかりました」
「魔石や衛撃騎士団の人員を割けない以上、土壌の汚染は自然に任せるしか……」
「それは俺がやろう」
「オーランド何を言う!」
言葉を遮り、とんでもない発言を繰り返すオーランドにネイサンは素っ頓狂な声をあげる。
シルビアに至っては、目が点になっていた。
「土壌の汚染は俺が何とかする。休み明けにでもすぐに向かう。それから、お前の友人に悪影響がないかも見てやろう。なんの影響もないだろうがな」
がまんならないとばかりにネイサンは叫ぶ。
「クリスティンの友達でいろと言ったり、許さないと言ったうえで、土壌汚染の浄化に向かう? なにを考えているんだ、お前は!」
「土壌汚染を取り除く代わりに、クリスティンを裏切るな、とくぎをさすつもりだが。娘の友人はそのついでだな。汚染除去となれば、子爵とも話す必要がある。ちょうど行くんだ、もののついででいいだろう」
「一週間の謹慎も不要か?」
「その辺はネイサンにまかす」
「いやいや、そここそ任せるところじゃないだろう。
罰を与えることが、一番重要じゃないのか」
「一番重要? クリスティンの気持ちが一番だろう」
「ああぁ。俺が間違っていた。お前に聞いた俺が間違っていたよ」
「騒がしい男だな」
「お前のせいだ、お前の!」
シルビアは二人の珍妙なやり取りを呆然と眺めていた。
その視線に気づいたネイサンが、なさけないやりとりを自覚し、咳ばらいをした。
「だから、あれだ。
お嬢ちゃんは、今日から一週間謹慎。寮の部屋から出ないこと。
その間に、オーランドが領地の浄化に向かい、お嬢ちゃんの友達の身体に汚染の影響がないか確認する。
そして、土壌をきれいにしたら、その恩に報い、これから先はけっしてクリスティンを裏切らないこと。
今も友達とクリスティンが信じているなら、その信じている世界を壊す真似は決してしてはいけない」
ネイサンが並べた条件に、シルビアはみるみる泣きそうな顔になった。
「はい、その恩情に応えられるように、精一杯尽くさせていただきます」
そう呟き、涙をこぼした。
ネイサンははあと情けない顔で息を吐き、オーランドを睨んだ。
「これでいいんだろう、これで」
頷くオーランドに、ネイサンはあからさまに呆れ切った顔を見せた。
そんな牽制など、オーランドにはなんの影響もないというのに。