66:嫌がらせのはじまり②
午前の授業が終わり、時刻は一時をまわった。
「昼だな」
隣のデヴィッドが両腕を前に伸ばす。
同じ教室内には男子学院生もいるというのに、ここ数日、ずっとクリスティンと一緒に行動していた。
(私といてつまらなくないのかな。デヴィッド殿下の年齢なら、同年代の同性といる方が楽しい気がするのに)
「どうした、クリスティン」
「いいえ。さすがに一時近くまで食べてないと、お腹が空きますね」
「だろう。私も今まで十二時には昼食だったから、時間の感覚が慣れないよ」
デヴィッドが立つ。
クリスティンも立った。
教室から、わらわらと学院生が順に出ていく。親しい者同士雑談しながら、食堂へ向かうのだ。
「今日はライアンも誘うか。生徒会室に迎えに行こう。クリスティンは生徒会室に行くのは初めてか」
「はい」
「私は何度も行ったことがある」
ふふんと得意げにデヴィッドは笑う。
「何度もって……、殿下、去年は中等部ですよね。中等部でも出入りされてたんですか」
「ライアンがいるからな。もう一学年飛び級が決まってから、たまに遊びに行っていたんだ」
「それって……」
迷惑なんじゃ……、と言いかけて、やめた。ライアンとデヴィッドの関係は、クリスティンが口出す範疇を越えている。
「生徒会室の場所だからな。知っていても悪くない。学院生の年中行事の采配を振るう中心で、今頃は歓迎会の準備を行っているだろう」
(そういえば、ライアンにも困ったら生徒会室に来るように言われていたっけ)
なのに、場所をまだ確認していないクリスティンはデヴィッドの提案を良い機会だととらえた。
「私も生徒会室の場所を確認しておきたいです。案内してもらえると嬉しいです」
「そうか。じゃあ、行こう」
二人は生徒会室へ向かう。
門の正面にある校舎の上階に高等部の生徒会室はある。一階の花園側に食堂があり、ちょっと階段を上って寄り道すればいい距離であった。
生徒会室の扉の前で、デヴィッドが数回ノックする。返事がなく、もう一度叩こうとしたところで、扉が開いた。
出てきたのは清楚な雰囲気の女子学院生だった。ストレートな黒髪に、焦げ茶の瞳がきらりと光る。きっちりと制服を身につけ、胸元のリボンも左右対称だ。
クリスティンの第一印象は、頭がよさそう、であった。
デヴィッドを見て、彼女は微笑んだ。
「あら、殿下。お久しぶりですね」
「久しぶりだな、トレイシー」
「そちらの方は?」
「同級生だよ。クリスティンという。カスティル男爵領から地方受験できたんだ。科も同じだから、一緒に行動することが多いんだよ」
(トレイシー? どこかで聞いたような……)
紹介をされているのに、気になったクリスティンは記憶をたどる。
「初めまして、クリスティンさん。私は、トレイシー・ヘンウィックです。生徒会では副会長をしています」
フルネームを聞くと、ぴんときた。
彼女こそ、ジェーンとシルビアが教えてくれた第二派閥の代表だ。
「初めまして、クリスティン・カスティルです」
慌てて挨拶して、頭を下げた。
(びっくりした。こんなところで会うとは思わなかったわ)
冷や汗が出そうになる。顔を床に向けたことで、二人に表情が見えないことを良いことに、目を見開いた。
「緊張しないで」
困惑したような声音が聞こえ、頭をあげると、トレイシーはにこにこしている。善良そうで、なにか悪事を画策するような人には見えなかった。
「立ち話もおかしいわね。どうぞ、中へ」
「今日はライアンを誘って、一緒に食べようと思っていたんだ」
「なら、尚更入って、今最後の書類に目を通しているの。それが終わったら、きっと一緒に行くと言うわ」
生徒会室は教室ほどの広さがあった。
壁一面に本棚があり、その前にソファ席がある。
窓際には大きな机があり、ライアンが書類を見ていた。トレイシーが二人を招き入れたことで、顔をあげる。
デヴィッドが手を振り、クリスティンが軽く頭を下げる。
