61:派閥と助言①
(なんで、マージェリー様とも初日から会うことになるのぉ)
近づいてくる冷ややかなマージェリーを見つめるクリスティンはうろたえる。
集会場のステージ側は、出口からも遠く逃げようもない。式典が終わり、ほっとした学院生の動きも緩慢。隣合う者同士の話し声が絶えない。
しかし、そんな音さえクリスティンの耳にはもう届かない。
(学年違うのよ、学年。ちがう、ちがう、そんなことより大事な事。
学院で会うのは、初めてでしょ。なら、ちゃんと初対面として、知らない振りしなくちゃ。知らないふり、知らないふり、知らないふり……)
己に呪いをかけるようにクリスティンは、知らないふりと心のうちで何度も繰り返した。
その間にライアンは、近づくマージェリーを流し目で確認し、一歩引く。
目を剥いたデヴィッドは慌てて、クリスティンの背後に回った。
二の腕を掴まれ、意識が内側を向いていたクリスティンはびっくりする。
「どうしたんですか、殿下」
背後からの返答はない。眉間に皺を寄せるデヴィッドはただただ前方を睨んでいる。その視線を辿れば、マージェリーがいた。
(なんで、隠れるの?)
クリスティンの肩越しに顔をのぞかせるデヴィッドは別人のように表情が硬くなっている。
今までの余裕はどこにいったのだろうというほどの変わりように、面食らう。
この態度は、まるで捕食者を見つけた小動物が怯えているようであり、敵対相手に威嚇しているようでもある。
マージェリーはクリスティンの目の前に立つ。くいっと顎を軽くあげた。上から見下すような視線は、クリスティンの肩を通り過ぎ、デヴィッドを捕らえていた。
(えっ、これって、まさか……、まさか!)
その、まさか。
クリスティンは二人の板挟みになってしまった。
(ちょっと、これはない、これはないわよ!)
涙目になるクリスティンを間に挟んだ二人のやりとりが始まった。
「なっ、なんのようだ。マージェリー」
「なんの用とは、ぶしつけな。そもそも殿下、人の後ろに隠れるとは何事ですか。登壇されていた時のように、堂々としていらしゃればよろしいのに」
震えるデヴィッド。
ただならない気配を放つマージェリー。
クリスティンだけは、たまったものじゃない。
(きっ、厳しい顔。あの笑顔のマージェリー様が厳しい顔。なんで、なんでぇ!)
騎士団の稽古場で会ったマージェリーはとても愛らしい挨拶をする少女で、こんな厳めしい顔や態度をとる人物には見えなかった。まるで別人と言える顔つきに、目を疑った。
クリスティンを無視して、怯えるデヴィッドが言い返す。
「どこにいたって、私は、私だ。変わらないつもりだが」
ふんとマージェリーは顎をしゃくる。背丈は決して高くないのに、不遜な態度は、彼女を大きく見せた。
冷え切った流し目がクリスティンをとらえる。
(べっ、別人。騎士団で会った方とは別人だわ。
ライアンにしろ、マージェリー様にしろ、どうしてこう、場所や人によって態度がちがうのよ~)
目を見開いたクリスティンは生唾を飲み込んだ。
「あなたは? 見慣れない方ね」
「はっ、はい。高等部から入りました」
恐怖と緊張にまみれ、声が裏返った。
「地方受験の方ね」
「はい」
「頑張ったのね」
顔色一つ変えず、抑揚乏しい声なのに、褒められたクリスティンはぽっと頬が熱くなる。なるほど、褒められると確かに嬉しいものね、と殿下の言葉が身に沁みた。
「私はマージェリー・ウルフォード。あなた、名は」
「私は、クリスティン・カスティルと申します」
「カスティル? あの鬼哭の森近くの領地から来られたのかしら」
「はい、ご存知なのですか」
最下層の貴族が治める領地を知っていると言われ、クリスティンは仰天する。
「ええ。近年、我が領地に移り住んでくる人々が多いものですから」
「あうっ、すっ……、すいません」
急に迷惑をかけている気になって、委縮してしまう。
そんな態度に、マージェリーは毅然と一喝する。
「謝ることではありません。瘴気が濃くなっているのは、由々しき事です。これは男爵領だけの問題ではなく、国全体を揺るがしかねない凶事ですわ」
「えっ……」
マージェリーの発言にクリスティンはびっくりする。高位の貴族なら、カスティル男爵領の瘴気なんて、無条件で嫌がる話題だと思っていたからだ。
目を丸くするクリスティンに、マージェリーの目元が一瞬和らぐ。
「森と隣接する領地しかないのでは、大変でしょう」
「いいえ、マージェリー様こそ、お心遣いありがとうございます」
厳しい殿下への対応とは裏腹に、まっとうにねぎらわれ、クリスティンは虚を突かれた。
(すごい、なんか、この人、すごい人かも)
二学年しか違わないのに、クリスティンにはマージェリーが手の届かないほど懐豊かな大人の淑女に感じられた。
マージェリーの背後に女子学院生が二人立った。彼女達はマージェリーに耳打ちをする。その声は聞こえなかった。
女子学院生の話に耳を傾け、視線を横に流していたマージェリーが再びクリスティンを見た。
「あなたは魔法魔石科なのね、殿下と同じ」
「はい」
「瘴気を払うために、学びにきたのですか」
「……、そっ、そうです」
オーランドとウィーラーに勧められての受験だったが、今はいつでも自領に戻り、瘴気を払いたいと思っているし、ここで学んだことを自領を助けるために使いたいという意思もある。きっかけはどうあれ、志に偽りはない。
「オーランド様が尽力されているとはいえ、厳しい状況は変わらないはず。ここで大いに学んで、自領のために尽くされると良いでしょう」
「ありがとうございます」
クリスティンは暖かいマージェリーの労いに素直に頭を下げた。
マージェリーの視線は再び、デヴィッドに戻る。
「殿下。高等部への飛び級にてのご進学おめでとうございます。高等部は自由がききます。羽目を外されすぎないよう、お気をつけくださいませ」
「むろん。こちらへは学びにきているのだ」
「そのお心がけ、お忘れないように。では、お先に失礼します」
くるりと向きを変えるマージェリー。後ろに立った二人の女子学院生が道を開ける。胸元を飾る二人のリボンは赤かった。
(あっ、あの子たち、さっき教室にいた。同じクラスの子だ)
自己紹介をしていた際に見覚えがあった。
マージェリーは二人を引き連れて去っていく。歩けば、数人の学院生が彼女の後ろについた。
(これって、派閥よね。マージェリー様を中心とする学院生の……)
クリスティンはため息を吐く。
(私よりずっと家格もたかいはず。目をつけられないように気をつけないと)
とことん面倒なこと、だらけである。
重々しくもう一度ため息を吐きそうになり、はたと気づく。
(……、もしかして私って運が悪いのでは?)
