79:新入生歓迎会③
クリスティンはゆっくりと立ち上がった。
風はまだ渦を巻き、天井には火花がチカチカと風に煽られ舞い続けていた。それはまるで、星空を再現したかのような煌めきを放ち、会場中を魅了する。
クリスティンは一歩踏みだし、マージェリーを見つめた。
「マージョリー様。私は男爵家の者です。殿下や公爵家の方にたてつく気は毛頭ございません。
噂の出所がマージョリー様ではないことぐらい、とっくに分かっております」
クリスティンの迷いない姿勢にマージョリーは驚くばかりだった。
「クリスティン、いいところに来た」
嬉々とした声をかぶせてきたデヴィッドが、クリスティンの背後に駆け寄る。
「私はマージョリーと婚約を破棄して、噂通り、クリスティンを……」
振り向いたクリスティンは水平に腕を薙ぐ。
デヴィッドが言いきる前に、喉元に開いた扇子の先端を突きつけた。扇の先端が当たるかという直前で、デヴィッドは動きを止める。
眼光鋭くデヴィッドを一睨みしたクリスティンは、背後のマージョリーへと流し目を向ける。
「マージョリー様。私は、あなたの想い人を奪う気は毛頭ございません」
想い人、という単語に、デヴィッドがぴくりと反応する。
「クリスティン、何を言っている! 私のことなど……」
「殿下!」
クリスティンはデヴィッドを一喝した。その鋭い声音は、近しい誰かを彷彿とさせ、デヴィッドの身体を震わせる。
「殿下はまだ年端もいかない、成長途上。マージョリー様の良さも分からないお子様です。
田舎の男爵家の娘など、あなたの力になるわけがないのです。
それさえ分からず、マージョリー様を裁こうとするなど、あってはならないことです。
そのような短慮な行為を、黙って見過ごせるほど、私も優しくはございません」
デヴィッドの喉元につきつけた扇子を微動だにさせず、クリスティンは言い放つ。
会場を躍る風の勢いが落ち、火花の煌めきも薄れていく。力を失た火花は空中で溶け消えた。
その幻想的な光景に、会場中からため息が漏れた。
クリスティンはデヴィッドに突きつけていた扇を右に左に水平に振った。
風が巻き起こると、突風にあおられデヴィッドがしりもちをつく。
マージョリーはクリスティンの背を凝視していた。
クリスティンが扇を高く掲げ上げた。
火花はすでに散り消え、風も止んでいる。
ここに至って、参加者はやっとクリスティンが中央に立っていることに気づいた。
扇を高らかとあげたクリスティンは、会場中の視線を集める。
頭上でひらひらと扇を揺すると、手首を軽く反り返し、斜め上から下へと振りおろした。
外に飛ばした魔力の風が一気に室内へと流れ込んできた。風は花園で拾ってきた花弁を伴い、天井付近で渦を巻く。
ぐるぐると花弁が天井で旋回する様を目視する学院生たちは、一様に息を呑んだ。
座り込むデヴィッドは天井を見上げ、動けない。
クリスティンは胸の前に扇をかざすと、パタンと閉じた。
すると天井付近で旋回していた風が急速に勢いを弱め、外から風に乗って入ってきた花弁がひらりひらりと床へ落ち始める。
会場に花吹雪が舞い散った。
会場にいた者たちはただただ落ちてくる花弁を受け止めるように天井に手のひらを向け、呆気にとられる。
パチパチパチ……。
一人が拍手をし出すと、それは会場中に広がりをみせる。風から始まって火花、花吹雪と続く一連の流れに感動した学院生たちの暖かい拍手が巻き起こった。
前を見たクリスティンは、デヴィッドの背後にある食堂の出入り口から歩いてくる人物に仰天した。
拍手をしながら近づいてくるその人物に、会場中も気づき始めると、今度はどよめきが広がった。
会場の空気が変わったことに気づいたデヴィッドがキョロキョロする。周囲の学院生が、出入り口付近を見ていると気づき、座ったまま、振り向いた。
