75:三者三様③
シルビアの懺悔をクリスティンは許した。二人は、ジェーンとともに、これからも仲良くしようと約束し合う。
「これからもよろしくね、シルビア」
「こちらこそ、クリスティン」
「でも、今はまだ微妙な空気が流れていると思うの、表立っては距離を取っておいてね。巻き込んでしまうかもしれないから」
「ごめんなさい。私もマージェリー様側に立つ者だから、あからさまに支援できなくて……」
「大丈夫よ。気にしないで。こうやって分かってくれる人がいると思うだけで心強いもの」
「勉強や教科書で、なにか困ったことがあったら言ってね」
「ありがとう。困ったら、今度は必ず相談するわ」
ジルビアは手を振って、先に戻っていった。
クリスティンは晴れやかな気持ちで、彼女を見送る。とても大変な一週間だが、シルビアと話せたことで、心は軽くなっていた。
クリスティンが晴れやかな気持ちになっている頃、デヴィッドの方は悶々としていた。
誰もいないところで、「くそっ」と悪態をつき、見られてやしないかと小心にも周りを気にし、キョロキョロする。
他の同級生と一緒にいるようになり、クリスティンの言われない噂を耳にすることになった。
実はと耳打ちする同級生に悪意があるのかないのかは分からない。
しかし、内容はどれも根拠がなく、すべて否定し、叩き割ってやりたいものばかりだった。
思い出すたびに、デヴィッドの腸は煮えくり返る。
根も葉もない噂に憤りしか感じられなかった。
(クリスティンはなにもしていない。同じ科だから、私が望んで一緒にいただけなんだ。
一体誰が彼女の悪評を広めている? 目的はなんだ!
もし見つけたら、ただじゃおかないからな!)
噂とともに、デヴィッドはマージェリーと焼却炉前で出くわしたことを忘れられずにいた。
デヴィッドは、クリスティンと自分が何者かに呼び出されていたことは知っていても、マージェリーたちまでも誰かに誘われてその場に来ているとは知らなかった。
(あの場に三人も連れ立ってやってきたマージェリー。あれは、怪しくないか。怪しいだろう)
評判のいいマージェリーを疑う者など、ほぼいないのだが、ことデヴィッドに対してだけはマージェリーも、年上の婚約者という立場上、厳しく接していた。
その厳しさは、デヴィッドに対しての思いやりも含んでいたのだが、その肝心な気持ちは、ちっとも伝わっていなかった。
(やっぱり、私の婚約者の座を狙われて一番不愉快なのはマージェリーだよな。例え、本当は狙っていなくても、特定の女子学院生と一緒にいる姿は面白くないだろう。
マージェリー以外に、クリスティンを陥れる必要がある人物なんているか? いや、いないだろう)
思い込みは、確信に。確信へと昇格した思い込みは、デヴィッドにとって、唯一無二の真実となる。
平日が終わり、ほっとする休日がやってきた。
早朝の繁忙時間が過ぎ、がらんとした店内を眺め一息つくクリスティンは来週はどうするか考えながら、勘定場にぼんやりと立っていた。
(来週の今日は、新入生の歓迎会なのよね。おいちゃんにドレスも用意してもらえたけど、行ってもきっと楽しくないわよね。参加は見合わせた方が良いかしら)
味方がいるとはいえ、彼女たちも周囲との関係上、あからさまにクリスティンとは親しくできない。一人でぽつんと立ちすくむのも、さすがにみじめとしか思えなかった。
カランカランとベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
「やあ……」
「……ライアン」
(さすが、休日、今日も現れたわね)
クリスティンは慣れたように笑顔を向ける。
まっすぐに勘定場にやってきたライアンは、視線を落とした。
「ティ……、ティン。あの、今日もパンを見繕ってほしいんだ」
「かしこまりました。今日はおいくら分ですか」
「友達と食べるから、少し多めで」