ライアンは、片手をあげてすぐに降ろすと、また書類に視線を戻した。
トレイシーは二人をソファ席に案内する。
クリスティンは部屋をぐるりと見回した。すっきりとしたつくりの部屋で飾り気はあまりない。王族や有力な貴族の子弟が出入りする生徒会室というならきっと華美な内装だろうと想像していただけに意外だった。
(雑務を理路整然と行う部屋みたい)
ライアンとトレイシーの雰囲気を考えたら、このような内装の方がしっくりくる気もした。
「こちらへどうぞ。座って」
「ありがとう、クリスティンも、ほら」
トレイシーとデヴィッドに促され、きょろきょろしていたクリスティンは恐る恐る、ソファに腰を落とした。シンプルな布張りのソファは適度に硬く座りやすい。
座ったデヴィッドと立っているトレイシーは会話を続ける。
「お茶とお菓子を、と言いたいところだけど、これから食べに行くなら、いらないわね」
「ああ。かまわなくて、けっこう。なんなら、トレイシーも一緒に食べるか」
「お誘いは嬉しいけど、先約があるの。もう私はここを出るつもりよ」
「そうか、それは残念だ」
「またの機会に誘ってください」
「そうするよ」
クリスティンは淀みない会話を黙って聞いていた。
聞けば聞くほど、二人はとても親しい間柄にしか見えない。
トレイシーがデヴィッドと一緒にいる者を害する指示を出すようには見えない。ジェーンとシルビアが注意を促してきたことが何かの間違いではないかと疑いたくなる。
「クリスティンさんも、今度来た時にはお茶を出すわ」
「そんな……」
侯爵家のご令嬢にお茶を淹れてもらうなんて、おこがましい。かといって、断るのも失礼だ。むしろ、私が淹れますと交代したいぐらいである。
クリスティンの複雑な心境を察したように、トレイシーは苦笑する。まるで、気にしなくていいのに、と笑っているかのようであった。
「では、私は行くわ。お先に失礼します、殿下、クリスティンさん」
「また次回を楽しみにしているよ」
「ありがとうございます、殿下。ライアンがくるまで寛いでね、クリスティンさん」
「はい。ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
にこやかに手を振って、颯爽とトレイシーは去る。
入れ替わるように、ライアンがやってきた。
二人は「お疲れ様」「先に行くわ」とすれ違いざまに言葉を交わした。
その自然な姿に、クリスティンはますますトレイシーを警戒する理由が分からなくなる。
「今日はどうしましたか、殿下」
「一緒に昼を食べようと思って、誘いに来たんだ。それとも、トレイシーのように先約があるのか」
ライアンは首を横に振った。
デヴィッドがぽんと立ち上がる。
「じゃあ、一緒に食べに行こう」
先に立ったデヴィッドが、まだ座るクリスティンに手を差し伸べる。その手をとって、クリスティンも立ち上がった。
(年下だけど、こういうのは慣れているという感じなのよね)
貴族の社交の場を経験したことがないクリスティンはこういうデヴィッドの行為を気恥ずかしく感じてしまう。
デヴィッドが怪訝そうな顔をする。
「どうした」
「いえ、殿下は慣れているんですね」
「なにがだ」
「こうやって、女性に手を差し伸べるの」
「ああ、これは父と母がいつもこんな感じってだけだよ」
「王様と、お妃様がですか?」
「ああ。私が見てて恥ずかしいくらい仲が良い。あんなに仲良しなのに、なぜか子どもは私だけなのが不思議なぐらいだ」
「うちとは逆なんですね」
「逆とは?」
「父母の仲がいいのは一緒で、子どもがたくさんいるんです」
「ふうん。何人いるんだ」
「私を入れて、七人です」
これには、デヴィッドだけでなく、ライアンも目を剥いた。
「七人! それは多いだろう」
「さすがに、すごいな」
二人の反応に、ぽりぽりと指先で頬をかきながらクリスティンも苦笑する。
「多いですよね~」
ははっと乾いた声で笑うクリスティン。
自覚がある分だけ、否定できない。