デヴィッドの両目は見開かれる。
デヴィッドだけではない、会場中が度肝を抜かれていた。
クリスティンだけが、その存在を嬉々として迎え入れる。
扇子を片手に持ち、両手を広げたクリスティンが叫んだ。
「おいちゃん!」
拍手をしながら、悠々と歩いてくる剣豪オーランドは、クリスティンに呼ばれて破顔する。
「おお、クリスティン。よく似合っているなあ。これこそ、贈ったかいがあるというものだ」
久しぶりに会えて嬉しくなったクリスティンは、デヴィッドの横を通り過ぎ、オーランドに駆け寄った。
「おいちゃんこそ、どうしたの? 学院に来る用事でもあったの?」
「今日は学院の歓迎会だろ。その賓客として招かれたんだ。若人の門出に祝辞を述べにきただけだよ」
「へえ……、そんな仕事もしていたんだね」
「違う違う。そういう口実で、クリスティンに会いに来ただけだ」
オーランドはがばっとクリスティンを抱きしめた。
いつもなら、ふざけないでとあしらうクリスティンも、さすがに、学院で一人ぼっちの時間が長く、寂しさのあまり、抵抗を示さなかった。
二人の背後でふらふらとデヴィッドが立ち上がった。
「オーランド、まさか、このような場に……」
震える声で呟くデヴィッドの横にマージョリーが立った。
「今日の歓迎会の特別ゲストです」
いつもの厳格な顔付きに戻ったマージョリー。
愕然とデヴィッドはその横顔を見た。
マージョリーが会場に向けて声を張り上げる。
「ご多忙なオーランド王弟殿下が少ない時間を作り、私たちの歓迎会に来てくださいました」
会場中が沸き立った。
学院生誰もが、一度でいいから会ってみたいと願うほど、剣豪オーランドに憧れを抱いていた。
鬼哭の森の瘴気を打ち払い、子どもを助け、瘴気から沃土を守っている英雄と同じ空間にいるだけで、夢が叶ったと涙を浮かべるものさえいた。
オーランドはクリスティンを抱き上げた。片腕に悠々とのせられて、クリスティンは慌てて、オーランドの頭部を抱いた。高い位置から会場に集まる人々を見下ろして、気恥ずかしくなり、肩をすぼめて小さくなる。
「入学おめでとう新入生諸君」
オーランドの一声に、再び場が静まり返る。
「君たちの門出に幸あらんことを!
そして、俺が一番世話になっているカスティル男爵領の長女クリスティンをよろしく頼むな」
「おっ、おいちゃん!」
ねぎらいの言葉に自分を添えられて、クリスティンは仰天する。オーランドは気にせずに、会場に語り掛ける。
「俺はクリスティンの王都での保護者役なんだ。これからも、たまに学院行事には顔を出すだろう。よろしく頼む」
オーランドは口角をあげてにやりと笑った。
会場中にざわめきが起こり、誰もが隣の者と語りだした。ほとんどの会話内容が「あの噂はデマだったんじゃないのか」というものであった。
クリスティンの後ろ盾にオーランドが出現したことにより、その場にいる全員のクリスティンへの見方が一瞬にして百八十度変わってしまった。
会場中がどよめく中、オーランドはマージョリーに語り掛ける。
「後の進行は頼む」
「心得ております。お任せくださいませ」
マージョリーは余裕で応じる。
ついで、オーランドはデヴィッドを睨んだ。
「デヴィッド。お前はついてい来い」
クリスティンへ見せる顔とは打って変わった峻厳な顔つきにデヴィッドは戦慄する。
「返事は」
「はっ、はい」
「来い」
クリスティンを抱き上げたまま、オーランドはくるりと踵を返し、大股で出入り口に向かう。
デヴィッドは命じられたままに、オーランドを追いかけた。
三人が食堂を去っていったことを確認し、マージョリーは声を張り上げた。
「さあ、歓迎会の始まりです。歓談にダンス、食事と、楽しく過ごしましょう」