ずーんと気落ちするクリスティンの背後から、デヴィッドがぴょんと横に飛ぶ。
顔をあげたクリスティンは、私を盾にしましたねと恨みがましい目を向けた。
おどけるようにデヴィッドは笑う。
「怖い顔しないでよ、クリスティン」
「マージェリー様を前にして、なんでわざわざ私の後ろに隠れるのですか」
「怖いからだよ。昔から怖いんだ。いっつも、ああいう厳しい顔に見られていたら、どうしても体が震えてしまう。もうこれは、生体反応として刷り込まれてしまったかのようなんだ。一種の恐怖反応と言ってもいいだろう」
二人にどれほどの接点があるのか、よく分からないクリスティンは腑に落ちない。
そんなクリスティンを見かねて、横から口を挟んできたのはライアンだ。
「マージェリーは殿下の婚約者だ」
クリスティンはライアンの顔を見上げ、両目を瞬かせた。
婚約、結婚。
貴族として、しかるべき、つり合いがとれる方とご縁を結ぶことは大事なことだとは知っていた。
知ってはいたが、クリスティンはまだまだ先のことだと考えもしていなかった。
なにせ平民から推挙された男爵家は貴族とは名ばかりの家。
平民のまとめ役が、鬼哭の森の隣というあぶれたあましの土地を治めるために、急ごしらえで貴族化した男爵家である。
クリスティンは父のように、領内に住む同年代の男性とでも結婚するもので、それは学院を卒業した後のことだと思っていた。
まじまじとクリスティンはデヴィッドを見た。弟と同じ年齢でまさか婚約者がいることが信じ難かった。
「驚かないでよ、クリスティン。生まれて間もなく両親が決めたんだ。私に選択権なんてなかったんだよ」
「殿下」
不満を露にするデヴィッドに、諫めるように呼び掛けるライアン。
不貞腐れた表情のデヴィッドが口をすぼめた。
「私は与えられるばかりで選ぶことはできないんだ」
ぽつりと呟いた一言に、クリスティンは目を丸くする。
(そういえば、弟と同じ年だものね)
忌々し気な表情に、不貞腐れた声音。
立派に見せている彼の面にひびが入る。仮面の下に隠れた幼さを垣間見た。
どんなに立派にふるまっても、どこかで無理をしているのだろう。
(もしくは、世の中に対してばかばかしさを感じるとか? ううん、そこまでじゃないわね。殿下ってどこか、子どもっぽい素直さがあるもの)
ライアンとデヴィッドを交互にクリスティンは見た。
(子どもであれるのも、もしかしたらライアンがいるからかも)
不満げな顔のまま、デヴィッドが呟く。
「それに、少しは可愛げがあるならいざ知らず。
背も高いし、年上だし、あの冷たい顔だぞ。
怖いじゃないか」
クリスティンは小首をかしぐ。
マージェリーの身長は低くはないが高くもない。平均的だ。クリスティンが平均より小さいので、同じぐらいの背丈であるデヴィッドから見ると、大きく見えるだけであろう。
(それに、怖そうに見えるけど、かけてくれた言葉や内容は思いやりがあったわ……)
注目すべきは、態度ではなく、言葉の奥に隠れた本心のほうだ。
デヴィッドがぱっとクリスティンを見つめる。
いきなり、綺麗な碧眼で見つめられクリスティンは両目を瞬いた。
「私は、クリスティンみたいな、素直に褒めてくれる子の方がいい」
一瞬何を言われているか分からず、クリスティンは彫像のように固まってしまう。頭の中で二度、デヴィッドの台詞がこだますると、その内容に驚愕し、丸く開けた口が震えた。悲鳴の代わりに、喉を鋭い息がひゅっと通り抜ける。
(とんでもない! 私と殿下なんて元々接点がなくて当たり前なんですからね!!)