74:三者三様②
休日明け、登校したクリスティンに話しかける者はいなかった。
クリスティンから離れ一人になったデヴィッドに、ここぞとばかりに何人もの同級生が話しかけていた。その度に、彼は小奇麗な愛想笑いを浮かべ、にこやかに対応する。
ちらりと盗み見るクリスティン。
(無理している)
一目で看破した。
年下のデヴィッドは努めて、明るく、人当たり良く振舞う。しかし、それは彼の素顔ではない。食堂で料理を大盛で盛ってきたり、花園でライアンに悪態をついている方が素なのだ。
マージェリーが厳めしい仮面を被り、本当は愛らしい女性であることを隠しているのと似ている。
デヴィッドもまた内面を愛想というベールで覆いつくして、教室にいる。
(マージェリーもデヴィッドもどこか似ているわね)
素朴な感想だが、それは的を得ていた。
休み明けから二週間、歓迎会までの授業は一般教養課程のみ。幸い、教科書のない授業が続く。
週明けから五日経つが、誰もクリスティンに話しかけてこない。いない人のように周囲から存在を消され続けていた。
意地悪はされないが、無視も辛い。
(人の噂も七十五日とは言うけど。長いわ)
人目にさらされる昼食時間帯も問題だった。
少し時間をずらしたかったが、一時以降は三時ぐらいまで、高等部の学院生はまばらに絶え間なく出入りする。仕方なくクリスティンは弁当を持参するようになった。
そうなればどこで食べるかが問題だ。
自然と、誰も近寄らない焼却炉前に足が向いてしまう。
(ここが一番、人目につきにくいわ)
ロッカーから持ち出した鞄からパンを取り出し、もそもそと食む。ミルクパンと丸パンを一つずつ持ってきていた。
空を見上げて、(虚しいなあ)と思った。
帰宅時間まで体が持てばいいから、おかみさんが分けてくれるパンを持ってきた。いつも余分に分けてくれていたおかげだ。いつもなら、朝と夜に食べていたパンを朝と昼食べるだけだ。
(パンだけで食べるのは味気ないから、明日はハムや野菜も挟んでこようかな。って、明日は休みね)
他愛無いことを考えていられるのも、休日にマージェリーと会ったおかげだった。彼女はクリスティンの現状を憂いてくれている。
たった一人、いや、ライアンもいる。デヴィッドだって、気を使って離れてくれている。
数人でも、クリスティンを思いやってくれる人がいることが、心の支えになっていた。
「クリスティン!」
思いがけない声に呼ばれて横を向く。
同級生のシルビアが駆け寄ってきた。ちょうど、丸パンの最後の一口を口にほおりこんだクリスティンは驚きながら咀嚼し飲み込む。
駆け寄ってくるシルビアと向き合った。
「クリスティン。ごめんなさい、私、何もしてあげられなくて……」
まさか真っ先に謝られるとは思っておらず、クリスティンは目を丸くした。
「あの、いつも、ここで……」
「うん。食堂は人が多すぎて……」
二人は話が続けられず黙ってしまう。
クリスティンは(私と話して大丈夫なのかしら)とシルビアを心配していた。
シルビアは祈るように手を胸元で握りしめる。
「私のこと怒っていない?」
「なんで」
思い当たらず、クリスティンは小首をかしぐ。
「だって、私。あなたからの伝言をマージェリー様に伝えちゃったのよ。いくらマージェリー様が気にされていたからといって、友人の待ち合わせを明かすのは良くなかったと思うもの。
本当、ごめんなさい。謝りたかったけど……、うまく謝れなくて……」
「ううん。いいのよ。
でも、それについては一つ伝えておきたいわ」
「なに?」
「私、シルビアに伝言なんて頼んでないの」
「うそ。でも、だって、手紙を渡されたのよ。あなたからの伝言だって……」
「それは誰? あなたに伝言を伝えてきたのは誰なのかしら」
「赤いリボンをした新入生の一人。同級生ではないわ。髪の長い子。三つ編みで、横に垂らして……」
(それって、私に手紙を渡してきた子じゃない。でも、彼女、あの時、私に会うのは初めてだったはず。一体、どういうことなの)
怪訝な表情を浮かべるクリスティンをシルビアが不思議そうに見つめる。
「どうしたのクリスティン」
「いえ、なんか……、よく分からなくて。辻褄が合わないのよね。
殿下を呼び出したのも、私じゃない。
シルビアに伝言を頼んだのも私じゃない。
私に焼却炉前にくるように伝えてきた女子学院生は、シルビアに伝言を伝えたという子ととてもよく似ているの」
「クリスティンも手紙を受け取っていたというの!」
「ええ。だから、意図して三者をここに招いた人がいる。そんな気がしない」
「もしかすると、その人がクリスティンの噂を先んじて流して、マージェリー様を悩ませたかもしれないのね」
「悩んでいるマージェリー様を見かねて、シルビアは私との待ち合わせ場所を明かしてしまったのね」
「ええ、そうなの。本当に、ごめんなさい」
マージェリーは優しい。そんな彼女に日々触れているシルビアだからこそ、見るに見かねて教えてしまったのだろう。
「ジェーンも私もマージェリー様から、殿下を気にかけるように言われていたでしょう。でも、殿下と直接かかわるのは、色々面倒な側面もあるのよ」
噂を流されたクリスティンからしてみたら、よく理解できる。
「私たちの家は、農業を主体とする領地を管理していて、ウルフォード公爵家とはそれなりに近しい関係にあるの。
だから、きっと、私たちも率先して関わっていたら、クリスティンが一人で矢面に立たされることもなかったかもしれない……。
マージェリー様が望むように、私たちも殿下と関わっていれば……」
「シルビア……」
「そういうことも含めて、ごめんねって言いたかったの。本当に、ごめんなさい」
クリスティンは首を横に振った。
確かに、彼女たちはデヴィッドと関わることを面倒そうに道すがら話していた。クリスティンがデヴィッドと親しくしているなら、少し距離を取り様子見しようというのも分かる気がする。
「クリスティン。私たちが、あの日、本当に伝えたかったことを話すわ。
噂を流した人を探す手掛かりになるかもしれない。
私たちがあなたに伝えたかったことはね、マージェリー様とトレイシー様との関係なの」
ここで、トレイシーも出るのかとクリスティンは頭が痛くなる。短期間にたくさんの人と出会っており、もう人名だけでも整理しきれないほどだ。
「マージェリー様とそれなりに対立関係にあるトレイシー様の侯爵家は、工業地帯を取りまとめているでしょう。
近年、水を必要とする製品を作る工場を増やしていて、水を必要とするからこそ農耕地をまたいで工場が作られていたの。
そこで少々問題が出ていたのよ。
水の問題は大きいわ。特に排水。排水処理については、農作物への影響が大きいと、マージェリー様のウルフォード家は再三注文をつけていて、時には工場の稼働を止めてしまうこともあるの。
もちろん侯爵家も分かっていて工場を止めさせているとはいえ、疑問視する家々もあるのよ」
「トレイシー様自身は関係なくとも、ということね」
工場の話は初耳だった。
鬼哭の森から流れる瘴気にばかり問題になる男爵領にいるため、他領の事情にクリスティンは疎い。
「マージェリー様には手を出せない、デヴィッド殿下もだめ、マージェリー様の取り巻きは多すぎる。
そこで、デヴィッド殿下に一人近寄るクリスティンがターゲットになったのではないかと思うのよ。
それもこれも、あなたに全部任せてしまった私たちも悪かったと思うの。まさかこんなことになるなんて思わなくて……」