69:重なる誤解①
女子学院生を唖然と見送ったクリスティンは、残された手紙を握りしめた。くしゃりと紙を潰す感触を得て、我に返る。
「いったい、なんなの……」
ジェーンとシルビアの忠告。
威厳あるマージェリー。
才女トレイシー。
顔ぶれを思い返し、「まさか……」と呟く。
ショックのあまりか、怒りはわいてこなかった。むしろ冷静に思考が回り始める。
(彼女達とは無関係なところで、誰かが勝手に噂を流したのかしら。
デヴィッドやライアンと一緒にいることで誤解を招く可能性は否定できないわね。
さっきの子に、目立つと言われたからには、嫉妬も含むのかもしれない……)
「……」
誰が、なんの目的で、などと考えても憶測の域を出ない。
(噂が収まるまで殿下と距離をとる方が良いかしら。うーん、判断難しい。
ジェーンとシルビアなら噂を知っているのかも……。
もしかすると、私が気づいていない噂のために声をかけてくれたとか? 実際、食堂では話しにくい話題だものね)
クリスティンは四つ折りの紙を広げた。
雑に描かれた地図と走り書きの一文があった。
短い文面には、『教室では話しにくいため、こちらへ来てほしい』と書かれている。
一文の下には地図が描かれていた。
食堂の反対側にあたる、中央校舎の横にバツ印がある。
(集会場と中央校舎の間に横に逸れる道なんてあったかしら)
集会場へ行く際の道を思い出す。そこそこ広い道だが、横道が伸びている記憶はない。
どう考えても、新たな指定場所は人気がなさそうだ。
(嫌な予感しかしないわ)
しかし、無視をするには気になることが多すぎる。文面からもジェーンとシルビアの可能性も十分考えられる。あえて直前に場所を変えてくるとなると、なにか事情があるのかもしれない。
裏を返し、表を見返しても、手紙に名前は書かれていない。
となると、二人の呼び出しではないかもしれない。
だとすると、ここに二人がきて、すれ違う可能性もある。
罠かもしれない。
手紙を無視することもできるが、噂を流した者につながる糸口をつかめるかもしれない。
なにより、置かれている現状について、背を向けて家路につく気にはなれなかった。
(二人となら明日も会えるわ。呼び出しを受けた証拠の手紙もあるしね。よし。呼び出しがジェーンとシルビアに関係なかったら、明日会って謝ろう)
気持ちを定めた、クリスティンは呼び出しに応じることにした。
オーランドやウィーラーに鍛えられている。いざとなれば、相手を打ち負かして逃げるぐらいできるのだ。
証拠となる手紙を鞄にしまったクリスティンは、急いで教室を後にした。
教室のある院生棟を出て、集会場まで伸びる道を歩き出した。中央校舎の側面を直角に曲がる。
周辺は広く雑草が生えており、道らしい道ではないものの、頻繁に人が往来しているようで、人が歩く幅だけ、土がむき出しになっていた。
進むと奥に焼却炉があった。火は見られないが、燃えカスはまだ残っているようで、中から細く黒い煙が立ち上っている。
焼却炉の手前で、クリスティンは立ち止った。
周辺の怪しい雰囲気に、教室を出た時の意気揚々とした気持ちは萎えてしまう。キョロキョロ見ても、焼却炉に用がなければ来ない場所だ。
(嫌だわあ……。こんなところに呼び出すなんて。絶対、悪いことが起きそうじゃない。
クリスティンの姿で、強いところは見せたくないんだけどなあ)
逃げれるとはいえ、なるべく暴力的なことはしたくない。できたら穏便にすませたい。学院には学びに来たのであって、クレスのように稽古にきたわけじゃないのだから。
焼却炉の前をくるりと円を描くように歩く。
気持ちが落ち着かず、黙って立っていることができなかった。
(まるで決闘で呼び出されたみたいだわ)
騎士相手に戦いを挑むなら、遠慮する必要はないが、学院生相手の場合なら、手加減は必須だろう。
(うまく力加減できるかな~)
クリスティンは、相手が拳を突き出してきたり、足を振り上げてきた場合にどうあしらうかという想像を巡らせた。
来るのはジェーンとシルビアかもしれない。
戦うことになる可能性は低いのに、現実から目を背けたいため無駄な方向に思考が走る。
そんな彼女の視界に、数人の女子学院生が映りこんだ。
(誰か来た)
円を描くように歩いていたクリスティンが足を止める。体に緊張が走り、深呼吸をした。
人影がはっきりしてくると、クリスティンは目を見開く。途端に頭が真っ白になった。
思いもかけない人物が、まっすぐに歩いてくる姿に息が止まるかと思うほど仰天した。
(なんで! なんで、ここに、マージェリー様が来るの!)
心の中であげる悲鳴。
身体は引きつり、手にしていた鞄を取り落とした。
クリスティンに向かってくるマージェリー。
その後ろからはジェーンとシルビアがついてくる。
(なんで、ジェーンとシルビアも一緒なの)
立ち尽くすクリスティンの前に、マージェリーが立つ。
小柄であるのに、厳格な表情を崩さない彼女に威圧され、動揺する。
絵にかいたような理想のご令嬢への対応策など考えてもいなかった。
しかもマージェリーの表情がどこか怒っているようである。
鼓動が早くなり、恐怖が心の目を曇らす。おかしな噂があると聞いてしまったクリスティンは、身が潔白であると自覚していても、マージェリーを怒らせたのではないかと怯えてしまう。
目の前のマージェリーが、ねぎらいの言葉をかけてくれた人物と同じとは思えなかった。ましてや、クレスとして会った時の面影もない。
強そうな人物や、強面の人物が現れてくれた方がまだ対処のしようがあるのではないかと、クリスティンは怖気づく。
喧嘩になったらどうするかなど考えていたことは一抹も役に立たなかった。
「クリスティン・カスティルさん」
「はい」
マージェリーに呼ばれて、怯えながらクリスティンは返事をする。マージェリーの後ろにいるジェーンとシルビアに目を配る余裕はない。
「噂を、知っていてこちらに来たのかしら」
今しがた知っただけである。知っているとも、知らないとも答えようがなかった。
「私は、カスティル男爵領の実情は、どの学院生よりも存じています」
冷ややかな声が恐ろしい。赤い双眸は怒りで燃えているかのようだ。
「ですので、魔法魔石科にあなたが入学されるのも、さもありなんと思ったのです。
ここで学び、脅かされる領地の助けになろうと考えているのだと思いました」
「その通りです、マージェリー様。その気持ちに嘘偽りはございません」
必死に肯定するクリスティンに、マージェリーは冷たい一瞥をくれる。
「それにしては、捨て置けない噂を耳にしました」
「捨て置けない噂?」
例の噂だとクリスティンもピンとくる。
「あなたが私を蹴落として、殿下の婚約者になろうと画策しているという噂です」
マージェリーから直接言われたことにショックを受け、クリスティンは絶句した。
デヴィッドと一緒にいるのは、あくまでも同級生としてであり、科も一緒であるためだ。
邪な気持ちは、そこに一切ない。
クリスティンは必死な形相で訴えた。
「滅相もございません。それは根も葉もない噂です。地方男爵家の娘である私が、マージェリー様の代わりなど、つとまるわけはありません」