7:産声のない赤子③
「どうぞ、どうぞ。それぐらいお安い御用です。この部屋は自由にお使いください」
男爵は深々と頭をさげた。
戸惑ったのはオーランドの方だ。
「リィデア。俺が一緒にいてもいいのか」
「ええ、助けてほしいの。きっと一人では難しいと思うから」
「俺が手伝うのか? 俺で手伝えるのか?」
死んだ人間をよみがえらせる方法など、オーランドは知らない。
選民の間だけに伝わる特別な秘術があるのかもしれない。
選民は特殊で、リディアやオリヴィアのような選ばれた者以外表に出ない。
立場上、ネイサンもオーランドも選民と接触したことがあるが、どの機会もスタージェス公爵の許可を必要とし、時間や場所も細かく規定されていた。
正式に公爵を継いでいない以上、知らされていないことはまだまだ多い。
戸惑うオーランドの肩をネイサンが叩く。横を向くオーランドに、にやりと笑いかけた。
「頑張れ。頼むぞ、英雄」
「殿下、よろしくお願いします」
前にいた男爵も振り向き、すがるような目でオーランドを見た。
その視線に、オーランドの方がたじろいでしまう。
「あっ、ああ……」
返答の歯切れも悪い。
死んだ人間を生き返らせるなんて、なにをどう手伝うものか見当もつかなかい。自分が役に立てるか、いまいち自信が持てなかった。
「大丈夫よ。簡単なことだから。
私の次に、力を備えているのはあなたでしょう」
くすくす笑うリディアに、オーランドはぼっと顔が赤くなる。恰好がつかず、咳ばらいをして、胸を張った。
「分かった。手伝おう」
狼狽から急に威厳ぶった態度に変わったため、メイドまでもがふっと吹き出してしまう。不敬に気づき、口を両手で覆った。
希望が見えたことと、オーランドの態度で、深刻だった場は少し和らいだ。
オーランドとリディアを残し、男爵は四人を連れて、別室で待つため部屋を去った。
閉められた扉。
ベッドと机だけの質素な部屋。
部屋の中央には湯を張った桶と数枚の布が無造作に置かれ、産婆が座っていた椅子がある。
とたんに静かになった密室。
オーランドはリディアと二人きりという現実に緊張した。
赤子を抱くリディアは、部屋を見回し、奥にあるベッドへと向かう。ベッドの端に腰を掛けた。
オーランドはふらふらと彼女に近づく。
リディアは赤子の濡れた髪を少し払った。
目は閉じられており、まるで赤黒い置物のようである。
なにをどう話しかけていいものか分からないでいると、顔をあげたリディアから話しかけた。
「ありがとう、オーランド。残ってくれて」
「俺はなにをしたらいいんだ」
「いいのよ。なにもしなくても」
「なにもしなくていい?」
「うん。話がしたかっただけだもの」
「話だって?」
意味がわらからないとオーランドは眉間に皺を寄せる。
リディアは斜め上に視線を投げ、口角をあげた。
「ごめんね。オーランドにとって辛いことを強いることになって。謝りたかったけど、謝っても、あなたを困らすだけだと思ったのよ」
「それは……」
「だから、人形に徹しようと思ったの。
人間らしくしていなければ、少しはあなたの心も軽くなるかなって。浅はかかもしれないけど、今の私にはそれしかできないもの」
リディアの気遣いにオーランドの胸が詰まる。
「リディアはそれでいいのか」
「いいもなにも、ねえ。
魅了の魔女がどうなるか、どうあるべきか。魔力の多い選民の娘はみんな耳が痛くなるほど聞いているのよ。
あらがえないのよ」
「でも、でもだな。運命に抵抗しようとは、思わないのか」
いろんなことを棚に上げた台詞がこぼれる。
このまま、逃げないかとオーランドは言いたかった。直接的に言えず、誤魔化した物言いだったが、真意はリディアに伝わったようだった。
「生き残っても、そこからきっとなにか起こるわ。ジャレッドがしたことは覚えているでしょう。二の舞よ」
同じ結論を口にするリディアに、オーランドは歯がゆさと無力感を覚える。
リディアは抱いている赤子に視線を落とした。
「この子、母の胎内から出たばかりでしょう。
お腹のなかで亡くなっていたいたとはいえ、ほんの少し前までお母さんのおなかのなかにいて、へその緒で繋がっていたからか、まだ少し暖かい感じがするの」
部屋の中央にある湯で洗った温もりかもしれない。死んだ体は時間をかけて硬くなるし、ものすごく冷たくなるものだ。
「私の魔力で、この子に新しい魂を入れるわ。うまくいけば、蘇らせることができるかもしれない。
元のこの子の魂ではないでしょうけど、産まれたばかりの子だもの。一から育てるのだし、構わないわよね」
「そりゃあ、そうだろ。
歩いたり、走ったり、話すようになった子ならいざ知らず。元の魂なんて、誰もわかりっこない」
「うん、私もそう思う」
「母の胎内ですでに死んでいたなんて、それこそ悲しいだろう」
リディアは赤子を抱きしめて、頬を寄せ、目を閉じた。
「この子のなかに、どんな魂が入っても、許されると思うのよ」
「どんな魂もって……」
「うまくいくか、わからないけど」
そう言うなり、リディアは発光しはじめる。
オーランドの目にも魔力が放たれていることがよく分かる。
「もし許されるなら、私、この子に名前をつけたいわ」
「いいんじゃないのか。救ってくれた人が名付け親になるぐらい。ジョンからもさっき頼まれてるからな。俺が推してやるよ」
「ありがとう。
私ね、娘が産まれたらつけたいと思っていた名前があったのよ」
「なんという名だ」
「クリスティン」
リディアの即答にオーランドの胸がざわざわし始める。虫の知らせを感じ、胸騒ぎが押し寄せてきた。
その感覚からくる苦しさを、意志をもって心底に押さえ込む。
オーランドは冷静であろうと踏ん張った。
「分かった。ジョンには、俺からも、クリスティンと名付けてほしいと言ってやる。言ってやるから」
「ありがとう」
静かなリディアの言葉に、焦りを覚えオーランドは早口になる。
「リディア。逃げよう。まだ、間に合う。
その子を救って、その子を置いて、こっそり逃げ出そう。
なあ、リディア。
リディアもそのつもりで、この部屋に俺を留めたんだろう。
わざわざ、明かさなくてもいい、選民であることまで明かしたんだろう」
微笑みながら、リディアは頭をふる。
「逃げれたら、いいわね。
海を渡った彼方に、別の土地があって、逃げれるとしたら、どれだけ良かったかしら」
「そうだ。
赤子を助けて、名前は、そうだな。
書置きをしておけばいい。
海の向こうは叶わないが、鬼哭の森の奥は誰も来ない。あそこなら、きっと誰にも見つからないだろう」
「夢を見るのは楽しいわ。
でも、現実にかえると、哀しくなるわね」
「そんなことはない、夢は叶えるものだ。叶えるために夢を見るんだ! 希望を抱くから未来があるんだろう!!」
焦燥にかられるオーランドは、穏やかなリディアに無意味な言葉を叩きつける。
(なにを苛立っているんだ、俺は)
緊張が走る体から嫌な汗が噴き出てきた。赤ん坊を奪うべきだと頭のなかで警鐘がなりだしても、足は石のように動かない。
「ごめんね、オーランド。人を生き返らせるなんて、本当はできないのよ」