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70:重なる誤解②

 涙目の震えるクリスティンをマージェリーは値踏みする。

 噂を直にぶつけたのは、虚を突けば本音が垣間見れると考えたからだった。


 開き直るかと思えば、震えあがっている。

 その怯え切った態度から、(噂は所詮噂かもしれないのね)とマージェリーの心が傾きかけた時だった。


「なんの話をしているんだ」


 クリスティンとマージェリーの間にデヴィッドの声が飛んできた。

 向き合っていた二人は、視線を合わせる。

 一体どうしてここに殿下が来るの? と言いたげに、二人は両目を瞬かせた。


「クリスティン? いるのか」


 クリスティンはマージェリーの肩越しにデヴィッドを見た。

 振り向くマージェリー。

 ジェーンとシルビアもつられて、背後へ目を向けた。


「マージェリーじゃないか。なんで、ここにマージェリーまでいるんだ」


 デヴィッドが嫌そうな顔をする。

 クリスティンを問い詰めていたところに、なぜデヴィッドが現れるのか。理由分からず、マージェリーは不審に思い、警戒する。慎重に問いかけた。


「殿下こそ、わざわざこのような場所になに用ですか」

「なに用って……」


 睨むマージェリーを恐れ、デヴィッドはたじろぐ。


「なに用と言われてもな。私はただ呼ばれてきただけだ。御者に手紙が渡されていて、こちらに来るようにと」


 マージェリーの背を見ていたクリスティンは、彼女の空気が冷めるのを感じた。


「ほう、こちらに。用向きは、どのような」

「用? さあ、なんだろうな。私は呼ばれただけだ」


 呼ばれただけで、のこのこと一人で出てきたデヴィッドの警戒心の薄さにマージェリーは苛立った。

 この年下の婚約者はいつもこうなのだ。


 表面では、上手く立ち回っても、下手に何でもできるから、過信し軽率な行動が見受けられる。ライアンがいれば、うまくいなすと言えど、常に傍にいるわけではない。


 マージェリーがクリスティンに直接会うことになったのも、もとはと言えば、一人の女子学院生を贔屓したデヴィッドの態度のせいであり、断れない男爵令嬢の立場を考えれば、デヴィッドの浅慮のせいとも言えた。


 悪意が無ければ問題は起きないと言わんばかりの、軽い返答に、マージェリーの堪忍袋の緒が切れる。


「殿下! 仮にも殿下は、この国の王太子。例え学院内でも、このような人気のない場所に、一人で出向かれるとは何事ですか。

 御者はなにをしているのです」

「そうは言っても、御者は黒縁の伊達眼鏡をかけた娘から手紙を渡されたと言うのだ。そうなれば、クリスティンしか思いつかないだろう」


 デヴィッドが平然と答えれば、マージェリーの雰囲気は更に凍てつく。

 今まさに、問い詰めたクリスティンが、殿下をそそのかす気はないと言ったばかりというのに、それも嘘だったのかとマージェリーの怒りの矛先はクリスティンの方へと戻る。


「クリスティン!」


 振り向きざまにマージェリーに睨まれ、ひっとクリスティンは肩をすぼめた。


「あなたは、『根も葉もない噂』と言っておきながら、ここに殿下を呼び出し、なにを画策しているのですか」

「画策って……。私はなにも、本当に、なにも……」

「あなたが真っ先に噂を否定したのも、私を安心させ、殿下を呼び出したこの場からさっさと私を去らせるつもりではなかったのですか」

「いいえ、いいえ。私は本当に噂一つ知りません。

 マージェリー様の立場を脅かそうなんて大それたことを考えてもいません」


 怒るマージェリー、怯えるクリスティン。二人の間にデヴィッドが進みでる。

 あろうことか、彼はクリスティンを背にして、守るようにマージェリーに向き合った。


「マージェリー、噂とはなんだ」


 マージェリーを恐れるデヴィッドの声は震えていた。


「のこのこ、このような場に誘われておいて、身に覚えがないと」

「私とクリスティンはただの友人だ」

「友人?」

「ああ、同じ科で同級生はクリスティンしかいない。今後も授業が重なることが多いだろう。今から親しくして、なにがいけないのだ」

「それの度が過ぎているため、噂が立つのでしょう。でもこのような場に居合わせたとなると、噂もまた、根も葉もないものとは言えないようですね」


 デヴィッドは震えながら話していた。

 年上の婚約者は、出会った頃はどうあれ、近頃めっきり威厳を纏うようになり、怖ろしくなっていた。

 