そう言うと、ライアンは中銅貨を出してきた。
(前回、私たちと食べた時と同じ量なのね。もしかすると、またマージェリー様がいらっしゃるのかしら)
騎士団の稽古場に顔を出す予定のクリスティンは、今日もマージェリーと会えるかもしれないと思うと、それだけで胸が高鳴った。
「できたら、ミルクパンは多めにしてほしい。気に入っているんだ」
「はい。今日は六つ残っていますから、全部お入れしますね。あとは丸パンで良いですか」
「頼む」
「はい、かしこまりました」
紙袋にパンを入れ、手渡す。その時、指先が少し触れあって、互いにぴりっと不思議なしびれを感じた。静電気のようでいて、痛みはない。
不思議そうな顔でクリスティンはライアンを見つめた。
紙袋を受け取ったライアンは、さっと耳を赤くし、そっぽを向く。
「でっ、では、そこに中銅貨は置いたからな」
「はい、ありがとうございます」
明るい声でお礼を告げると、ライアンはちらりとクリスティンを見た。目元が少し苦しそうで、なぜそんな顔をするのかクリスティンにはよく分からなかった。
にこにこ笑顔を崩さず、クリスティンは歩き去る彼の背を見つめる。
ライアンは扉前で一度足を止め、尻目を向けた。
「またのお越しをおまちしております。ライアン」
手を振りながら挨拶するクリスティン。
嬉しそうに口元をほころばせたライアンが、からんからんとベルを鳴らし、一礼して店を出た。
店を出たライアンは、ときめく胸に手を添える。
「同い年くらいかな」
三角巾をつけたティンを思い出すだけで、苦しくもなるし、嬉しくもなる。こんな気持ちは初めてで、本当は毎日でも会いに行きたい。
学院のいざこざや雑務もあるから、早朝毎日出歩けないことが口惜しかった。
(もうすぐ、収穫祭だ。貴族も平民も一年の実りをお祭りがある。どうにかそれまでに、誘える関係になれないものか)
紙袋から丸パンを取り出し、食べ歩きしながら、ライアンは気晴らしに楽しい計画を立て始める。
店番を終えたクリスティンはクレスに変身した。
颯爽と走るような早足で、騎士団の稽古場に向かう。
前回同様、大部屋で元気に挨拶し、演武場に行く。クリスティンが現れると、騎士達は歓迎して、輪に加えてくれた。
クリスティンは、模擬剣を持ち、騎士達と剣を合わせる。時間目一杯楽しませてもらった。お礼を告げ、稽古場を出る。中庭で顔を洗い、水を飲んだ。
さわさわと揺れる枝葉が、魅惑的な木陰においでおいでとクリスティンをいざなう。
ふらふらとクリスティンは木陰に座り込んだ。
空を見上げると雲一つない青空がひろがっていた。そよぐ風が顔に残る雫を撫でると、熱を放出し、ひんやりと気持ちが良い。
清々しい感覚に目を細めた。
すると、マージェリーが視界のなかに飛び込んできた
「クレス様」
「マージェリー」
いきなり現れ、クリスティンはびっくりする。
マージェリーはすとんとクリスティンの横に座りこんだ。
「今日もこちらだと思っていましたよ。これからライアンもきますわ」
「二人ともですか……」
「どうしても、ここでしか情報交換できないの。直接会って話さないと誤解を生んでしまうでしょう」
そう言うとマージェリーは悲し気に苦笑する。
彼女の心配事にはクリスティンも大いに関わるため、申し訳ない気持ちになってしまう。
「色々大変なんですね」
「時期的にね。来週、学院で新入生の歓迎会があるの。皆、楽しみにしていることだけど、最近ちょっと不穏だから、なにも起きなければいいなあと思っているのよ」
「……、すいません」
罪悪感にかられ、クリスティンは謝ってしまう。
「なにをクレス様が謝られるの? 私の方がこんな話をしてしまって、楽しい時間を邪魔して申し訳ないと言うのに……」
(こんなに良い方だから私も申し訳ないんです)
クリスティンは、クレスの恰好のまま、いたたまれなさに顔を逸らし、拳を握りしめた。