8:産声のない赤子④
静かなリディアの声に打たれ、オーランドは愕然とする。
「選民だからって、人をよみがえらせる秘儀はないわ。
でもね、魂を入れ替えるぐらいはできるかもしれないのよ。のりうつるとか、身体を奪うとか、身体を奪って操る、という感じかしら。
今回挑戦するのは、そういうののちょっと重たい感じ、なのかな?」
「と、いうことは……、その子がリディアになるのか」
「そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。
他者にのりうつることの応用だけど、聞いたことないもの」
発光するリディアがおどけて笑う。
「では、その子がリディアになったとして、ここにいるリディアはどうなるんだ」
「うーん。たぶん、私の身体から魂がなくなって、この身体はじきに死ぬ、かしらね」
「待て、それでは、まるで自殺みたいじゃないか」
狼狽したオーランドがリディアの肩を掴んだ。
「私は死ぬけど、私の魂はこの赤ん坊にうつるのよ」
「その子は、リディアの生まれ変わりになるのか」
「そうとも言えるかも。約束も断言もできないけど。うまくいかなくて、二人とも死んじゃうかもしれないのよね」
「おどけて言うことじゃないだろ!」
「おどけてでもないと、言えないわよ!」
リディアに睨まれて、オーランドはたじろぐ。
喉奥で呻くオーランドに、リディアは笑みを浮かべながら告げる。
「魂が抜けた赤子の身体に私がのりうつって、その身体を動かせられれば、あら不思議、まるで赤子が生き返ったように見えない?」
「それは、確かにそうだが……」
「なかなかいいアイディアでしょ」
「なら、その赤ん坊はリディアの記憶を引き継いだ子になるのか? 魔力は、知識は、魅了は、どうなるんだ」
「前例がないから、記憶が引き継がれるかどうか分からないのよね。私の記憶が譲られるのか、譲られないのか。魔力が受け継がれるのか、受け継がれないのか。知識や魅了も含めて、なにもかも分からないわ。
ほら、のりうつりとかって、元の肉体があって、一時的に精神を奪う感じだけど、今回のは、奪ってそのままのっとる感じでしょ。
この身体、捨てちゃうつもりだから。どうなるんだろう?」
リディアはまるで分からないという表情を浮かべる。
おどけるリディアを見つめながら、オーランドは二つの未来を天秤にかけた。
明日、鬼哭の森に行き、リディアを断首する未来と、ここで、リディアを見殺しにする未来を。
どちらを選ぼうとも、彼女が生きる道はない。比べても、結果は同じならば、比べる意味なんてないと暗澹となる。
(どうして。なんで。
なんで、リディアが生き残る道が残されていないのだ)
歯がゆくて、苦しくて、オーランドは叫びたかった。
赤子も生きて、リディアも生きる。
そんな未来を選べないのかと叫びたかった。血が出るほど、胸部をかきむしりたかった。
オーランドの手に力がこもり、リディアは肩を掴まれる痛みに目じりを歪める。それでも口元の笑みは消さなかった。
「どうせ私は殺される。
この子だって、死んでいる。
私の魔力を持って、この方法を試せば、すくなくとも赤子一人が救われるかもしれない。二人のうち、一人は奇跡的に生きていられるかもしれないのよ」
「だけど、なんでだ。
なんでリディアが生きる道がどこにもないんだ」
「そう? あなたの胸のなかには生き続けるのでは?」
「やめろ! そんな、ありきたりの言葉なんて、なんにもならない!!」
さらに手に力がこもり、リディアも誤魔化しきれなくなり、痛みで顔を歪めた。
たじろいだオーランドが手を緩めると、発光していたリディアから、突如、圧がかかる。
がんとオーランドは膝をつき、両手もついた。
高位の魔力をほこるリディアが全魔力を放出すれば、その場で耐えられる者は少ない。ここにきて、オーランドは他の者をこの部屋から追い出したリディアの意図を理解した。
今回、リディアは枯渇させる勢いで魔力を放ち、押し出した魂を赤子のなかにねじ込むつもりなのだろう。魔力と魂のゆくえは赤子一点に絞られているため、彼女の傍にいるオーランドが影響を真っ先に受ける。
赤子を中心に魔力が渦巻いているといえども、周囲への余波は免れない。
床と壁がミシミシと音をたてはじめた。内装を彩る木の壁にピシッと亀裂が走り、奥の石壁が顔をのぞかせる。
(このままでは部屋だけなく、城が壊れるのではないか)
オーランドは、両手を床につけたまま、魔力を天井に向けて放出し、リディアと赤子を包み込み始めた。
二人の魔力がぶつかり合い、きいぃんと弾かれあう音を立てるなか、リディアの声がオーランドの耳に届く。
「私の遺体は……、そうね。
鬼哭の森の奥にでも、お墓を作ってくれたら、嬉しいわ」
遺言が耳奥に反響するなか、オーランドは魔力を発する。赤子とリディアをベッドごと魔力で作った壁の内部に包み込んだ。彼女の魔力が漏れ出て、城や人々に害が及ばないようにしたのだ。オーランドは巻き込まれないために壁の外に立っている。
リディアの光はいっそう強くなり、オーランドは顔を背け、片腕に両目をおしつける。発光する彼女の姿はもうとらえられない。
壁内の音は外部に漏れてこない。
よって、リディアの最期の呟きは、オーランドには届かなかった。
「ありがとう、赤ちゃん。この人を助けてくれて。
儚い貴女は一人の人間を絶望から救い、希望を与えてくれる」
リディアの視界からもすでにオーランドは見えなかった。
「オーランド。あなたにも辛い思いをさせずに済みそうで、本当に良かった。あなたに私を殺させたくなかったの。残されるあなたを想うと、そんなこと、できないでしょ」
部屋は真っ白い魔力に包まれた。
「クリスティンはオーランドが生きる理由になる」
リディアは全魔力を叩きつけた時に、なにが起こるか分からなかった。
故に、オーランドだけを傍に置き、その対処に当たらせたのだ。
放たれる光により、室内は真っ白に染め上げられた。リディアの居場所だけでなく、なにもかも見えなくなった。
オーランドの閉じた両目から、悔し涙が滲む。
光がすべて消え去るまで、オーランドは魔力の供給を止めなかった。
永遠のような時が数秒流れ、発光が止む。
瞼を焼くような光が消え、オーランドが顔をあげる。
壁や天井に幾つか亀裂が見られたものの、部屋への影響はほぼないに等しい。
魔力で作られた空間を維持しながら、立ち上がると、ぐったりとベッドによこたわるリディアと、その腹の上で、かろうじて片腕で支えられる赤子がいた。
赤子はもぞもぞと腕を動かし、顔をしかめる。目を細め、口を大きく開けた。
脱力したオーランドが魔力を解くなり、部屋中に赤子の産声が響き渡った。