 それなりにできるデヴィッドを強く諫める者はいない。父も母もできる息子に優しい。ライアンだって、なにかとわがままに付き合ってくれる。男だから、しょうもないことにも呆れながら許してくれる。


 マージェリーだけが違う。

 彼女だけは、デヴィッドに厳しい。

 直接的な言葉を向けてくるのも、彼女しかいなかった。


 年下で、至らなくて、どこか子どもっぽいところが気に入らないのだろう。周りはみんな認めてくれるのに、マージェリーだけが認めてくれない。

 いつも厳しいばかりで、まるで嫌われているかのようだ。

 デヴィッドは自覚ないままに、不満を募らせてた。


「私のことを嫌うのは良い。しかし、クリスティンは無関係だ」


 声音を震わせ、恐れながらも立ち向かおうとするデヴィッドの態度は、マージェリーの苛立ちの琴線に触れる。

 マージェリーの眼差しはいっそう冷たくなる。


 クリスティンのことなど眼中にないままに二人は対立する。


(どうしよう、どうしよう。私、二人に仲たがいしてほしいわけじゃないのに!)


 クリスティンは二人の対立が自分のせいとしか思えなかった。

 動揺しながら、目の前に起こる出来事を見つめ、こんな事態になんでなってしまったの、と泣きたくなっていた。

 

「無関係? 無関係どころか、彼女こそ渦中の人物ではありませんか。学院中に出回っている噂をご存知ないのですか?」

「噂か。噂なんて、大なり小なり流れるものだろ。些末なことは私は知らない」

「ほう、そうでますか。

 殿下、ご自身一人の噂ならそれでよいでしょうとも。でも、今回の噂は、そこにいるクリスティン嬢が絡むのですよ」

「クリスティンが! なんだ? ただの同級生に、なんの言いがかりをつける必要がある」

「言いがかり? 出所も不明な噂ですので、誰が流したのかだって、分かり様もありませんことよ」


 見下すマージェリーの遠回しの話しぶりにデヴィッドは歯噛みせんばかりに、苛立ちの顔を見せる。


 沈黙ののち、冷ややかな表情を崩さずマージェリーが踵を返す。


 なにも結論は出ていないのに、二人の女子学院生を従え、去ってゆく彼女をデヴィッドは止めなかった。


 視界からマージェリーが消える。

 デヴィッドがほっと胸を撫でおろし、振り向こうとした時だった。


「振り向かないでください!」


 クリスティンは叫んだ。

 その涙声に背を打たれたデヴィッドは止まったまま、動けなくなる。


「行ってください。お願いします」


 掠れる声を投げかけられたデヴィッドは拳を握りしめた。

 誰が、どんな噂を流して、こじれた状況を作ったのかと苛立つ。

 腹を立てても、解決はしない。

 声からして打ちひしがれているクリスティンに対しても、どうしていいか分からなかった。


「どうか、一人にしてください」


 クリスティンの懇願にデヴィッドは振り向けなくなる。


「お願いします」


 もう聞いていられなくなったデヴィッドは、クリスティンを一人残して去ることにした。

 本当は、彼女を家まで送ってあげる方が良いと分かっていたが、傷ついたクリスティンの望まないことを無理強いすることはできなかった。





 デヴィッドが見えなくなり、クリスティンはしゃがみ込んだ。うつむき、頭を抱える。


「なんで、こうなるのぉ。なにが悪かったのよぉ」


 なにもかも、デヴィッドと一緒にいることが悪かったのだと閃く。

 王族や、それに連なる公爵家なんて、身分からいっても、一緒にいてはいけなかったのだと、状況が状況だけに、クリスティンは自罰的になっていた。

 それは意味がないことなのだが、なにか原因をこじつけたはけ口がなければ、保っていられないほど、苦しくなっていた。

 



 誰もいなくなり、赤い空が暗くなってきて、やっとクリスティンは立ち上がる。ふらふらとおぼつかない足取りで家路についた。


 帰宅したクリスティンは、水を一杯飲み、着替えてベッドに横になる。なにかを食べる気にはなれなかった。

 心身疲れきっている。

 眠り、現実から目を背けたかった。




 時が経てば、日は昇る。

 今日も、パン屋の売り子から一日は始まるのだ。



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