83:後始末③
(子どもが死んでいる?)
これにはぴくりとネイサンも反応した。
子爵家の汚染状況では、作物は育ちにくくなるものの、僅かには育つ。さらに作物が奇形になったとしても、見た目が悪いだけで食べても人体に影響が出ないとされている。
ネイサンの反応に気づかず、ライアンはシルビアと話を続ける。
「そんな報告はあがっていない」
「あがらないわ。だって、関係ないと捨て置かれたもの」
そうだろうと傍で聞くネイサンも納得する。
ライアンも怪訝な表情を浮かべた。
「あの汚染は人体に影響が出ないとされている」
「でも、亡くなったわ。これは本当、本当なのよ」
シルビアは髪を振り乱して、叫んだ。
「屋敷で働いていたメイドの嫁ぎ先だったの。小さい頃から親しくしている子で、工場の排水が流れていた時期に流産したのよ。子どもができたと嬉しそうな手紙が来て、音沙汰がなくなって。
結局、それ以降子どもができなくて、彼女はうちに戻ってきたの。離婚されたのよ。汚水の影響でもう子どもはできないと決めつけられてね。
なにもなければ、彼女は幸せになれてたかもしれないのに。あの汚水のせいで狂ったのよ。私の前では笑っているけど、陰でひっそり泣いているのは知っているのよ。私は知っているの!」
両目に涙をためるシルビアが語る内容に、ライアンはなにも言えなくなる。子どもだ、流産だ、離婚だとなれば、十代の彼には手が余る話だった。
壁を背にしていたネイサンが動き出す。
流産も離婚も汚水問題とは関係がないと冷静に整理していた。彼女は、身近な人の不幸を状況のせいにしているだけにすぎない。
間違った事であっても、根拠のない因果関係を信じて、訂正できないまま来てしまっただけだろう。
言い返せずにいるライアンに、シルビアは続ける。
「ずっとウルフォード公爵家とともに歩んできたわ。慈善が家訓であることはよく知っているもの。
鬼哭の森の瘴気が濃くなってきて周辺地域に手を差し伸べているのは知っているの。
でも、うちはどう。
おざなりじゃない。
どうしたって、後回しでしょ。違う? そうでしょう」
後回しではない。その件は終わっているというのが、元からのライアンの認識だった。
領地の問題をたてにされても、関係ないと切り捨てるつもりだったライアンだが、子どもを出されては言い捨てられなくなる。
特に流産という言葉が頭に響きわたる。
反響するごとに得も言われぬ不快感を覚えていた。
子どもが死ぬというのは嫌な響きだと頭では分かっていた。だが現実に突きつけられるとなると、こんなにも不愉快としか言い表せない感情が芽生えるものかと愕然とする。
動揺するライアンは、上の空のままシルビアに問うていた。
「離縁された娘はまだ生きているのか」
「もちろんよ! 生きているわよ! 死んでいたらこんなものじゃすまないわよ!!」
激怒するシルビアから罵声を受けてても、ライアンはなぜかほっとしていた。
子どもが死んで、それを理由に母まで死ぬ。それが受け入れがたかったのかもしれない。
なぜこんなにも動揺しているのか、動機が激しくなっているのか、理解しえない感情にのまれる身体反応に狼狽していた。
物心つく前に、母を亡くし、実母の記憶がないからかもしれない。
形成が逆転したかに見えたことでシルビアが何か言おうとした時だった。
二人の横にネイサンが立った。
「落ち着こうか、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんを裁くのは俺たちじゃないんだ」
なりふり構わなくなったシルビアは、相手が近衛騎士団長と分かっていても、睨み返す。
ネイサンはわざと身震いして見せた。怖がっているようにふざけながら、ライアンに片手のひらを見せ、俺に任せろと意思を示す。
「怒るな、怒るな。流産は悲しい。それは分かる。離縁も辛いことだ」
「分かったようなことを言わないでよ」
ネイサンはしゃがみ込んだ。椅子に座るシルビアを覗き込むように座った。
「分かったようなことしか言えないんだよ、お嬢ちゃん。何を言っても、死んだ者は帰ってこないだろ。時間は巻き戻らない」
生き返らないと言おうとしてネイサンはやめた。息を吹き返し、生きているクリスティンがいる。
「分かっているんだろ。分かっていて、怒っているんだろ。目の前でマージェリーが誰かを労ったり、助けたりしている様を見れば見る程、どうして私を助けてくれなかったのと思って、やりきれなくなっていったんだろ」
シルビアは言葉を飲み込んだ。図星を突かれても、その通りだと簡単に肯定したくなかった。
「マージェリーを恨むのはあれだ。
彼女が人に優しくするたびに、誰も助けてくれない可哀そうな友達が頭を過るからだな。
その原因が、権力者にごり押しされた件が発端だから、そのせいだと思い込んだ。誰かのせいにすると楽になるもんな。自分への怒りの矛先も背けられる」
「……」
「悪いが、それは逆恨みだ。
あれは人体には影響がない。作物は水や土を直接吸い込むから実りや形はどうしようもなくてもな。食べれるんだよ、あれぐらい。
国も補償しているだろう。
捨て置かれたんじゃない。今は人員を割けないんだ。あそこはまだ魔物が出ない地域だろ」
「まだ、恵まれていると言いたいの」
「そうじゃない。
ただお友達だって、お嬢ちゃんに仇をうってほしいなんて頼んでないだろ。悲しい気持ちを堪えている横顔を見せるぐらいはしていてもな。
これはお嬢ちゃんが自分を許せなくて、自分に腹を立ててやってしまったことだ。違うか?
ただ何もできなかった自分が許せなくて、当たり散らした結果なんじゃないのか」
シルビアは顔を背けて、目をぎゅっと閉じた。
それでは肯定したようなものである。
ネイサンは立ち上がり、ライアンに顔を向ける。
「ここから先は、オーランドが断ずる」
「しかし……」
「気にするな。ライアン、お前には負担ばかりかけるな」
「いいや、そんなことは……」
「デヴィッドが反発したくなるように、お前だって反発したくなってもおかしくないことを背負っているだろう。無理はするなよ」
「頼み事ばかりする大人が多すぎなんですよ」
シルビアの件をネイサンに預け、気持ちが軽くなったライアンがおどけた。
「俺は、向こうに行きます。そろそろ来ているかもしれない」
「頼む。学院内のことは、ライアンにしか頼めないからな」
「大人はそればかりだ。俺にしか頼めないという言葉が、子どもが使う、一生のお願いみたいに聞こえますよ」
「違いない。頼りない大人達で悪いな、ライアン」
呆れ顔のライアンが部屋を出ていく。
程なく、入れ替わるように、オーランドが部屋に入ってきた。