72:重なる誤解④
クリスティンの足元を風が抜けていく。
地面に叩きつけられた本の端々は赤く燃え、その火が風に煽られ、火の粉を散らした。煽られた炎は薄布のように途切れて、風にかききえる。
原型をとどめている本の表紙がぺらりとめくれた。
内側の端に、燃えて半分だけとなったクリスティンの名前がある。
腸が煮えくり返るかと思いきや、きいんと金属が響き合うような感触でぴりっと腹奥が締められた。
(なにもしていないのに……)
じわっと体中が悲しくなる。
マージェリーは騎士団では素直な笑顔を浮かべ、集会場ではカスティル領の現状を労ってくれた。そんな彼女に問い詰められた。誤解された辛さが蘇る。
(もっと早く相談していたら良かった……。ジェーンとシルビアを教室で見かけた時に、すぐに話かければよかった)
独断で、二人の忠告を軽んじたのがいけなかったのかもしれない。彼女たちにごみ箱で本が捨てられているのを見つけた時点で、相談していれば良かったのだ。
今はマージェリーに嫌われている。彼女と親しい二人に声をかけていいか迷ってしまう。不用意に声をかけてしまうと二人に飛び火するかもしれない。
誰がこんなことをしかけているのか、クリスティンには見当もつかない。
ただ一つ分かったことは、何もしなくても、デヴィッドやライアンといると目立つのだ。三人と一緒にいる姿を見て、誰が何を思ったかなど想像もできない。
食堂で一緒にいれば、全学年から見られている。
かと言って、生徒会室にまた来てねと誘ってくれたトレイシーが絡んでいる気もしない。
(どこで誰が見ているか分からない現状だもの。第三者の仕業という線も捨てれないわよね)
どちらにしろ、教科書をゴミ箱で見つけた瞬間。あれが警告だったのだろう。
クリスティンは空を見上げた。
(私が、デヴィッドやライアンと距離をとって、関わらないようにすれば、ほとぼり、冷めるかな)
できる自衛はそれしか思いつかなかった。じわっと涙が溢れそうになる。
「クリスティン」
横からデヴィッドの声が飛んできた。横をむくと、走り込んできたデヴィッドが、クリスティンの真横に立った。
同じぐらいの身長である二人は正面で顔を合わせる。
「血相を変えて、何があったんだ。んっ、これはなんだ」
デヴィッドはすぐに足元の本に気づく。燻っている炎が本を徐々に燃やしていくものの、開いた表紙裏に書かれているクリスティンの名は確認できた。
地面に転がる数冊の本。
焼却炉のなかでも、何冊もの本が盛んに燃えている。
「……なんなんだ、これは」
「……」
抑揚が消えた声音でデヴィッドが呟く。
クリスティンも答えようが無かった。
炎が爆ぜ、火の粉を飛ばす。紙が黒い煤になり、風に流されてゆく。
二人は地面で燻る本を見つめる。
沈黙を破ったのはクリスティンだった。
「殿下。私とはかかわりを持たないでください」
「どういうことだ、クリスティン」
「誰が、こんなことをしたのかはわかりません。でも、少なくとも、私が殿下と一緒にいることを面白くないと思っている人がいます」
「だからって、こんなことをする必要はないだろう。気に入らないなら、直接言えば言いものを」
「殿下に意見するなど、誰ができますか」
「それなら、私に話しかければいいんだ。常日頃から、私は公平に接するようには努めている」
十三歳の殿下なりに、周囲には気を使っている。それはクリスティンもよく分かっていた。
大きく息を吸ってクリスティンは告白した。
「殿下。昨日、私は、御者の方になど、伝言を、頼んでいません」
「クリスティンじゃない、だと……」
言葉を失うデヴィッドをクリスティンは静かに見つめる。
「黒縁の伊達メガネをかけていても、それが私をさすとは限りません。殿下は私になりすました者に呼び出されたのです」
遠回しに、クリスティンはデヴィッドの行動が軽率だったと告げた。
それはデヴィッドにも十分に伝わった。
学院を安全だと認識するデヴィッドは、まさか騙すような呼び出しを受けるなど、想像もしていなかったのだ。
そもそも、王都の治安は良い。デヴィッドとライアンが二人で歩いたって、怖くない。
王位継承権を持つ二人だからこそ、父である王が心配して警護を過剰に用意しているだけなのだ。
「本当は私も教室で同級生と待ち合わせていました。他クラスの新入生が手紙を持ってきて、そこに場所の変更が示され、ここに来たんです」
「待て、それでは、私もクリスティンも別の者に呼び出されたのか!」
クリスティンはこくりと頷く。
殿下だけではない、マージェリーだって呼び出されているかもしれない。その辺は、ジェーンとシルビアに聞くしかないだろう。
方やデヴィッドは、その場にいた五人一人ずつ思い出していた。下級生二人を引き連れていたマージェリー。
のこのこ出てきたデヴィッドを諫めた彼女が呼び出したと疑念を抱く。
警戒心の薄い行動をするかどうか試したのかもしれない。
(マージェリーは交友関係も広い、クリスティンに似た娘に伊達眼鏡をかけさせ、呼び出すぐらいできそうじゃないか。
なんで、私はそんな簡単なこともわからなかったんだ)
デヴィッドは悔しくなり、奥歯を噛んだ。
マージェリーは婚約者である。
彼女が、特定の同級生と一緒にいることを、顔に出さずとも面白くないと感じていてもおかしくはない。
デヴィッドの本心を試したうえで、クリスティンに嫌がらせを行い、排斥した。そう考えれば辻褄があうじゃないかと、デヴィッドは一人納得する。
一度、思い込めば、人はその確信を手放せない。デヴィッドのなかで、人脈も申し分ないマージェリーが犯人にのし上げられた。
「殿下、お願いがあります」
「なんだ」
「しばらく、私と関わらないでください」
「承服しかねる」
デヴィッドははっきり言った。
「私は、こんな卑怯な手を使う者に屈する気は無い」
「しかし、このままでは相手を刺激するばかりです。今は距離を置きましょう。
幸い、来週からは一般教養の授業があるだけです。教科書は必要ありません。この期間に教科書を購入し直します」
出費は痛いが、そうするしかない。またすぐに手を出されても困るから、購入は科別の授業開始直前にする。
「お願いします、殿下」
クリスティンは頭を下げた。ここで引き下がってもらえなければ、最悪、学院に通うことも諦めようと思っていた。
クリスティンを見つめるデヴィッドの目は血走り、奥歯をぎりぎりと噛んだ。きれいな顔が歪み、怒りに震えている。両脇で握る拳も震えていた。
「不本意だが、今は、クリスティンの言うことを受け入れよう」
震える声で告げると、踵を返し、歩き去った。
殿下の気配が消えてから、クリスティンは顔をあげ、胸を撫でおろした。
その日は一人で静かに過ごした。
明日は休日である。騎士団の稽古場に行き、身体を動かすことにした。
翌日も、朝はパン屋で店番をする。
するとまたライアンがやってきた。
「今日は少し多めにほしい」
手のひらに中銅貨を載せてきたので、丸パンとミルクパンを詰めれるだけ詰めて渡した。
一礼したライアンは、「ありがとう、ティン」と帰っていった。
「またのおこしをお待ちしております」
にこやかに手を振り、クリスティンは見送る。
笑顔のまま固まり、しばらく動けなかった。
「……、こっちもこっちで問題だった~」
体中の空気を一気に外へと出すように息吐くと、クリスティンは勘定場に突っ伏した。